REASON and MEANING【時の使い方と幸福】
生きていると様々な痛みがある。理不尽と思えることも、表層の自分には、なぜこうなっているのかという理由がわからないこともある。
表層の自分にとってはそういった不可解な諸々が「はい、これ」と押し付けられるパッケージのような人生。たとえ、えっ、やだよ、と思っていても「生きなさい」と。
そんなこと聞いてないよ、希望してないよと、内心あたふたしながらも、この人生という舞台の退場の仕方も知らない。だから、寿命とやらが来るまで(それも、いつということを表層の自分は知らないのでロシアンルーレットのようなのだが)、翻弄されるがままに、でも、その中の何割かは「自分の意思」を実現しているのだと、それは間違いないんだと、希望を奮い起こしつつ生きていく人生。
REASON and MEANING
人生に意味を見出せる人は幸せだ。
私は明確には見出せないし、それを「作り出す」という行為も好きではない。宗教、精神世界やスピリチュアルの世界で打ち出される様々な「人生の意味」も、その意味付けが自分自身にとって有効な人だけ信じればいいと思う。
私はといえば、いくら自分を騙してみても、そこに浸かれるタイプではないと結論が出ている。
この世に「ずばりそのもの」を突いた真実の説明はない。説明できないようになっているのだ。
だからこそ、「理由」や「意味」の追究は道を間違えやすい。
答えが出せないもの、答えを知るだけの視野や理解力を持たないものに解明を依頼しているからだ。
そう、この世の私、個人の体とアイデンティティーを同一視している私にはその能力がないのだ。
そうそう! 体と自己を同一視していない「私」が本当の自己なんだよね! だから、その状態にとどまるのがスピリチュアルなんだよ! と活気づく人もひょっとしているかもしれないが、これについてはとても慎重に、以下の事実を述べたい。
私たちは確かに、真我そのものの「私」である。だが、生きていてその状態を体現できているとき、それそのものである「そのままの私」でいられるときというのは、まるで一瞬なのだ。
なぜ一瞬と表現しているかというと、ちょうど夢を見て、夢の中では確かに存在していたものが、起きるときれいさっぱり忘れられてしまう様子と似ているからだ。
確かにその人の「中に」あったのに、あたかもそれが失われてしまい、全然別の自分であるかのようにふるまい、そんな自己としての人生体験すらも積み重ねていく。それが現状の「人生」というもの。
現状の私たちはそのような覚醒の度合なんだよ、ということを、絶望することなく冷静に把握できるといいと思う。
――ここまで読んで、ずいぶん悲観的なことを言うじゃないか、との感想を抱く人もいるかもしれないが、私としては逆に、見かけ倒しや気休めではない実際の光を見出すためにこそ、こうした事実を見つめてきたつもりだ。
つまり、私のこのような側面は、転んでも転んでも「希望」を追求しているのだという「超ポジティブ人間」としての解釈もできる。
そのような私にとって、真実「そのもの」をこの世で見つけるのは不可能だと理解しているのだが(真実が「ない」ということではなく、どうしてもこの世での解釈を通さなければ体験できないため)、近いものというのはあって、「この世で体現できる、真我の状態にとても近いもの」を意識して実行できれば、それは差し当たっては十分じゃないかと思うのだ。
その内容を、あなたが興味があるならここで伝えておきたい。曖昧なものではなく、かなりはっきりと具体的に説明できる姿勢なのだ。
それは何か、どんな姿勢かというと、
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