黒ごきへの微妙な対応【全生物に I love you】

苦手な虫がいるという状態を克服して、生き物への博愛の姿勢をコンプリートした私だが(詳しくは★ネイチャーコミュニケーション(生き物たちとの交流)★マガジン内に収録した虫に関する話題をどうぞ)、その状態が本当に揺るぎないのかどうかを確かめる試金石たる存在は、クロゴキブリのほかにないのではないかと思っていた。

積極的には会いたくない。けど、彼or彼女と遭遇するほかに、自分のかつての恐れが完全に消えたのかどうかをテストするすべはないのではという認識があった。会いたくないけど、いつかは会って確かめねばならない。そんな思いが私の意識の中に芽生えていなかったといえば嘘になる。

果たして、昨日の夜、その機会に恵まれた。
父が、同じ地域に住む友人宅で晩ご飯を呼ばれ、自転車で帰宅し、手作りのお土産(よい香りの食べ物)までリビングで見せてくれたしばらく後に就寝(おそらくこのお土産のビニール袋が仇となる)。母は、その同じリビングでテレビを見ていた。
私はリビングとひと続きになっているキッチンを使うため、ややあってからリビングに入ると、ダイニングテーブルの陰の薄暗いスペースに黒い大ぶりの虫が鎮座しているのを見た。

都内で暮らしていた頃と打って変わって、今の家でごきぶりを見ることは稀だ。外から入ったか、何かにくっついてきてしまった場合以外、まず見かけない。家に生息している様子は確認したことがないのだ。
だからとっさに私はその虫を「コオロギ? あるいは、私の知らない秋の虫かな?」と思ったのだ。近頃、夜にはすっかり虫たちの音が秋の気配を感じさせてくれていたものだから。

それに実際、秋の夜長には、そうした虫のうち家に紛れ込んでしまった者と遭遇することが珍しくなかった。
私は穏やかで優しい気持ちを保ちつつ、一応「ごきぶりがいる」と声に出して母に告げた。今思えばその言葉は状況を正しく把握していたのだが、その時の私の気持ちとしては「万が一にもごきぶりだったときに、情報の共有と協力を母に要請する」つもりで、そうではないんだろうなと思いつつ不確定ながらもごきぶり宣言をしたのだった。

私はリビングの消されていた箇所の電気をぱっとつけ、その虫をよく見ようとした。母も立ち上がって見に来て、わりとのんびり悠々と歩く虫を見て、「ごきぶりではないよ。ごきぶりだったらこんなにゆっくり歩かない」と言い、コオロギの類ではないかと発言した。
母は虫がとても嫌いなのである。もし、ごきぶりだと確定していたらもっと嫌がったことだろう。

私は影の方、影の方を選んで移動するその虫を手近にあったランプで照らしたく思い、なんとか光をあてると、微妙な気持ちになった。
触覚が長い。背中の黒光り。すね毛。これ、黒ごきではないのか?

いや待てよ……後ろ脚はくの字に曲がって、ジャンプ力のある類の虫に遜色ない感じもなくはない。ごきぶりって、もっとぺったり平らな形をしていなかったっけ? この虫はメスのカブトムシくらいの大きさがあり、案外丸っこくて立体的な厚みもあるように見える。こんなに大きいごきぶりなんて、いくら何でもまさかね……(クロゴキブリは大きめであることを過去に体験済みであったが)。そう思いながら観察した。
でも、それなら、なぜ歩いて移動するんだ? コオロギ系の虫なら後ろ脚を生かしてジャンプしてくれてもよさそうなのに。

そうこうしているうちに虫は、電話機の置いてある棚と壁の隙間に逃げた。私はその隙間に薄い物を突っ込んだり、音の振動でおびき出そうとしつつ「カップ法」で捕まえて外に出してやろうと待ち構えていた。
カップ法とは今適当に名付けたが、2020年6月の記事◆「ゲジが教えてくれたこと・虫と鳥と私の恋と」内の最後のセクション、「室内に入った虫を傷つけずに外に出す、簡単な方法(虫が苦手な人にもおすすめ)」で説明した虫の捕獲方法である。

しかし相手は出て来ず、私はしばらくその場を離れてから再び、様子を見にリビングに戻ってきた。
あのあたりにまだいるのかな……と思いながら電話機の上を見やると、本体と受話器の隙間にその虫がいた(固定電話である)。

私は近寄って相手をよく見た。触覚が忙しく動いて、周囲の情報を収集しているようだ。けっこう小顔。かわいくなくもない。でも、黒光りしてるんだよな……これってごきぶりの特徴ではないのか。
いやいや、ごきぶりならばこんなに平静な気持ちで愛情まで持って私が観察できるものだろうか? きっとこれは何かしらごきぶりに似た他の虫だよ、そうに違いない。あとでネットで検索してみよう。

虫の胴体は受話器の下でよく見えなかったから、触覚と顔だけをまじまじと見た形だ。しかもこの状態では、虫獲り網でもないことには捕獲できない。
ちなみにこのとき私は一抹の疑いは抱きつつも、母の発言も手伝って相手をごきぶりと感じてはいなかった。

何か適した道具をと探しに行って戻ってくると、虫はまた棚の隙間に潜ってしまったようで出てこない。私は間もなくあきらめた。
その後、やや長電話(例の固定電話ではなく携帯で)をした後、再びリビングへ行ってみると。

すでに母が寝室に去り、明かりを落とした暗がりの中で、虫は改めて床の上に出て活動をしていた。ん……この光景、見覚えあるぞ。
夜に活発になるあの虫。いったん部屋にその存在を認めると、必ず翌日以降の夜にも律儀に姿を見せてくれる彼ら。錯覚や偶然なんかではなく、れっきとした同居者であることを知らしめてくれる。

……私の気配に気づいた虫は小走りに移動し、迷いながらも食器戸棚の下に潜り込んだ。その歩く姿や、食器戸棚の下に入った様子を見てようやく私は確信した。
この虫はごきぶりである。それも、特大の黒ごきぶりだ!!

殺生と調和

私は虫への愛情を持ちながらも、現在においてなお、を殺している。
使用は最小限に留めているが、家にある焚くタイプの殺虫剤で間接的に殺すことがあるし、直接殺すこともある。家には庭があるため蚊が多めで、家族が刺されている姿を見るにつけ、家の中にいる蚊は仕留めようという気持ちになる。今年は植物から作る虫除けスプレーを母が自作するなど家族も色々工夫はしているのだが。

なんの自慢にもならないが、エネルギー(気と言い換えてもOK)を感知できる私は蚊を仕留めることが得意だ。殺生のために使う能力ではないと自己を戒めつつも、血を吸う蚊を確実に射止めてしまう。
いつか、蚊に血を吸われること自体が起こらないほどのエネルギー的な状態を実現できればいいのだが。

そして今回、対応を迫られているのはごきぶりだ。
現時点での私は、この家にごきぶりが生息しているのをそのまま見守ることができるほど心が広くない。ごきぶりに対して、かつてのような恐怖や嫌悪がないにも関わらず、ここを暮らしの拠点にしてほしくないなと思うのだ。

一方で、あのごきぶりを見ていて私は、同じ生き物としての愛しさや親しみを感じた。以前からその傾向はあったが、今となってはそうした感覚を遮る障壁がないのだ。
コオロギその他の虫だったら殺さず外に逃がすのに、ごきぶりなら殺すの? でも、ごきぶりは結局、他の家に入り込んだって駆除されてしまうんだよ。そんな言い訳が自分の心の中に去来する。

現時点ではまだ、私はあの黒ごきと再び対面をしていない。とはいえ彼らは夜に活動しがちだから、きっと家族が寝静まった後に記事を打っているような私がまた、結局あの虫と出会って何らかの処理をするのだろう。

生き物の中には、旺盛な繁殖力を持ち、食べられたり殺されたり死んだりしても十分に子孫を繁栄させられるような数を見込んでいる生態がある。
だから、殺すことにいちいち葛藤しなくていい……というのはひとつの回答であるが、以前はここまで微妙な気持ちにならなかったことが、今の私の心には引っかかる。彼らの瞳に愛を覚えるようになると……

私の今の回答は、全生物と確実なコミュニケーションが取れるようになり、話し合えること、共存の答えを彼らから教えてもらうこと、学び取ることが理想かな。そして私は、その状態にまだ達していない。

I am that I am. 他の形態をとる「私」と、調和する心が私を導いてくれますように。

★この話の続きは◆「ごきぶりは都会の虫だと母は言う・私の黒ごき試験の結果」


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