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和訳:写真と彫刻/オブジェクトの先へ 後半

FROM artpress461

ティエリー・フォンテーヌに対してエラッド・ラスリーの展示では、このル・プラトーのギャラリーのひとつであるここ以外ではどこも彫刻と写真は価値を同等に分かち得ないと提唱する。

言うまでもないが、1977年にテルアビブに生まれ、ロサンゼルスを拠点に絵画、写真、パフォーマンスも行うこのアーティストは、オブジェクトとして写真を扱う作品で知られている。
扱いやすい小さいフォーマットで機械的にプリントされたこれらの作品は、通常フレーミングされており、それらは図像が発する鮮やかな色によって自らの存在を強調し、その反射的な表面を何らかの素材で包むか、ル・プラトーでの展示のひとつのシリーズではオブジェクトがそれらを貫いていた。


だがラスリーの展示は写真と写真を含んだ彫刻を接合することもできる。
ル・プラトーの展示では映像もあり、それらとは一見なんの関連性も見当たらない。メインギャラリーでは3人のモデルを写したAssignmentという題の8枚の写真があり、一見しただけでは昔のファッション雑誌の写真のようだが、6つの彫刻(もちろんこれも展示のために用意された、派手な色のクッションで満たされた錆びたコンプレッサーで構成されたものである)に囲まれたそれは、現代的な垢抜け感と実体のない殺風景な同時代性の魅力の出会いである。

この局面でラスリーは彼自身の立ち位置を変革させているように見える。
彼が以前彫刻と写真を接合する試みをしたとき、大抵形式的な方法(彼のフレームを思い起こさせる彫刻的な仕上げ)か、彼のイメージの知覚上の反映のひとつの要素として彫刻を作ることで接続を試みていた。

2012年のデビッドコルダンスキーギャラリーでは、半分の高さの壁形の彫刻(てっぺんには波の形をした1枚の色付きの板がつけられている)が写真の列の前に立てられた。


2014年にロッテルダムのベーニンゲン美術館で展示した際に「ビューイングステーション」として再び現れたその彫刻はその名に反して鑑賞者の視線を遮った。
これらの展示では写真がオブジェクトになり、彫刻が図像になるという拡張と圧縮の間で、それら両方が画像の概念に結合しようとしている。

ル・プラトーの展示では二つのメディアの接続は何の比較の上にも成り立っていない。ラスリーはイメージとオブジェクトとの間にある違いを研究する。

彼はその衝撃を強調する。完璧な並列性を手に入れようとしているル・プラトーの壁を飾った後のアーティストの手腕と空間感によって与えられたそれは、一貫しているといって差し支えないシステムを設立したのだ。

イメージとオブジェクトのアレンジによって描かれた、二つのグリッドの交差上で得た知見をもとに、彼は写真と彫刻との間にある空間を引き延ばす。
それらを切り離す空虚とは、まさにその関係性の現場となる観客の知覚可能な身体という空間に他なるまい。

このように写真のオブジェクトの唯物性を超えて、フォンテーヌの存在論のアプローチとラスリーの現象学的なアプローチは、今日の写真と彫刻の関係に向かって新しい識見を提供する。

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