ちんまり身辺の生き物ニュース・目覚めたまま遊ぶエネルギー世界

この暑さの中でも毎日元気な野鳥や虫たちを尊敬。今日も彼らは絶好調。
セミたちの声は今やもう大合唱となって、シャラシャラシャラ……と音の大シャワーだよ。まさに今日の夕方から、ツクツクボウシも鳴き始めた。
☆先月セミの話題を入れた記事◆「エネルギーヒーリングの豆知識、見え方感じ方など+セミの音」

この記事は前半が身近な生き物ニュース(今回は野鳥、クモ)、後半は真我に目覚めたままエネルギーを扱うことの楽しさや次元上昇の話になるんで、よろしく。

野鳥たちの模様、調和し共存している

周辺にいる野鳥たちの様子を、彼らの賑やかな鳴き声によって知るとはなしに知ることは多い。先月の2つの記事◆「その声の正体は、オナガ【自然から受け取る光景】」と◆「早朝の野鳥体験+シンプルで分離のないエネルギーヒーリングを研究中」以来、私はオナガの声に注意が向くようになって、周囲で活動しているオナガの色んなパターンの鳴き方にもなじみが出てきた(家の者はいまだに「変な鳴き声の鳥」と親しみを込めて認識している)。

付近の野鳥ニュースとしては他に、今年2回目以降と思われる産卵・子育てに入ったヒヨドリがいるようだ。ヒヨドリの様子は過去何度か記事でふれてきたが(★ネイチャーコミュニケーション(生き物たちとの交流)★マガジンに収録)、今年の早春、2月に私が目撃して印象に残っていたヒヨドリの求愛行動と同じやりとりがごく小規模なオスとメスの間で最近行われていたんだよね。
2月の段階では一斉に多くのヒヨドリのオスが求愛のさえずりをし、メスとカップルになっていたのでそれはそれは賑やかだったけど、今回はそうではない。数羽の少数のヒヨドリの行動だ。ヒヨの繁殖期自体は4月末頃には始まっていたから(しかし、ヒヨドリは秋まで続く長い繁殖期で知られている)、今年2回目以降の産卵、もしくは遅い時期から産卵を開始する後発隊なのかなと(そういうつがいがいるのかどうか?)推測したのだった。

私は巣のありかまで追って行って見ているわけではなく、あくまで鳴き声や見える範囲での行動から状況を推測しているだけなのだが、それでもかつての私だったら知らなかったことを色々と知るようになった。

たとえば、意外に思ったのは、近隣の様々な野鳥たちは種を超えて仲が良さそうだということ。平和に共存している。
繁殖の時期を見ていても、複数の種の野鳥が全く同じエリアをうまい具合に時期をずらして順に使っているのだ。争っているのは見たことがない。
生存競争という概念には以前から疑問を持っていたが、私の着眼点としてはいかに自然界の生き物が見事に共存しているかにこそ驚いている。
種の異なる鳥同士が隣り合ってうららかにくつろいでいる姿など見ていると、種という観念を余分にインプットしているのはこちらだけかぁ~と私は思う。

ミスジハエトリの大将と初対面

もうひとつ私の身近なニュースとしては、家で初めてミスジハエトリと対面した。少なくとも、私の自覚のもとでは初めてだ。
今いる家の内外には複数の種のクモが生息しているのを知っているのだが、これまで私が最もよく見ていたのはチャスジハエトリだった。この家ではチャスジ、都内に住んでいた頃だったら専らアダンソン(こちらもハエトリグモ)と相場が決まっていた。
☆先月のハエトリグモの記事はこちら◆「クモへの今年の心情と、全生物に新たに実現したい夢」

ミスジ……は、ハエトリグモについて調べたとき情報をチェックしたことがあるものの、私の居住範囲とは何らかの形で被らないクモなんだなと思っていたのだ。

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☆写真は●ミスジハエトリ - Wikipedia からお借りしました。

それがどうだろう。先週、玄関の壁になかなか大きめのハエトリグモがいたので、私は◆「クモへの今年の心情と、全生物に新たに実現したい夢」の中で述べた通り、相手の正面の目のあたりをなにげなく見た。ハエトリグモとはその目の良さからかバシッと目が合うことを度々経験しており、このときも挨拶がてら相手の顔をごくわずかに覗き込むようにしていたのだ。
すると……。

「なんだ、やるかっ!」とでも言うようにそのクモははっきりと上体を持ち上げ、勇ましく触肢を振り上げてみせたのだ。
(ハエトリグモの「触肢」は人間の目から一見すると、もふっと毛が生えていて正面の目の下で合わせている短く太めの手のように見える。カニやサソリ感覚で言えばハサミのようにも見える。)

ハエトリグモからこんな風に威嚇されたことは初めてだった。それで私は、そのやや大きめのハエトリグモをまじまじと眺めた。すると、正面に見える目の周りがはっきりと緋色であることに気づいたのだ。その姿はさながら、緋色の隈取りをしている歌舞伎役者が「見得」をしているときのよう。

気に入った! きっとこのクモはオスだ。大将と呼ばせていただこう。
江戸時代には「座敷鷹」と呼ばれていた歴史を思い起こさせる格好良さではないか(座敷鷹については2020年7月◆「虫って私の何なのか【夢の中での訓練と恐れの根源】」の記事内で書いている)。

ちなみにこのとき、人間からすれば見回せる程度の同じ空間の中だが、クモ同士は認識しているのかどうかが定かではない数メートル先の距離にメスのハエトリグモがいた。オスがいるところからは連続していない別の壁の上にだ。このメスは私が近づいても、触れるすれすれまで指を出しても、じっとしていた。チャスジハエトリのオス・メスは模様で見分けられるのでメスだと思ったのだが、このときの私はまだどちらもを「チャスジハエトリ」だと思い込んでいた。チャスジの中にもあんな赤い色が特徴的なオスがいたんだ!? 調べてみよう、なんて思っていた。

それが、大将はミスジのオスだったのだ。
なんと……我が家にもミスジが。というより、今まで私が見逃していただけで元々ミスジがいたのか? いや、メスだったらチャスジと思い込んでいたという間違いがあるかもしれないが、あのように目周りが緋色のオスを見るのは初めてだ。うーん。

あのときいたメスの方はどうだったんだろう。チャスジか、ミスジか。今となってはわからないが、もしミスジなら、大将はあの乙女を追ってこの家に入り込んだ可能性もある。大将のいた場所は玄関だったし。
今までハエトリグモに威嚇されたことがないことを考えると、大将はこの家に不慣れで警戒するあまり気が立っていたのかもしれない(私の想像)。

今後、私が出会うのはチャスジなのかミスジなのか。我が家にいたと思っていたチャスジたちは、ミスジと共存するのか、それともどちらか一方のみがレギュラーの同居者になるのか。
あれから大将はおろか、ぱたりとハエトリグモを見ていないので、家の中のハエトリたちに人気の高いスポット(複数)付近を通るときにはすかさず、どちらかがいないか目を光らせたりしている。

★ミスジハエトリとのその後の記事はこちら★
「ミスジさん(ハエトリグモ)との共暮らし」

追い風に吹かれて進むような昨今!

そうこう身辺の生き物たちには変わらずに心動かされつつ、日常生活の流れやエネルギーに関して言えば、私は7月に入って以降はずっと「追い風」を感じていた。
とっとっとっとっ……と風に背中を押されて進むように自分の道に驀進していて、「逸れる」という感覚が消失していく。
地球規模の視野で見ても、あなた自身が選択した後の「分岐した道」が大方他の道と交わらなくなっていくことを、今月上旬の記事◆「地球分岐の扉の通過、自身の魂の進行を知る(夢と象徴の解釈例)」でお話ししたよね。

7月の私のnoteはエネルギーヒーリングの記事が続いたけど、夢の次元でも面白いことが沢山起こっていて、途中、挿入することを検討したトピックはいくつもあった。これらの中には地球を経験している私たちの大局的変化を示していそうなものもあった。

実は私個人としては、今になってあえてエネルギー世界をダイレクトに扱うことにフォーカスしているのは(私は以前からその分野に関わってはいるので)、次元上昇に関連しているものとして捉えている。

地球での自分の地面を半物質レベルに置くこと

これまでも、あなたが経験する現実はあなた自身で選べること、自分で経験する周波数帯・チャンネルを自分が決めていることをお話ししてきた。
(近頃の記事だと、◆「今年のヒヨの鳴き声は風鈴・地面とRangeは自分で決められる」などが該当。)

私たちは時間に拘束されている存在ではないが、地球の経験において現時点では直線的時間、あたかも過去、現在、未来と一方向に流れていっているかのような時間の観念を採用している。地球規模の変化、「次元上昇」というときにも、いきなり肉体や物質といった経験のなくなる次元には移行しない。

つまり、アセンションしました、非物質の世界になって物質的経験は完全になくなりました、という形にはならない(あなたがお好みならそういう選択の世界に移れるかもしれないが、おそらくこの時代を選んで地球に参加している時点でそれを望んではいない)。

厳密に言えばそれぞれの足をつける地面(ここでは象徴的な意味でそう言っている)をどの周波数に置くか、どのあたりを自分の「現実」とするかは各人で違ってくる。
しかし大筋、私の記事に興味を持って読むような人や、スピリチュアリティーの目覚めを通過した人であれば、すでに少し次元の上がった「半物質」の世界が地球経験での自分自身の地面になっていると言える。
これは具体的にどういうことか、お話ししよう。

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