今もずっとここにいるから。また帰ってきてね、なんて思えない。


 「……じゃん。まほちゃんってなまえにしようよ」

 お風呂場で髪の毛を洗っていると、先に湯船につかっている息子が言った。シャワーの音でよく聞こえなかったから、もう一回言って、とお願いする。

 「ママのお腹で育たなかった赤ちゃんがいたじゃん。違う赤ちゃんが来てくれたらさ、まほちゃん、なんていいんじゃないかな」


 今年の春、早期流産を経験した。忘れたくなくて書きはじめたものの、うまく言葉が続かない。中途半端なままずっと放置していたけれど、息子の言葉でやっと歯車が動き出した。せっかくだからここにも残しておく。

 とある月の生理予定日。2週間ほど前から続く不調は毎度のことで慣れているはずなのに、いつも以上に眠たくてだるい。近ごろではあまり経験したことがないしんどさだった。もしかして、とうっすら期待した。でも定まらない生理周期のせいで期待外れに終わることが多かったから、どうせ今回もそうなんでしょ、と真っ白な検査薬を見て落ち込みたくなくて何もしなかった。

 もやもやを抱えたまま生理予定日から1週間が過ぎたところで茶褐色の出血があった。どうやら生理の血ではなさそうで不調も続いている。でも9割方陰性。そう保険をかけた上で検査薬を試したら、すぐに陽性を知らせる縦の線がくっきり現れた。

 お腹の中に赤ちゃんがいる。

 出血が心配だったけれど、つわりの症状はしっかりあった。育児の悩みや新型コロナへの不安が多くあったのにそれを軽々飛び越えて、とてもとてもうれしくなった。柑橘系のフルーツや甘酢を使ったおかずが食べたくなった。ざくろ酢を炭酸水で割って飲んだりした。

 絵に描いたようなつわり生活を送りながら迎えた初診日。検査薬が陽性だったこと、ずっと茶褐色の出血が続いていることを伝えた。何度上がっても慣れない内診台に上がる。息子の時のことを思い出して期待していた赤ちゃんの袋は、見えなかった。しばらく様子を見ましょうと言われ、帰宅した。

 それからずっと鮮血ではないにしろ毎日出血した。トイレに行くたびにペーパーにべったりつく。もうだめかも……でも色は茶色いからもしかしたら……を繰り返しながら不安な日々を過ごした。

 2週間後の再診日。ここで赤ちゃんの袋はもちろん、心臓の音が聞こえないといけない。でも、だめだった。超音波の機械を精度の良いものに変えて再度丁寧に診てくれたけど、だめだった。ああやっぱり。冷静に受け止められたのは、それまであったつわりの症状が昨日を境にぱったりとなくなっていたし、ずっと茶褐色だった出血がこの日の朝には鮮血に変わっていたからだ。

 流産についての説明を受け、今回は自然に出てくるのを待つことになった。大量出血や酷い腹痛が起きることがあるらしく、そのときは休日や夜間などの時間外でもすぐに受診をするようにとのことだった。悲しみより恐怖が勝る。不安に揺られながらもなんとか帰宅した。

 かたまりが出てきたら持ってきてください、と言われていた。早期流産を経験した人の記録を読み漁った。どうやらそのかたまりは白っぽくて生理の時に見られる血のかたまりと違い、一目見ればわかると知った。ほっとしたのを覚えている。

 だってそのかたまりが赤ちゃんの袋なら(胞状奇胎かどうかの検査のためなんて二の次で)トイレに流すことだけは絶対に避けたかった。大量出血にも備えて外出時や就寝時にはオムツをはき、トイレに行くたびに底に沈む血のかたまりを見つけては、わりばしでつついて目当てのものでないことを確認した。

 流産を告げられた日から数日経った夜。ついに薬を飲んでも効かない酷い腰痛がきた。あれ?お腹じゃないの?と戸惑う暇もないくらい、とにかく痛い。

 今振り返ると新型コロナワクチンの2回目の副反応で悩まされた腰痛によく似ていた。あのときは薬を飲めばすっと痛みは消えたのに。同じような場所でも度合いが全然違う。金曜の夜でよかった。

 布団の上に横たわり小さな声で唸りながら、姿勢を変えてもびくともしない痛みに耐える。ほとんど眠れず迎えた朝、にゅるんっと何かが出たのを感じて確認すると、それは念のためにとオムツの上にあてていたナプキンの上にいた。2cm×5cmほどの赤く染まった水餃子のような小さなかたまり。

 病院に電話した。出血も多くないし出てきたあとは嘘のように痛みが引いていったから。できれば今日はこのままおうちでゆっくりしたい。そう伝えると週明けに受診することになった。教わった通り、出てきたかたまりを水で濡らしたキッチンペーパーでくるんで乾燥しないようにラップでまいて紙コップに入れて、ジップロックの封をしっかりしてから冷蔵庫の隅に置いた。

 「これが赤ちゃんなの?」

 夫と一緒に一部始終をそばで見ていた息子に聞かれ答えた。

 「そうだよ、赤ちゃん大きくなれなくて生きてないまま今産まれてきたの」

 息子は静かに受け入れていたように思う。わたしが痛がる様子も血まみれのかたまりも、目を背けることなくじっと見つめていた。自分の血は極少量であっても見ればパニックになるくせに、小さなころから生理の血を見慣れているからか、かたまりを前にしても怖がる様子がない。誤魔化されることをいちばん嫌うだろうから説明した。説明しながら、これが無事に終わった出産だったらどんなによかったかと思った。

 そして月曜日がやってきた。子宮収縮剤を使わなくても今続いている出血や腹痛は次第におさまっていくでしょうと聞いてほっとする。赤ちゃんの袋らしきものが入った袋を渡し診察を終えて会計書を待っていると、涙がさーっと肌の上を駆け出した。

 お腹に手を当ててみる。そっか、流産したんだからもうここにはいないんだよね。

 ハンカチで拭っても拭っても壊れた蛇口のようにとめどなくあふれてくる。もうきりがなくて諦めて待つことにした。マスクがびしょびしょになった。やっと悲しみに会えた。

 息子は帝王切開で生まれてきたから私は陣痛を知らない。経膣分娩のことは全然わからない。けれど自然排出を経験した今、下から産むことはこの延長線上にあるんだろうなと考えたりする。残念ながら流産だったけれど、これは私にとって大事な大事なお産だったのだ。

 経験談を読んでいると「また戻ってきてね」「すぐ帰ってきてね」という言葉たちによく出会う。以前から違和感を感じていたけれど、当事者になった今はより一層強くなり、確かなものになった。

(念のために。そのように書いたり思う人のことを否定する意図はありません。その言葉をかけられたり、自ら使うことで慰められる人が世の中にはたくさんいると知っています。私もそうです。声をかけてくれた人は決して、いなくなってしまった子を軽んじているわけではない。言葉の中に含まれるやさしさをまっすぐ受けとることができたので、違和感など少しも感じることなく、本当にありがたかったです。)


 初診日に「上の子を抱っこしても大丈夫ですか」と訊ねたことを思い出す。上の子。なんともまあ気が早いことで。しっかり第二子として認識していたんだと今になって気づく。名前のない、まだ人のかたちもしていない、それでも私のかわいいかわいい赤ちゃん。どんなに願っても、もう会えない。

 ちなみに同じ流産でも、切迫流産と流産では大きく違う。産婦人科医とみーさんが書かれた、下の記事の中の補足③(実際に流産を経験した方に向けて書かれた言葉)に出会った。


『妊娠初期に流産する確率は、全ての妊娠のうち約10〜15%』
妊娠初期(妊娠12週未満)の流産の原因は50%-60%が「赤ちゃんの染色体異常」
「現代の医療では妊娠初期の流産はどうすることも出来ない。」という事を意味しています。

 つまり、仮に妊娠初期に流産をされたとしても
「お母さんは悪いのではなく、仕方のないこと。」なのです。

 早期・後期ともに様々な経験談を読んだ。検査薬が陽性になったまま数日後に生理が来てしまう化学流産と巷で呼ばれているものも含めれば、妊娠初期の流産は少なくない。その原因の多くは赤ちゃんの染色体異常だという。よくあることらしいとか、自分のせいではないと何度言い聞かせても悲しみだけがいつまでも佇む。

 早期だから傷は浅いと思っていた私が大間違いだったのだ。仕方のないことだと知っているのに。大したことないとか気にしすぎだとか、どんな言葉を並べてみても役に立たない。悲しいものは悲しい。

 「可能性としてはうまく着床できずに流産かな……おそらくうまく育ってないかな……という可能性が一番高いかな……(子宮外妊娠の可能性が低いことを説明した後に)……結果的にはこのまま残念ながら流産の可能性が高いかな……」と、説明されたときのことは今でも鮮明に思い出せる。淡々と告げられなくてよかった。歯切れの悪い言葉たちやその声色を思い出すたびに、平気なふりをしなくていいんだと慰められる。

 すべてのことに意味があるんですよって言われたり言い聞かせたりすることで救われる人もいるんだろうけど、わたしは事実だけを粛々と受け止めたいし意味なんてあってたまるかと思う。

 あなたがいなくなったことに意味なんて見出したくない。流産したことも誰かと永遠に離れ離れになったこともただ粛々と受け止めたいのに。因果関係のない事柄を結びつけて、ふとした瞬間に都合よく自分勝手に物語を編んでしまう。ただ受け止めることがこんなにも難しいなんて知らなかった。

 もしまた授かれたとしても、そこいるのは別の赤ちゃんだ。まだ6歳なのに息子はわかってくれている。救われる。元気に育ってくれていたらちょうど今ごろこの腕に抱いていたはずの赤ちゃんは、離れ離れになってからもずっと私や息子や夫のなかにいて、それがうれしい。

 だからまた帰ってきてね、なんて私は思えない。半年以上経っても思い出すたびにまだじくじく痛む。これからも痛くていいし、胸に秘めておく必要もないと心から思えた。痛みとともに思い出すのは家族4人で過ごした幸せな日々でもあるから。