貧乏に生まれたかった。【人生の気づき/自己肯定感のこと】
小さいころ貧乏に生まれたかったと願った時がある。
両親は地元で有名な大きなお店を経営していた。
だから欲しいものはある程度買ってもらえた。
美味しいご飯もよく外食に行って食べさせてもらった。
みんなが憧れるような可愛い洋服も買ってもらった。
旅行は行きたいところに連れて行ってもらった。
たぶん誰もが羨む生活をさせてもらった。
とても恵まれた環境だった。
その当時、貧乏になりたいと願った時がある。
そう思わせたのは両親の喧嘩。
両親は普段が仲がよく、二人とも大好きだった。
そしてとても尊敬していた。
だけどよく大きな喧嘩をしていた。
本当に本当に大きな喧嘩だった。
原因はお店の経営方針の不一致。
大人になったら分かるけど、
当時は子供ながらにその喧嘩が大嫌いだった。
とてもとても苦痛だった。
喧嘩が始まると、私はいつも二階の部屋に逃げた。
部屋に入るとすぐに布団の中にうずくまった。
布団にうずくまってもなお聞こえてくる、怒号と泣き声。
頭が割れそうに痛かった。私も布団の中でわんわんと泣いた。
この世から消えてしまいたいと思いながら、心の中で願った。
「神様、貧乏でいいから仲の良い家族になりたいです」と。。。
今改めて思い出すと、本当に嫌な記憶。
残念なことに、この出来事はしばらく私のトラウマとなった。
「いいことばかりあると悪いことがおきる」こんな考え方が身についた。
ひっそり目立たないように静かにように生きようと思った。
謙虚に波風立てずに生きようと思った。
次第にいつも人から褒められると、
「そんなことないです」と答えるようになった。
いつの間にか人を否定するようになっていた。
謙虚にしているつもりが逆に人を否定してしまっていた。
そして自己肯定感を低くしてしまっていた。
過去や両親のせいにしてしまっていた。
本当に未熟だった。逆に環境に恵まれてたのだと今思う。
このことに気づいたのは30歳。
「にゃーーーーーーーーー」
相棒がお腹すいたと言ってきた。
この続きはまたにしよう。
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