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SUPERMIRINE

Prelude


もう二度と見ることのない日々がある。
1931年9月13日、青と銀のレース用海洋飛行機が英国カルショット城横のハンガーから現れた。
古代チューダー王家の要塞とこのアール・デコ調の航空機との対比は、この瞬間を逃すまいと現れた報道機関の記者達のカメラによって捉えられた。この海洋飛行機は他のどの飛行機より早く、パワフルで、何より同じ時代の人間が考えたとは思い難いほどに未来的であった。そしてそれは同時に最も危険であることを意味していた。
既にその数ヶ月前、コンテスト・レースの前段階で4名ものパイロットが似たような海洋飛行機で飛行中に命を落としていた。そのレースとは1920年代後半、主形態として競技が国家間の闘争に取って代わったものであった。
しかしこの日、イギリスは戦争にもその戦いにも勝とうとしていた。その飛行機とはスーパーマリンS6B、そして今日、100万もの観客の前—史上最多のスポーツ観戦者たちの眼前で—祖国イギリスのため、シュナイダー・トロフィー・レースで勝鬨をあげようとしている—..

(1931年、カルショット城の前に佇むスーパーマリーンS6B。古代の要塞はまだ軍基地として使われ、シュナイダー杯のホームでもあった。)


Introduction
スピットファイアの出生地

(不恰好で鈍臭いように見えるが、スーパーマリーンウォーラスは第二次世界大戦中撃墜され海に投げ出された多数のパイロットを歓迎した。その空飛ぶライフボートのアイデアはノエル・ペンバートン・ビリングによってスーパーマリーンの歴史の中でも早い段階で発案され、ウォーラスはそのアイディアの実用性を示した。)

第二次世界大戦中、英空軍で最も遅い飛行機はスーパーマリーンウォーラスであった。
クルーたちにシャグバットと呼ばれたことで知られるこの不恰好な複葉機はあるパイロットに空のスープ缶でいっぱいになった鉄のゴミ箱みたいだ、と形容された。
別のパイロットは水面の下に足があるときは、自分がウォーラスになったと思うだろうと思い返して言う。

その欠点に反してウォーラスは顕著な、そして成功者たり得るイギリスの戦闘機であった。
尚且つ英国中でフライングボートとして謳われた最初の飛行機と世界で一番早く飛んだ飛行機を含む、スーパーマリーンの系譜の中での最後の一つでもあった。
驚いたことに、ウォーラスはスーパーマリーンのチーフエンジニア、R.J.ミッチェルのドローイングボードの上にスピットファイアと同時期に描かれていた——最も遅い飛行機と最も早い飛行機は同じ工場の同じフロア、そして同じ製作者の脳内をシェアしていた。
これらの大いに異なる機体が生み出された産業は、南ハンプシャーとワイト島の町や村の伝統である小舟の建造に起源を持つ。ソレント海峡として知られるこの地方は長い間船舶の世界の中心であったが、1910年から1960年の短い間、空へ飛び立とうとするソレントの小舟造船として別の要素の活動の爆発的な増加があった。
動力飛行の黎明期、空飛ぶボートはデコボコした地面から飛び立つぐらつく陸上機への一連の真剣な挑戦の只中にいた。整備された飛行場から離れたところへも着地することが出来るフライングボートは、イギリス海峡の空を渡ろうと考えるのが主流であった当時、かなりの利点を持っていた。
その数年後、航空機の乗組員たちがイギリス帝国を最大まで広げていた時、フライングボートは国際空港やコンクリートのランウェイを持たない遠く離れた地へ飛び立つことが出来る、現実的な手段を持つ唯一で最高の権威として君臨した。
かなりの短い期間のうちに、これらの先駆者たちの活躍の周りで新しい機体が開発された。この肥沃な実験奨励の空気の中、空におけるスピード、耐久性、信頼性全てにおいて記録を打ち破ろうとする航空製品を製造するというある企業が出現した。その企業こそスーパーマリーン、社会に対して飛行機が著しい効果を持ち、戦争の結果にまで影響を与えることになる航空史中でも特別なこの時節の、航空機の発展に不可欠な役割を担った企業である。
1930年代早期から、スーパーマリーンは既に記録的な航空機を持つ製造企業として世界的に有名であった。しかしその彼らの業績の全てが、また彼らの次の機体によって影を落とされることになった。スーパーマリーン スピットファイアの登場である。
スピットファイアはどの時代においても最も成功した戦闘機だ。終始空中でなされた最初の大きな武力衝突—バトル・オブ・ブリテンである—でのその役目は、そのわずか20年前、彼らの突飛な飛行機が何のためであるか理解する人間が誰一人いなかったがために手押し車の製作を減少させていた、この小さなサウスハンプトンの会社の発明の証明である。
この本は手押し車からスピットファイアへ辿る道の物語を、今はもう失われた、空の黎明期の日々の中で捉えられた写真と、現在の空で開拓される新しい姿を織り交ぜながらお伝えしよう。



(スーパーマリーンスピットファイア。2016年、この最も素晴らしい戦闘機のアイコンは80周年を迎えた。)


英国東海岸のソレント海峡の海で、豊穣な航空の遺産を持つと声高に主張できるこのような場所は世界中でもわずかしかない。ある時期には26の飛行機製造会社がこの地図上では小さな地域を彼らの巣とし、彼らの製品はそのイマジネーションが許す限り多彩であった。大英帝国のフライングボートからヘリコプター、ジェット艦上戦闘機、ホバークラフト、人工衛星の発射台に至るまで、長い間ソレントは航空の探索と発展の中心地であった。
何十年にも渡る空での人類の努力の結晶の万人に分かり易いアイコンとして、スピットファイアはこの業績の究極のシンボルである。R.J.ミッチェルとスーパーマリーンの総べての物語はサウスハンプトンのソレントスカイミュージアムにあり、そこにはこの航空界の黄金時代から20以上の機体が所蔵されている。
この本に掲載した写真は、そのソレントの空の莫大な保管庫から空の歴史における最も素晴らしい旅のうちのひとつの記録として、読者にお贈りする。



SUPERMARINE AN ILLUSTRATED HISTORY
CHRISTPHER SMITH
2016





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