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記事一覧
#20 何かに没頭したり、何かに悩んでいたりすることが「若さ」なのではなく、戻るべき過去がないこと自体が「若さ」である、みたいなはなし
あの時確かに深刻に考えていたことも、今振り返ると実は全然たいしたものではなくて、むしろ「そんなことで悩める自分」に何か、若さの片鱗というか、今となっては絶対に享受しえない芳醇な何かを感じたとき、ぼくは「老い」を感じる。そして、この一年で「老い」を感じた最たるものが、創作に対するそれであった。
ぼくはかつて、自らの分身を失ったことにより創作活動の続行を見込めなかったことからしばらくの間活動を休
#19 「それよりも他にやることがある」人たちは声をあげることはないが、かといってそうではないひとたちが勝手にその人たちのぶんの声をあげることは(立場が違うので)できない、みたいなはなし
SNSを漫然と見ていると、戦争はここにも広がっているのだなと感じることが多くなった。特に、話者の身分を簡単に偽れる世界では、本当の情報なんてきっと数えられるくらいにしかないのではないかと思い知らされる。
SNSで何かを語る人間は、例外なく「それよりも他にやることがある」ひとたち「ではない」ということもわかってきた。「仕事」で何かを語っている人もいれば、他にやることがないから語っている人もいる
#18 生理的嫌悪は時として知識や感情を超えてくる、みたいなはなし
大規模な食中毒事件と、それに付随するSNSの動きを見て、なんともいえない気持ちになっている。当事者が(図らずも)飲食業界に与えた衝撃は非常に大きい。そして、一度毀損された信頼というものはそう簡単には戻らない。思うに、この信頼というものの厄介さと、それを容易に破壊しようと試みる社会の不安定さは、SNSという情報伝達システムの寄与が大きい。それについては、まとまったときに書くかもしれないし、書かない
もっとみる#17 「生まれてきた」ということを受け入れるのは意外と難しい、みたいなはなし
子どものころから誕生日という概念が苦手だった。未だに「誕生日を祝う」ということそのものはよくわかっていない。単にぼく自身が生まれ落ちた日であり、それはうるう年も含めて366パターンのうちのひとつでしかない。誰にもコントロールしようもない属性で「おめでとう」というのは、やはり何度考えてもよくわからなかった。まして、生まれたことそのものに関してさして幸福性や肯定感を得られているわけでもない(なんなら
もっとみる#16 先輩が後輩に飯を奢る時、後輩に対する「下心」以上に、バトンを絶やさないという単なる使命感のもとで行動しているかもしれない、というはなし
仕事柄、先輩や上司にランチに誘われたりすることがそれなりにある。職場の風習なのか、休日に出勤したりすると必ずと言っていいほど上司に「ゴチになって」いる。これはそういう風習の世界の話であり、おそらくそれが「ある/ない」という境界線の先では全然違う話になるものと思われる。ぼくは大学時代から「ある」線で生きているので、そこに両足で立ったような書き方をする旨ご了承いただきたい。
ということで、そうい
#15 乗り越えられない試練に直面したとき、「正面から突破しようとして死んでしまった自分」と「逃げることによっていきながらえた自分」に分裂することができる、みたいなはなし
文学フリマ東京がかなり盛会だったらしい。同人誌即売会というものに出展しなくなって久しいが、かつて見ていた景色が大きくなっていくのはなんだか寂しいのと、個人的にはあまり向かって欲しくない方向に行っているなという感覚だけがある。
即売会というものはもともと苦手で、だいたい押しかけてくる他人に応対する、などというのはぼくにとっていちばん苦手なものなのに、何をどうしてそんなことを延々とし続けなくては
#14 人生はなるようになるしなるようにしかならないということを身をもって知った、みたいなはなし
いろいろなところで書いているためいまさら、という方も多いと思うが、ぼくは今年の春に結婚したばかりで、実はつい先週結婚式を挙げその足で新婚旅行に行ってきたばかりである。もともとそんなつもりはなかったが旅行支援政策のパターンにぴったりと当てはまってしまい、申し訳ないくらい旅行の費用が浮きいろいろな得がたい経験をした。その経緯や様子などについては別のところで書こうと思う。
また、妻については雰囲気が
#13 若さを失ったとき、ひとは身だしなみを気にするようになる、みたいなはなし
ずいぶん前に1000円カットに通っているというはなしをしたような気がする。だいぶ前だったと思うし、もしかするとそんな記事は存在しない可能性もあるので探してリンクをはるのはやめておく。めんどうだし。
昔からそうなのだが、髪の毛が太く直毛な上に頭頂部は薄く側頭部が濃いので横にボリュームが出るわりに頭頂部が薄くなっていて、20代前半からすでに頭頂部で地肌が見え始めていて将来を悲観したものだった。とは
#12 アラサーで突然死する友人を横目に見ていたら次は自分の番かもしれなかった、みたいな感じの話
人生何があるかわからないものである。ぼくは今30歳で、自分より若くして死んだ知り合いを何人か見てきた。どれも突然死だった。自殺した知り合いを見ないのはかろうじて幸運なのかもしれない。おそらく。
若くして突然死するというのは、交通事故を除けば大抵脳とか心臓とかにある血管が運悪く破裂してそのまま、というケースが多い。成人前に亡くなったいとこは洗面台で倒れているところを親族に発見されたという。たしか
#11 おもしろいひとばかりが目の前からいなくなっていくということは、自分は全然おもしろいひとではないのだな、と気がつくことと同じなのではないか、みたいなはなし
職場は4月はじまりなので、3月末で定年やら転職やらで同僚や先輩、上司などなどけっこうな数のひとたちが退職していった。かつて上司だった気が合う先輩や、個人的に弟みたいな感じで目をかけていた後輩も昨年度で退職してしまった。職場はつまらないし、したがって職場にいるとつまらないのがふつうになっていくのがおもしろくてぼくはこの職場にいたし、今となってはここより待遇がよい職場がはたして見つかるか疑問だという
もっとみる#10 「小説を書きたい」という何の変哲もない普遍的な欲望について、もしくはおすしが好きなひとについて
なんというか、ここ最近特に何も出来ていないのと、プライベートの流れで本当に机に向かえていないので小説を書きたいという気持ちだけが強く出てしまっていて、これは危険だなと思う。
小説がどういったものであるのかてんでわからなくなってしまったし、というかぼくが今まで書いてきたものが小説であるという自信はなく(みなさんがそう思うならそれでいいのだろう、とは思うものの)、つまるところ自分が小説であると実
#9 何世議員かもわからないほど世襲を重ねた某エリート議員の顔がよぎるはなし
「郷に入っては郷に従え」ということわざがある。なにごともコミュニティには独自のルールがあり、その正当性はともかく、まずはそのコミュニティのルールに従ったほうがよいという意味のことわざだ。
もう少し正当性のあることへ置き換えてみよう。日本国内では日本の法律が適用されるので、いくらアメリカ人が米国内で携行を許可されていたとしても、その銃を日本国内で持ち歩けばそこそこの重罪になってしまい、警察に逮
#8 ほんとうに書くべきものがあるとき、ひとは「書くべきもの」ではなく、別の「書くべきもの」を書いてしまうというジンクスってあるよね、みたいなはなし
パソコンを新調し、ついていたワイヤレスキーボードが気に入らなかったので職場で使い始めたものと同じものでそろえようとした。職場では生産性の向上を第一主義としているので支給品のマウスとキーボードをやめてトラックボールとメカニカルキーボードを使っている。メカニカルキーボードはつい最近導入したが打ちやすくて非常にいい買い物だった。ただ予想通り打鍵音がうるさい。それでも赤軸という一番静かなもので、タイピン
もっとみる#7 「書くものがない」と書くとき、すでに書くべきものを「知っている」矛盾とどう向き合うのか、みたいなはなし
まだまだ夏から秋にはならなそうである。
あとがきを書くのが好きだ。というか、もはやあとがきを書くためだけに小説を書いているといっても過言ではないし、なんならぼくが書いているエッセイ的な文章はすべて文庫についているあとがきのパロディみたいなところがあったりする。だから同人誌であとがきに困っているひとを見たり、そもそもあとがきが不要だと思っているひとがそこそこいるのがカルチャーショックだった。文