ゲームデザイナー Saashi の仕事部屋〜2020年5月前半
Saashi & Saashi(サアシ・アンド・サアシ)のSaashiです。今回は2020年5月前半の分を。このシリーズのnoteの更新も5回目となりだんだんと慣れてまいりました。日々のことを書き連ねつつ、「オンラインでボードゲームを遊ぶこと」「読書について」「プレイテストのしづらい環境」などなど。
「ゲームデザイナーSaashi の仕事部屋」シリーズについて
京都でアナログゲームを作っているんですが、手書きで日記書くのがだいたい滞って記録が記録にならないので、noteで綴ってみようかと思い、書き始めてみてるシリーズがこちらです。半月に一度くらいで載せてます。
ただ、わりと忙しくしている気がしているわりに、特に変わり映えしないので地味すぎる日常ですが、自分の備忘録的に書いています。全日の日記でもないし、その時思ったこと書くだけの日とかもありそうですが、「こういう人もいるのだな」と気楽な感じでお目通しいただけると幸いです。
5月前半某日
5月に入って暑くなったり涼しくなったりで気温の落ち着かない日が続いたからか、少し風邪をひいていた。とはいえ、本を読みつつ薬飲んでよく寝たらすぐ快復して、その前よりも元気に。寝不足で体調不良だっただけか。
その『コーヒーロースター』は1人用のゲームなのだけど、この時期だからか需要は増しているようで、このゲームのドイツ語版を出版しているdlp gamesのシュトックハウゼン氏によると欧州でも売上は現在も好調とのこと。それは日本国内でも同様であり、ありがたいことに順調で、おそらく夏までには在庫がなくなりそうな気配。
数年前に日本オリジナル版を出版していた兼ね合いもあって、昨年リリースした欧州エディション日本語版は初版の数量を絞った経緯もあったけれど、販売開始から半年を待たずにストックがなくなりそうな推移は予想よりも早かった。ドイツ語版も増刷するということなので、その歩調を合わせて日本語版も夏に向けて増刷することが決まった。
5年前にデザインして販売した1人用ゲームがこのような経緯を辿って、なお現在このような環境の中でも遊んでいただけるというような状況は、とても予想できなかったことで、作者としても、また作品にとっても幸せなことだと感じます。
再版分のデータは、ルールブックと箱裏の修正箇所が少しだけあるので、それを別府さいさんとTANSANさんにお願いするな連絡。
欧州の工場で生産されたものを日本へ運ぶとなると、再びその手配もしなくては、というわけで昨年『コーヒーロースター欧州エディション日本語版』でお世話になった国際輸送会社に現在の輸送状況を訊く。航空便はいろいろ問題ありだが、船便関係は今のところは平常通りに近いとのこと。夏に向けての調整などお願いする。
5月前半某日
海外の出版社からのデータファイルが届いて、そのチェック。宝井貴子とも一緒に確認すべき事項があると、ちょっと返信遅れたりする。その間に別のところから急ぎの連絡あったりすると、優先事項がわちゃわちゃとなって、先述のゲームアイデアの作業を進めたりすることの優先順が下がっていってしまう。
やはり、まだわたしたちの体制が整えられておらず、最適化がぜんぜんできていないということなのだ。そういえば、今年前半は新作リリースをしないでゆっくり過ごすと決めた時に、こういった「体制を整え直す」ということを眼目に置いていたはずなのが、5月半ばに来ているのにまだ整えられていないということ。
5月前半某日
買ったボードゲームを棚に並べたさまは綺麗なのだが、しかし棚の体積は有限であって簡単に溢れることになり、やがて床に流れ、波のように部屋の端を侵食し、対面の壁に打ち付けられて高さを増していく。
整頓をせねばならない。となっても、処分するのでない限りは、ゲームをある部屋からある部屋へとい移動させるだけに過ぎない。やるならやりましょう。ボードゲームを抱えた人なら知っている、数個の大を一気に抱えると存外に重たいという事実。運ぶあいだ「これ1つ1つがゲームなんだな」「全部にちゃんとルールやグラフィックが存在して、それをこしらえた作り手がいるんだな」と思うと、重いけど感慨は深い。
小・中学生の頃からボードゲームらしきものを自作していた。家で1人で作ったものを学校の教室で級友たちに遊んでもらっていたのです。その頃には日本製のボードゲームやカードゲーム、海外製の初心者向けのボードゲーム(歴史系のシミュレーション類)を遊んでいたものの、中学以降はずっとボードゲームで遊ぶことから遠ざかっていた。なのでその後十五年を経て、改めて現代的なドイツのボードゲームに出会ったきっかけだけは明確に覚えている。
友人がある時不意に、高円寺のすごろくやで購入した『カルカソンヌ』をプレゼントとして不意に贈ってくれたのだ。思えばいまからもう十何年も前のことになる。どうしてそんなものを急に送ってくれたのかと言えば、「好きそうだと思ったから」だそうだ。
「こんなものが世の中に存在していたのか!」と知り、そこからはドイツのボードゲーム調べ倒して現代ボードゲームの知識を得ていくことになるわけだが。その友人が『カルカソンヌ』を贈ろうなどと思ってくれていなかったら、今ごろどうなっていただろう。
そう言えば、古株ゲーマーのSさんと話していた時、「京都に住んでいたからSさんと出会ったけど、もしずっと大阪に住んでいたら出会えなかったかもですよね」と話したことがあった。するとSさんは、「きっとどこかで出会ってたよ。ゲーマーってどこかで誰かは繋がっているから、同じ関西だし、どこかのゲーム会とか誰かの知り合いの知り合いという形で、どこかで出会ってたと思うよ」ということだった。
なるほど。そうすると、たとえ古い友人があの時『カルカソンヌ』を贈ってくれることがなかったとしても、いつかは現代的なボードゲームやその周囲の人々に自分は出会っていたのかも知れないなとも思えてくる。
いまは時々2人でゲームを遊ばせていただいている古参ゲーマーのMさんとも過去にニアミスしていた可能性もあった。かつて中学生の頃のぼくが、当時地元の大阪にあった海外系のボードゲームを扱っている珍しいゲームショップに通っていた。中学生なので高い商品には手が出なかったが、『ネイバルウォー』など比較的安価なものには挑戦できたのだ。
その店に、当時Mさんも通ってゲームをよく購入されていたのだそうだ。つまり同じ時代の、もしかすると同じ日に、30代のMさんと中学生のぼくとが同じ棚を並んで見つめていたこともあったのかもしれない。その2人に「数十年後にあなたたち一緒に遊んでいますよ」と、そっと教えてあげたい。
今日は少しだけボードゲーム棚を整理した。溢れ出たもの全部を棚に入れることなどできないが、時々は入れ替えたりもしたいのだ。仕事部屋のゲーム棚の下段から、例の『カルカソンヌ』を取り出して2階の棚へ持って行った午後、いろんなことを思い出しながら重い箱をいくつも抱えつつ階段を昇ったのだった。
5月前半某日
自粛的生活が続いていて、何が困るかと言ったら、まずは人に会いづらい環境だということで、特に開発中のゲームのプレイテストができないというのはゲームデザイナーにとっては痛恨である。人に実際に手にとって遊んでもらうのだから、今はさすがに気軽に人を呼んだり、どこかに集まって、をできるような環境は作れない。いつになると気兼ねなく機会を作れるのかもまだわからない。自然と少人数でテスト可能なタイプのゲームを志向することになるのか。
オンラインでのテスト環境というのもあって、それはそれで作りかけのゲームが「動くかどうか」のテストにはもちろんなるのだが、プレイヤーの微妙な「表情」を観察したり、遊んでいる場の「雰囲気」を掴み取ることは難しい。そしてそこが作者として一番見ておきたい部分でもあるわけで、これは相当厳しい環境なのだと思います。
プレイテストに限らなくても、人と会うことでひらめくことは、やはりあって、そういった刺激は貴重だなと再確認する。
反面、この期間を活かして、ゲーム設計のほうはわりと進ませることはできている効能はあるのだけど、先述のテスト環境の問題である程度の地点で次々と止まることになる。
テストをしてもらうということは人の手を借りていることには違いなくて、それはたとえ1人専用のゲームを作っている時でさえ、他人にテストしてもらわないことには完成の日は見ない。つまりゲームを「完成」させることは決して1人ではできないことなのであり、みなさんにご協力をしていただくことが叶っていたこれまでのありがたい環境に思いを馳せる午後でした。
5月前半某日
このところ、ゲームデザインを進ませる時間をあまり持てていない気がする。ワッと連絡事項が増えると、途端にズルズルと後退し、やらねばならないことが優先され、アイデアの考察やテスキットデータ制作などが「不要不急」の側に流されてしまうのだろう。
とは言いつつも、その「不要不急」のほうも誰かが代わりにやってくれるわけでもないので、不急とはいえ、何もやらないことには一歩も進まないわけなのだ。
5月前半某日
『旅のあと』を共作したシンガポールのダリルさんと夜に話す。
シンガポールはロックダウン中で、近くの友人にもなかなか会うのは難しいらしい。もちろんボードゲームもおいそれとは遊べない。ダリルさんは大学で授業を持っているのだが、その授業もいまはすべてZoomで行なうようになったそうだ。いまひとつZoomを使っての授業には慣れないそうで、やはり教室で行なう体感とは異なるとのこと。
話しながら「Board Game Arena」でいくつかオンラインでゲームをして遊ぶ。オンラインでするボードゲームは、もちろんルールも同じで、コンポーネントのイラストなども同じなのだが、実際に対面で遊ぶのとは異なると個人的には感じている。
当たり前なのだが、人と対面して遊ぶ時には、プレイヤーは盤面しか見ていないわけではない。他のプレイヤーの表情や、カードの触り方や足を揺するなどの仕草、考えている姿勢全体を見ていたりする。それらも情報なのだ。
言葉にはできなくても、長く考えている最中の相手が「ようやく決断して、もうすぐ手を打ちそうかどうか」は総合的になんとなく読み取れる情報として、そのあたりに含まれていたりする。だから、「あと少し」が待てる。
オンラインだと、待つ時間はただの「待ち時間」であり、通話で声は聞こえても総合的な情報の欠落が激しく、「もうそろそろかどうか」は経過した時間に基づいた常識的な判断からしかわかりえない。
そして決定的なのは、われわれボードゲームを普段から嗜む者は、オンラインのボードゲームを遊んでいるその瞬間、実際の対面時のボードゲームの感触を脳内で「再現」しているのだ。だから、楽しめる余地が少し増える。
「オンラインでしかボードゲームを遊んだことがない人」の場合はどうだろう。そういう人がもしいれば(どこかにはいるだろう)、われわれが脳内で行なっているはずの「感触の再現」を行なってはいないはずだ。画面上のカードやトークンやマップはすべてデジタルな情報でしかなく、待っている時間はただの「待ち時間」であり、紙製トークンの厚みや手触り、木製ミープルの堅さも重みも、マップの表面のエンボスやニスの光沢さえ頭の端にもなく、画面で見えている以上のものは再現されない。
同じ「オンラインのボードゲーム」を遊んでいるのだとしても、そこには大きな隔たりがあるように思う。
5月前半某日
1月に長崎に行った時、美味しい魚と日本酒を飲みつつ、わたしの母と貴子さんと話していた時、ぼくはどれほど忙しい中でも「必ずコーヒーだけは時間を確保して自分で淹れて、本を読みながら飲む」という行動を日々し続けている、ということが話題になった。文意としては、死ぬほど忙しい時でもコーヒーと読書だけは絶対外さないよね、というところ。
自分ではごく自然なことだと思っていたので、驚かれるような話かなと思ったのだったが、よく考えたら自然というよりは、忙しい時だからこそ、それを失くしてしまったら精神的に危ないよ、というくらいの生命線のように感じているのだろうと思う。
つまり、コーヒーにも読書にも意識が回らなくなっている瞬間のぼくは相当にやばい状態だということで、それを避けようとしている。というわけで、今日もやることはあっても日に数度はコーヒーを淹れて本を開いてました。基本的に読書は1コーヒータイム中に数冊を少しずつ進めるスタイル。
いまコーヒータイムの同行の友は、
・『時間は存在しない』カルロ・ロヴェリ
・『危機の20年』E・H・カー
・『戦車将軍グデーリアン』大木毅
どれもおもしろいのだが、かといって1日中ずっと読書しているわけにもいかないのがつらいところ。読書だけの日をあらかじめ設定しておくのは楽しみになって良いかもしれない。
5月前半某日
『コーヒーロースター』の再版に際して、ちょっとした修正箇所をお願いしていたTANSANさんと別府さいさんからデータ届いて、そのチェック。
一年前の初版の入稿時に、工場との間で入稿後に何度かやりとりあって、緊急処置的に急いで対処した経緯があった。つまり何度か再入稿していた。(前回の入稿のタイミングは昨年の6月、ちょうど台湾の高雄でのゲームイベントに出展する前後のことで、出国前に入稿延ばしてもらったりのドタバタのあと、帰国翌日に再度入稿みたいな状況だった)
何度か入稿し直したことで、「これこそが最終の入稿データ!」というのがいくつか並存してしまっていた(整理しきれていなかっただけだが)。
工場に何パターンか送って工場側が形式を選択みたいな感じになったのでわかりづらかった。最終的に「これを工場が採用した正式データだ」というのを入稿直後には(いまよりは明確に)判別できていたのだとは思うのだが。しっかり整理して残していたと思っていたファイルが、今回の再版に際して改めてチェックしてみると、どうも正確ではなかったのではないか疑惑が出て、まずは怪しいファイルを全部確認しなくてはならなかったのが、なかなか骨が折れた。
その後、別府さいさんにも再度ファイル確認してもらい、事なきを得たのだが。自分でしっかり整理できていると思っていたファイルですらこれである。
かつて入稿時にドタバタがあり、時間がない中でともかくも処理している嵐の中で、後の自分にわかりやすく丁寧な整理を施すのはなかなかに難しいものだと実感する。かといって、嵐が過ぎ去った直後は疲労困憊で大の字で呆けているわけで、そうなると記憶もおぼろげなんてことにもなるから、その時点での自分にはいまいち信用がおけない。みなさんそのあたりの管理をどうされているのだろうかと気になる。
5月前半某日
新しいボードゲームを日々買うわけだが、やはりこの時期なのでいつものようには次々に遊べていない。少人数で遊べるものは少し動くが、あとで適正人数で遊びたいなと思うものたちは置いておくことになる。
ゲームマーケットが中止になり、ECサイトでの通販のサポート体制があったことは聞いている。わたしたちはそれには今回参加はしなかったのだが、参加した幾人かに聞くとなかなか良いサービスだと耳にした。大型イベントがなくなった事への補償という意味では大きなサポートになっているのなら、とても喜ばしいことだと思う。
ゲームマーケット2020春の新作は、ゲームストアやゲームカフェなどを通じていくつか買ってみたりした。少しだけだが一部は遊んだものもあり、楽しんではいる。
他のみなさんもそれぞれ購入されたことだろうと思うけれど、今回はとくに「遊んだよツイート」が極端に少ないようだ。ECサイトなどのサポートもあって、購入しやすい形は整っても、「遊ぶ環境」まではサポートしきれないのは当然でもちろん仕方がないこと。社会全体がいま人と集まって遊びづらい環境なのだから。
やはり誰かの「遊んだよ」「おもしろかったよ」という声はシーンを盛り上げる要素として大きかったのだということが、その不在でより明確に感じられる。(もしくは、たとえ友人と集まって遊んでいたとしても、いまの時期は写真を載せて「遊んだよ」ツイートをしづらいだけなのかもしれないが)
5月前半某日
山田空太さんとふたりでZoom飲み。普段は都合が合えば月1回くらいでお会いできていたのが3月から会ってなくて、久々にお話する。LINEで連絡はしていても顔見て話すのは2ヶ月ぶり。お元気なようで良かった。
先行きの見えない状況下で、いろいろな話を耳にする。周囲からは不景気な話しか聞かない昨今ですが、クリエイターはいま未来を見据えて創るほかはないですね。見解や展望などを意見交換するのは思考の刺激になります。
5月前半某日
海外出版社から、ルールブックの表記についてのいくつかの疑問。
不正確な返答はできないので、答える前に一度チェックしてから返信を書くことになる。この「確認」のところがボトルネックになる。
一事が万事で、他のことでも、揺るがせにできない種類の確認事項がタスクに入ると途端にスピードが遅くなる。例えば、過去の契約内容の確認しなくては何も答えられない案件などもそのひとつ。
確認は正確を期さねばならないので労力がいる。「面倒だな」というのはふと浮かぶ言葉だが、それはしっかり表現できている言葉ではない気がする。おそらくは、「よっこいしょ」感があるのだと感じているだけだ。
ちゃんと確認しなくてはならない案件、たとえば過去のメールでのやりとりを全部見直して文脈を思い出さねばならないとか、適当に答えると後で始末に負えない事態になるかもしれないとか、いずれにしてもある程度の時間をしっかり確保して真剣に精査する必要があるもの、それらがそこはかとなく「よっこいしょ」感を醸し出すのだ。そしてそれを少し億劫に感じているということなのだろう。
体制を整えるとそのあたりで速度を落とさず、スピードを維持できるのかどうか。そもそも心根の問題なのか。差し当たって、人に任せられるべきところは任せる方向で良いのかもしれないが、ちょっと人に任せて良いかどうかわからない微妙なラインの事柄が多く、そのあたりの線引きがまだ自分の中で明確にできていないのだろうとは自覚しています。
5月前半某日
Engamesの杉木さんからご連絡。種々あって興味深い。すぐ対応しつつ、未来に繋がると楽しいことはより多くあるほうが楽しいものだなと実感。
人の出会いは偶然だけれど、それを繋げたり広げたり関係を続けたりすることには必ず人の意志が備わる。それが未来を導くのだとしたら、とても素敵なことだろう。人の意志が伴うこということでこそ方向性が導ける。目的地がわからないとどこにも辿り着けないわけで、眼目を把握して歩を進められる意志の力は、ゲームデザインと同じでとても大切だなと思うなど。
杉木さんは一季節に一度くらいの割合で京都のSaashi & Saashiスタジオへお越しいただいていたように思う。静かに熱く、真面目で聡明な方で、話していて興味深い人なのはもちろんなのだけど、彼がふと考えに浸ってポツポツ話しつつ、どこかを見つめるその風情がとてもユニーク。また会って話したいですね。
5月前半某日
韓国の出版社POPCORN GAMESから『バスルートをつくろう』の韓国語版がリリースされたと報告を受ける。契約したのは数年前だが、ようやく形になって韓国で出版されたことは嬉しい。これでも契約してからリリースまでの期間が短いほうなのである。他の出版社のものもスムーズにいってほしいな。
『バスルートをつくろう』韓国語版 POPCORN GAMES
ロゴが韓国語になっただけで、アートやグラフィックはそのまま。その他のコンポーネントもほぼオリジナル版のままでのリリース。
韓国語版では、先方のリクエストで新たにソウル市のマップを作った。ソウルのマップは、ぼくがデザインしてテストまでを終えて渡した。その後、出版社でもテストされてから、観光地の新たなイラストを宝井貴子が描いて正式なマップデータを作ったのだった。
韓国版限定・ソウル市マップ(一部)
『バスルートをつくろう』の日本版は京都市のマップのみでした。韓国版んいは表裏にソウルマップと京都マップが印刷される。
このゲームの場合、作ろうと思えば新たな都市のマップは作れるのだが、京都市がそうであったように、スクエアな街区の都市でないと作りづらいところがある。範囲の切り取り方にもよるが、ソウルはわりとスクエアな街並なので作りやすかった。
とはいえ、観光地の配置は歴史にも基づくものなので、デザイナー側でできることはどの観光地を選ぶかを選別するくらいのものだが、位置関係についてはゲームバランスも影響するので、いつも苦労します。(ただ、同時期に複数の出版社からのリクエストで、いくつもの都市のマップを作る作業は、楽しいのだけれど時間・労力とともになかなかヘビーなものです)
ともあれ、韓国版『バスルートをつくろう』はリリース後、初段階の売り上げも好調と聞いてなにより。サンプルが届けば、長年の韓国の友人(韓国外在住)に贈りたいなと考えている。
今回はこのへんで。
Saashi
2020年5月上旬
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