「はみがきの音さえ恋しい」という一生ものの殺し文句


 「君のはみがきの音さえ恋しいよ」と夫が言った。

 夫に留守を任せて月に一度、泊まりで息子と出かけることがある。私たちがいない間に夫は、普段手が回らないところまで家事をしたり、好きなアニメを観たりして過ごす。そして翌日のお昼すぎに遊び疲れた私たちを迎えにきてくれる。

 お出かけは遠くても近くても楽しくて疲れる。手のかかる息子と一緒ならなおさら。寝ても覚めても常に気を張っている。おうちに着いてそれから解放された途端、一気に眠気が襲ってくる。夫が用意してくれたごはんを食べて、なんとかお風呂も入った。はやく横になりたい。携帯を見ながらはみがきをしていたら、息子とじゃれあっていた夫がしみじみ言った。

 「やっぱり音があっていいよね。ひとりだとさ、テレビつけててもその音しかしなくて、特に夜はなんか静かなんだよなぁ。君のはみがきの音さえ恋しいよ」

 こんな不意打ちずるい。夫は自分のことを口下手だというくせに、たまに一瞬で私を射る。

 「そばにいてくれるだけでいい」というセリフは手垢にまみれた言葉のひとつだと思う。物語や歌詞の中で何度見聞きしたことか。それなのにいま、私は疲れも忘れてご機嫌だ。

 息子が生まれてから、夫にしてあげられることが格段に減った。今日だってそう。出かける前も帰ってきてからも必要最低限、自分のことしかしてない。迎えに来てくれてありがとう、家事ありがとう、今日はまだなにひとつ伝えられていなかった。

 そんな私の存在を、夫のうそ偽りのないまっすぐな言葉が無条件に肯定する。毛布でくるむように私の心を温める。それは幼いころにしか得られないものだと思っていたからとても驚いた。

 贈り物のお返しに悩むたび夫に欲しいものを訊ねては特にないと返されていたことを思い出す。昔から物欲がなさすぎる人なのだ。あれもこれも。お金で買えるものも買えないものも、私は欲しいものばかりなのに。

 いつかもそうだった。夫がまだ恋人だったころ、2人で過ごした後いつものように車で送ってもらった。その日夫は終日休みだったのに私の仕事のせいで夜のほんの短い時間しか会えなかった。最近こういうの多いな。名残惜しく思いながら車を降りようとドアに手をかけると、感情的になることの少ない夫が切実な声で言った。

 「ああ……欲しいものわかった……君と会う時間がほしい……」

 同じように離れがたく思ってくれていたこともそうだし、欲深くないひとの欲しいものをやっと知れたこと、それがいっしょに過ごす時間なことがすごくうれしかった。今でもきのうのことのように憶えている。

 さんざん使い古された言葉も、夫がくれたそれらは私にとって一生ものの宝石になる。普段は宝箱に大事にしまってあるけれど、たまに取り出して、これからも何度だってそのきらきら光る言葉たちを眺めるんだと思う。