芸術と創造へのパッション【あなた自身の表現を拡大する】

12月後半あたりからこんな現象が起こっていた。夢に、あるアーティストがかなりの頻度で出てくるのだ。
私はミュージシャンであるそのアーティストの曲を毎日と言っていいくらい聴いていたので、通常の意味では、この現象はそんなに不思議でなさそうに思える。しかし、ポイントはここだ。何年もそうしていたというのに、これまで夢にそのアーティストが登場することはなかった。

しばらくするとまた別のアーティストが夢に現れるようになったが、「音楽アーティスト」が夢に現れるという現象自体は続いた。1月の半ば近くなった現在もだ。

夢の中に登場する人物は自分自身の反映で、こちらの現実(体が起きて活動している普段の日常)に生きている人であっても「起きている間に見たことのある」その人とは違っている。
つまり、あなたの意識は表現の「シンボル」としてその人のイメージを使っており、夢の中の人物はすべて自分自身だ。夢の登場人物が携えてくる意味を理解するためには、あなたがその人に何を見ているか、何を感じているかを知ればいい。
(そして実はこのルールは、こちらの現実にも同じように適用される。詳しく学びたい方は★霊的な目覚めと創造★マガジン内の記事を。)

12月頃に私の夢に度々登場していたアーティストについては、自分がどんな意味を持たせていたかを探ってみると、「音楽への愛や創作活動」の象徴だと要約することができた。
それはブログで度々取り上げているBaby Eというアーティストで、★雑記・音楽★のカテゴリーに、彼について書いた複数の記事を収録している。

私は2017年にBaby Eを知って以来注目していたが、彼の立場は独特で、アメリカでの知名度はそこそこあるがブレイクしているというほどでなく、作品の歌詞を聴く限り本人は「アメリカン・ドリーム」的な成功を望んでいる節があるものの、本当にそれを目指しているのかどうかは謎だ。
というのも、私から見ると活動が妙にゆるやかだったり様子がわかりにくかったりして、独自のペースやあり方に徹しているように思えるのだ。
また、音楽のジャンル的にも人物の個性としてもティピカルに分けられない要素を持っており、そんな彼の作品を聴くと、音楽が好きだというまっすぐな思いはなぜかとても強く伝わってきて、単純に曲が私の好みに合っていたというほかにも共鳴する要因になっていた。

正月の頃の夢では、だんだん彼に代わって他にラッパーが現れ始めていた。
私が長年のヒップホップ音楽愛好者なのでこれ自体はよくあることだが、中でも印象深かったのは大御所、Dr. Dreの登場だ。
ドクター・ドレー - Wikipedia

大昔から曲も聴いているし知っているが、夢に現れたのは初めてだ。
夢の中で私がいた場所の社長あるいは校長的な役割という、Dr. Dreにあまりにもぴったりな役柄で登場してくれた。社長室か校長室に見える部屋を訪問すると、どっしりと椅子に腰かけて彼がいたのだ。

Dr. Dreの出演まで体験しては、一体、私が夢を通して自分の中のどんな進行を見ているのかがいよいよ気になる。
確かに音楽は私の人生を支えており、継続する趣味として不可欠だが、それがどうしたというのだろう。今に始まったことではないではないか。

そうこうするうち、今朝の夢によって、ようやく私は「自分の内にあるこんな要素を自覚して、より熱を注いで形にする過程にあるのか」と近頃の一連のメッセージを理解した。
その夢は、これまで以上に直に私の内を表現していたのだった。
昨年のnoteで流れを書いていったように、人生のある幕が2020年に完了し、その後何をしていくのかが完全にはクリアーになっていない私へのヒントにもなっている。

夢の内容と、どんな理解が訪れたかをこれからお話ししよう。

夢のアーティストを通して私の一部が語りかけていたこと

今朝の夢では、おそらくこちらの現実には存在していない、見たことのない日本人女性のアーティストが印象的な役割を果たした。若い女性で、自分で楽器も演奏する歌い手だ。

(以下、夢の内容)

私は音楽アーティストの集団のひとりだった。5、6人いただろうか。
バンドではなく、それぞれが自分の音楽をやっている。
その中の3人が、ステージを終えて連れ立って会場の廊下にやってくると、私たちと合流した。取材のカメラがついて来ていた。

カメラを前に、3人が特技を披露する流れになり、前述の女性アーティストが自分のスケボーを持ち上げてそれを壁にあてると、ドリルのようにスケボーによって壁に穴を開け、大胆にも次々とスケボータイヤを埋め込んだ(夢なので、こういうことも可能である)。
そして壁に設置されたスケボータイヤは、彼女が振動を与えると、それぞれ異なる音階を奏でるのだ。
驚いたことに、彼女はそうやって壁ごと楽器にしようとしていたのだった。

私はその様子を見て、「うわぁ、壁は大丈夫なのかな。取材だからテレビ局が許可していて壁の修理費用を持つのだろうか? 大盤振る舞いだなぁ」とか、彼女が壁に設置していく音階を聴きながら、「なんでドの音ばかりたくさん作っているんだろう、どんな曲にするつもりなのかな」とか、「このレの音は低くて、ほとんど半音下がった音だな……」などと考えていた(私には実際に絶対音感がある)。

やがてそこに、建物の大家さんや管理会社の人々が現れて、苦情を告げた。ドリルの振動や音楽がうるさいというのだ。
しかも、このアーティストたちの集団の中で、私が責任者らしい。

例の彼女はそんな状況もおかまいなしに作業を終えたところで、壁から少し下がって離れると、別の楽器を抱えて自分で演奏しながら歌い始めた。
その声はマイクを通したように響いて聞こえ、伴奏の楽器はエレキギターのようなくっきりした音質だった。それでも音はとがっていなくて、包み込むように心地よい、メロウなメロディー。

誰かが私の元へ来て、彼女に演奏をやめさせるよう、責任者として「何とか強く注意してくださいよ」という旨のことを言った。

そのとき、私はこう言っていた。

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