奇跡がなくなるということ・見ている先にあるのはあなた
2022年を振り返って出てくる言葉は「変化」。これは今年になって急に何かが変化したのではなく、ずっと進行していた変化が決定的に戻れないところに達して定着したのが今年という意味。
そんな私の今年一発目の記事は「興醒めゾーンを抜けたら、会得するもの」(1月8日)だったね。そのことを忘れていたんだけど、今書いている内容がこの記事のアンサーソング的な働きもすると気づいて、思い出した。
そして、あの頃の自分を遠く感じもした。ああ、まだあれは今年だったのかと。心理的距離としてはもっとずっと離れているのに。
今となっては、まったく別の足場からものごとを眺め、感覚もそれに伴って生じてくる。
「人間をやっている」部分の私が思う内容は「職業(または配役)・人間」という演じもののようである。つまり、全身全霊でその思いに浸かるということはない。
それは自分に対してだけじゃなく、世界全体に対してもこの足場から眺めている。
すると、見え方の「ゆらぎ」は自分から発せられるものだということがよくわかる。
奇跡がなくなる感覚
外にものを見ているということが、まったく「外」ではないこと、何を見ても自分の投げかけたものが返ってくるのだということを完全に認識すると、これは「奇跡がなくなる感覚」を生きていると言ってよく、
読み誤らないでほしいのは、
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