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エッセイ

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「はみがきの音さえ恋しい」という一生ものの殺し文句

 「君のはみがきの音さえ恋しいよ」と夫が言った。

 夫に留守を任せて月に一度、泊まりで息子と出かけることがある。私たちがいない間に夫は、普段手が回らないところまで家事をしたり、好きなアニメを観たりして過ごす。そして翌日のお昼すぎに遊び疲れた私たちを迎えにきてくれる。

 お出かけは遠くても近くても楽しくて疲れる。手のかかる息子と一緒ならなおさら。寝ても覚めても常に気を張っている。おうちに着いてそ

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今もずっとここにいるから。また帰ってきてね、なんて思えない。

 「……じゃん。まほちゃんってなまえにしようよ」

 お風呂場で髪の毛を洗っていると、先に湯船につかっている息子が言った。シャワーの音でよく聞こえなかったから、もう一回言って、とお願いする。

 「ママのお腹で育たなかった赤ちゃんがいたじゃん。違う赤ちゃんが来てくれたらさ、まほちゃん、なんていいんじゃないかな」

 今年の春、早期流産を経験した。忘れたくなくて書きはじめたものの、うまく言葉が続かな

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「あいしてるよ」を伝え合った日のこと

 春から年長さんになる息子はいつからか、聞き慣れない言葉に出会うなり、その意味を訊ねるようになった。記憶力が良く、修正が効きづらい特性がある。いくら私が慣れ親しんでいる言葉であっても、必ず調べてから伝えるようにしていた。

 なんでもとりあえず自分でやってみたい。そんな息子のことだから、自分専用の辞書を欲しがるのも時間の問題でしょう。というわけで、総ルビ付きの辞典の中でも唯一、UDデジタル教科書体

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「ここまで生きたら、もうずーっと生きてる気がするよ」

「もし赤ちゃんがお家にきたら、小さいおもちゃはしまうの?」

兄弟を欲しがるようになった息子に「もし赤ちゃんが来たら〇〇するの?」と聞かれることが多くなった。出産予定はないけれど。度々繰り返されるその問いに、答え続けている。

「しまうよー。何でも口に入れちゃうからね。きみが赤ちゃんのときだって、こんなに小さいおもちゃはなかったんだよ」

予想通りの返事に、納得した様子の息子。その興味は、次から次

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「ベビーカー」「ブランコ」「甘えること」それぞれの年齢制限について

「さっきの子、ぼくのこと見てたね」

 そう言われて後ろを振り返ると、息子と同じくらいの歳の女の子が遠ざかって行くのが見えた。

 日曜日の早朝、家族で近くの公園へ出掛けた。昨日遠出した疲れも何のその。息子は走ることが大好き。今日もいくつか遊具で遊んだ後、約束の時間ギリギリまで、芝生の上を自由に走り回っていた。

 駐車場まで戻る道を歩き出してすぐのこと。息子が「疲れたから乗る」と、荷物置きとして

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ひとりで泣いてる私、うまく泣けない私、しんどい私、みんなここにおいで。

「僕のテンションのバイオリズムは約3ヶ月周期で変化する」

ポルノグラフィティの晴一さんは昔『自宅にて』のP.85でこう書いていたけど。それって今も変わらないのかな。

私はどうだろう。季節の変わり目ごとなら同じ3ヶ月周期、ホルモンバランスに振り回されるなら1ヶ月周期とか。

まあともかく、上手に眠れない夜が定期的にやってくる。そんなときは嘘みたいに「憂うつを吹き飛ばしてくれ」る、ポルノグラフィテ

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分身の術が使えるようになるまでは

リビングの壁にマスキングテープで貼ってあるのは、息子が園で描いてきた「ママのかお」たち。

最初はピンクや紫のペンで描いた大きな丸の中に、目と口らしい点が3つ。次に見せてくれたときには、ぐるぐるまんまる大きな黒い目2つと、大きく開いた赤色の口が1つ。次第に体を描くようになって、最近は息子が好きだという肩下まで伸びた髪の毛まで描くようになった。

「ここにいるママと、紙のママと、みーんないたら、いい

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おもちゃ捨てちゃう?

「ママも、おもちゃ捨てちゃう?」

膝の上でテレビを見ていた息子が振り返る。下がり眉毛がいつも以上に下がってる。
突然どうしたんだろう。ぼんやりしていた私は慌ててテレビを見る。ああ、なるほど。
そこには、おもちゃを散らかしたままおふざけ中のしんちゃんと、ガミガミ怒ってるみさえが映ってた。

「ママは、捨てないよ」
「なんで?」
「君のおもちゃは君のものだから、勝手に捨てたりしない」
「そうだよね!

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今までに手離した楽器の数

ぼんやりタイムラインを眺めてるとき、ふと目に止まって思ったことをつらつらと。

「ガラクタだけど大切な物の写真」と聞いて、一番初めにギターが思い浮かんだ。

父が大学生のころ入門編に購入したアコースティックギター。幼い私は夕食後によく弾いてとせがんだ。歌詞の意味も理解しないまま慣れ親しんだ70年代フォークソングの数々(短調の曲が好きなのは絶対この影響)。それと長崎のおばあちゃんのうちで眠っていた、

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「お星さま、たくさんついてるね」

「ちゃんと座ってなさい!さっき消毒したでしょ!触らない!あーもう!舐めないで!」

2月のとある土曜日。長引く鼻炎のせいで咳が治らず。息子を夫に任せてひとり私は耳鼻科の待合室にいた。座っているのもやっと。寝不足でだるい。目を閉じて順番が来るのを待っていたら、怒鳴り声が聞こえてきた。

「そこの誰かさん、お願いだからもう少しボリュームを下げてほしい。頭にガンガン響いて敵わない」

壁に頭と体を預けな

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落っことしたら電車に揺られたい

車で来たけど、君がそうしたいなら、いいよ。

帰り道は夫と二手に分かれて、息子と私は電車に揺られていた。ガタンゴトン。揺りかごの中、ダウンコートの上から暖房をかけられて眠たくなる。停車駅に着くたびにヒンヤリした空気で目が覚める。最寄り駅まであと五駅。いつも通り、繰り返し繰り返し。

「かわいいねぇ、いくつ?」

いつの間にやら向かいの席に座っていた女性に話しかけられた。彼女の視線の先に

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