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本を手に取るとカバーの次に奥付を見てしまう

それは、過去の職業病がクセになったままだから。


本を手に取ったあとの行動。
まず手に取って、カバーを見る。
顔を見て、その本が何を伝えたいのか、どんな想いがあるのか
自分で感じられることと、向き合う。

そのあと、大体は前書きとか目次とかに目をやるのだろうか。

僕はそのあと、必ず奥付を見てしまう。

これはもう過去の職業病。
奥付から刊行日と印刷所
編集者は誰か、デザインは誰がやっているのか
校正はどこかに出しているのか
行き過ぎるとその場で自ら「校正」をし始める。
誤字ないかとか、レイアウト崩れてないかとか。

奥付にデザイナーが載っていない場合は
大抵目次の最初か最後のページに入ることが多いので
そこまで追いかけて、この本はどのデザイン会社が担当しているのか。

一時期、これは現役の書店営業職だった時だけど
「このデザインはこの会社」だとわかるレベルにまで達して
会社の先輩とカバーだけを見て「このデザイン会社だよね、この表紙」と言って
奥付をチェックすると合っていた、なんてこともやっていた。

遠かった、過去の記憶。
奥付だけでも、自分の中にはストーリーがある。

奥付の校正は、毎回怖かった記憶。
「絶対に間違えるなよ」っていうプレッシャー。
いまも奥付を見るときは、なぜか背筋がちょっとピンとなる。


最近、日曜日は3週連続で近くのカフェにこもって
ひたすら文章をゴリゴリ書くことが続いていた。

今日も来たので、4週連続のカフェごもり。

なのに今日は、今までのように書けない。
「書きたいスイッチ」が全然入らない。

昨日、珍しくお酒を飲んで、まだ身体にアルコールが残っていて
頭の中が冴えないからかもしれない。

それだけの理由だとしたら、なんだか情けないなと思う。

やりたいこと
やってみたいこと
表現したい
書きたい
そういう思いは、間違いなくあると思う。

ただ、たぶん、いま感じている違和感を解消するには
「壁打ち相手」が必要なのかもしれない。

話し相手というか。

自分の想いを咀嚼して、誰かにぶつけて
そこから相手の意見ももらって
混ざり合って、fixされていって、丁度いい温度になる。

そういう場とか、時間とか、何より相手が欲しくなっていた。

自分のように本質的には「誰かにかまってほしい」タイプには
ひとりで何かを創ること、表現することには、限界があるのだろうか。

ただ、ここは、ちょっと突破したい。
「誰かがいないと出来ない」ということを
できる限り無くしていきたい。

もちろん「自分でもできる。けれど、あの人と一緒にやりたいから何かをお願いする」みたいなことは、たくさんあると思うんだけれど。

一度、どんなカタチになったとしても
自分の思うことをすべて自分自身で表現して、カタチにしたい。
そこまでいって、初めて何か自分の中に
「落ち着き」みたいなモノが生まれるのかもしれないな、って。


「お前なんて結局、何も出来ない。不自由なヤツだ」って
僕自身が、自分に怒鳴り散らしていて。

そこがトラウマみたく働いているせいで
激しい自己否定とか、表現できないとか、動けないとか、言えないとか
あらゆる意志への不自由さを生み出しているような気がしている。

そこを剥がさないと、いつまで経っても前に進めない。

もちろん、誰かと比べてしまえば
一瞬で消えてしまいそうな火だとしても
そもそも誰かと比べることなんてのが論点間違っていて
「自分はどうか」
「お前はどうなのか」
「あなたはどうなのか」

それだけだから。


僕はいま、30年くらい剥がせなかったモノを
初めて、どうにかして剥がそうとして、もがいている。

その最中。

かんたんなコトではないし、できるかもわからない。
やらないという選択肢もあるし、変わらずに上手く立ち回ることもできる。

ただ、そういうことは、もう難しいところまできた。

たとえどんな状況になってしまうとしても
「やる以外、生きられない」っていう。

生き方を、自分自身に、問われている。

だから表現するしかない。
背水の陣。

こんな状況になって、表現する人が他にいるのか。
書いている自分も頭おかしいなと思うところがあるし
コレ絶対、誰にも理解されないだろうなと思うけれど
なんかもう、やるしかないんだ、と。

とにかくやってみて
そのあとに「じゃあ、どうするのか」
ようやく、考えるチャンスが生まれる。

表現すること、書くこと、何かをカタチにすること
イコール、いまの自分を「生かす」こと。


理由はわからないけれど
最近「死」について考える。

それは以前、うつが酷かったときみたいな
漠然とした「死にたい」ではなくて
「もし死が迫ってきたら、お前、今のままでいいの?」的な。

そんなことを頭に浮かべていた2日前。
突然血尿が出て、調べると危ないことがわかって、昨日病院へ。
医師からは「ガンの可能性もゼロではない」と、言われた。
とりあえず、検査して、結果は年明けに出る。

ああ、コレだったのか。
と、ちょっと思った。

悪いことは考えたくない。
もともと身体はめちゃくちゃ弱くて病弱な方。
今までなぜ、大病に無縁だったのか理解できないくらいだった。

もし、なんて、考えたくはないけれど
限界まで追い込まないと、自分は何もできないのかな、と。

ソレに関しては結果出るまで、一旦忘れて。

自分にとっての「今」は、2度と戻ってこない。
この1秒後にはすべてが「過去」になる。

1秒ごとに今を生きて、たくさんの過ぎ去った過去に想いを馳せて
僕らはいま、ここに存在し続ける。

この息が続く限り。
自分という存在で、表現し続ける。


「なんでもいいから、どんどん動こう!」

友人から送られてきたLINEのメッセージを胸に。

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