すべてに効くコントローラー

2023年が明けて早々に私は、自分のnoteでもっとできることはあるだろうかと思案していた。
後述する具体的なあれこれを検討していたにすぎないのだが、そうしているうちに、どんな「形」の決定も自分の動機と目的が明瞭でなければ根無し草のようなもので、何を選んでもこの先、生きないであろうと気がついた。

これから語る内容を踏まえて本記事は、
書くこと・執筆に興味がある人
仕事や、自身の活動において、決めたいことがあるけれど迷っている人
それまであった情熱が急に低下するような時期を体験している人、またはその時期を通過してきた人
形の選択(どれを選んだらいいか、何が自分に合っているか)に悩みがちな人、もしくは形を改善することで何かを解決しようとしている人
……のいずれかに当てはまる場合、特におすすめしたい。

私は2019年からnoteを使っているのだが、今のところまだ試したことのない比較的新しい機能の利用であるとか、自分の有料記事の提供の仕方の中で、購入する人がより使いやすくなるのはどんな形態か……などを単に、新年を機に見直しているつもりだった。

けれどもこうしたごくプラクティカルな切り口から思いがけず、執筆の目的の再確認をすることになり、さらには、近年のある一時期ぼやけかけていた1ピースが再びはまって、大きなひとつの絵として浮かび上がる発見があったのである。

渦中にあったときには見えなかった答えが、今は見えるということ――執筆者としての私のこの体験と発見は、あなたの心にかかる「もや」も解消する可能性がある。
記事の前半部では私個人のケースを例に挙げながら、後半部は特定のケースに限定されない本質的な内容を伝えていく。

何のために書いているか

私のnoteは文章の執筆が中心だが、内容は、以前開催していた講座と共通の意図のものがほとんどを占める。
つまり、私自身が「これは!」と思った人生の知恵、気づいたこと、スピリチュアリティーの道において経験し、会得し、思い出し、深めていったもの、実践と研究の成果などを、望む人に提供するために書いている。
結果としてこの活動が私自身の学習を強化するという効果はあっても、自分以外の誰かへ伝えるという明確な意図がそれより前にある。

だからもし、自分のための覚書、心の整理作業、表現活動……のみのために「書くことが好きか?」と尋ねられたら、私は別段書くことが好きだとは言えない。
むしろ自分の表現のためだけに使うには、文章はすべてを言葉に置き換える「制限」の側面があるので、いっそ言語化しないことを選ぶか、別の手段を選びたいと感じることも多くありそうだ。
ひとえに、私にとって有益だったことや伝えたいと思うことを「形にする手段」として書くことは自分に適しているし、楽しいとも感じるが、私の目的は伝達や発信であって「書くことそのもの」ではない。

そして、手段とは別の形態に代替可能なものだが、今の私が最もスムーズに行えて、なおかつ参加者にとっても自由度の高い形態が文章(記事)による情報の提供だと感じている。
かつて、定期開催していた講座を休止する頃に述べたことがあるが、日時の指定や特定の場での集合が必要ない「自分の好きなときに選んで、読む」という方法は、あなたのペースで、必要な分だけ情報を活用することができるというメリットがある。
また、イベントでままあることだが、講座に参加したそのときは精神が高揚し、わかった! という気持ちになっても、日常生活に戻るとトーンダウンする、忘れる、効果がフェイドアウトしてしまう……という落差を防ぐこともできる。
「読む」ことはあなた自身でできるし、繰り返すこともできるからだ。

書くことがなくなったかもしれないと感じていた時期のこと

このような目的でnoteに記事を書き続けている私だが、一時期、「書くことがもうなくなったのかもしれない」と戸惑ったことがある。
それは、★「霊的な目覚めと創造」というマガジンを一旦完了し、その後継となるシリーズの★「創造のマスターとして生きる」マガジンを始めていた2021年前半頃が該当するかと思う。きっかりとこの時期からこの時期までとは言えないが、その戸惑いの期間はゆるやかに続いた。

その期間も普段よりゆっくりのペースで書き続けていたが、あたかも言葉で伝えられることはおおかた伝えてしまったかのように感じたり、もしかするとこの先はもう、言語化して伝えたいほどの内容が再び(以前ほど多くは)出てくることがないのかもしれないという思いが度々浮かんできたりした。

この時期を通過した後に振り返って、執筆という面に特化してでなく総合的に気づいたことを書いたのが◇「興醒めゾーンを抜けたら、会得するもの」(2022年1月)で、同年12月には、さらに進展した立場から◇「奇跡がなくなるということ・見ている先にあるのはあなた」を書いた。

現在は「書くことがなくなった」とは全然感じないが、ここまで完全に執筆の意欲が戻ったからこそ、やっと「この地点」からあの頃何が起こっていたのかを霧が晴れたように見渡せる。すると私は、あることに思い至ったのだった。

今また「書くことはまだまだある」と感じられて、意欲が湧いている背景には、自然と私が心を決めた「あること」があった。
これが、それ以前の私にとってはある程度自分を脅かすように感じられる「決断」だったのだ。

私が心を決める必要があったことと、書き続ける意欲との関係

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