ひざのうらはやお

元書き手。今はどんなものにも成り代われる球体の生物。

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    ひざのうらはやおのプロフィール

     この記事はプロフィール用に作成されたものである。普段のぼくを知らないひとがぼくの記事を読んだとき、「こいつはなにものなんだ」と思うはずだ。そのために、軽い自己紹介プラス経歴まとめとしてこれをプロフィール記事とする。 ひざのうらはやお(二代目) 平成初頭、暑い夏の日に生まれる。平成18(2006)年ごろよりひざのうらはやおを「襲名」し、ペンネームおよびハンドルネームとして活動を開始。平成19(2007)年ごろ、インターネットでの活動の場として自由創作サークル「木工ボンド班」

      • 新津意次短編集「ぶたを抱いた日」について

         ぼくが所属する「日本ごうがふかいな協会」には活動している書き手が2名義ある。ひざのうらはやおと、新津意次だ。  そして、この度本協会の主筆として小説創作を中心に担うこととなる新津意次の初めての短編集が、この度刊行される。編集しているのはぼく、つまりひざのうらはやおであるので、氏の全原稿を確認したうえで現在編集中である。  そこで、本作の広報の一環として、新津意次の初短編集「ぶたを抱いた日」について、刊行前レビューを行おうと思う。  総論  新津意次という書き手をぼくが評

        • 令和4年と令和5年のはなし

           年末年始休暇も最後になったのと、一応は毎年1年のけじめとして去る年を振り返り来る年の展望を書く、ということになっているので、「創作TALK」という企画に乗っかり(もうこれも何年になるのかわらかないが……)、今年もやっていこうと思う。  令和3年同様、令和4年も創作そのものよりもプライベートと仕事が大きく変動した1年であった。よって両方についてまとめていこうと思う。ぼくのこのタイプの記事を読まれたことのある方はもうご存じかもしれないが、特に何か記録をつけているわけではなく記

          • #14 人生はなるようになるしなるようにしかならないということを身をもって知った、みたいなはなし

             いろいろなところで書いているためいまさら、という方も多いと思うが、ぼくは今年の春に結婚したばかりで、実はつい先週結婚式を挙げその足で新婚旅行に行ってきたばかりである。もともとそんなつもりはなかったが旅行支援政策のパターンにぴったりと当てはまってしまい、申し訳ないくらい旅行の費用が浮きいろいろな得がたい経験をした。その経緯や様子などについては別のところで書こうと思う。  また、妻については雰囲気がなんとなくハムスターに似ていることがきっかけで、こちら(インターネット上)では一

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            #13 若さを失ったとき、ひとは身だしなみを気にするようになる、みたいなはなし

             ずいぶん前に1000円カットに通っているというはなしをしたような気がする。だいぶ前だったと思うし、もしかするとそんな記事は存在しない可能性もあるので探してリンクをはるのはやめておく。めんどうだし。  昔からそうなのだが、髪の毛が太く直毛な上に頭頂部は薄く側頭部が濃いので横にボリュームが出るわりに頭頂部が薄くなっていて、20代前半からすでに頭頂部で地肌が見え始めていて将来を悲観したものだった。とはいえ別にどうでもいいなと思っていたし、正直なところ1000円カットだって捨てたも

            「nice meeting you」夏迫杏

             スピッツの「夜を駆ける」という曲がある。名盤「三日月ロック」の最初を飾る曲だ。イントロからサビ前まで一貫して同じフレーズを奏で続けるキーボードとアコースティックギターが印象的なこの曲はスピッツの音楽性を端的に、それでいて簡潔に表現し、歌詞と編曲が巧妙に衝動を巻き込むようなつくりでいわゆる「エモさ」において邦ロック界を牽引し制圧してきた同バンドの名刺代わりの曲といってもいいかもしれない。ぼくは少年時代、この曲から明確にスピッツにはまった。今でもこの曲から始まる「三日月ロック」

            新刊「宇佐見小説集 驟雨、あとを濁さず」について

             日本ごうがふかいな協会は、現在のところ、ぼく、つまりひざのうらはやおと新津意次によって結成されているひとりユニットである。  つまるところ、ひざのうらはやおも新津意次も同一人物が運用している名義上の存在に他ならない。そして、今回ご紹介するのはひざのうらはやお名義では最後の小説作品となるであろう、今夏新刊となる作品集についてである。  本作は、ぼくが純文学というものをなんとなく想像して書いてみた3つの中編小説が収録されており、いずれも架空の湾岸都市、千歳県宇佐見市を主な舞台

            #12 アラサーで突然死する友人を横目に見ていたら次は自分の番かもしれなかった、みたいな感じの話

             人生何があるかわからないものである。ぼくは今30歳で、自分より若くして死んだ知り合いを何人か見てきた。どれも突然死だった。自殺した知り合いを見ないのはかろうじて幸運なのかもしれない。おそらく。  若くして突然死するというのは、交通事故を除けば大抵脳とか心臓とかにある血管が運悪く破裂してそのまま、というケースが多い。成人前に亡くなったいとこは洗面台で倒れているところを親族に発見されたという。たしかくも膜下出血だったと聞いた。父方の家系は高血圧で、少なくとも父は今のぼくくらいの

            #11 おもしろいひとばかりが目の前からいなくなっていくということは、自分は全然おもしろいひとではないのだな、と気がつくことと同じなのではないか、みたいなはなし

             職場は4月はじまりなので、3月末で定年やら転職やらで同僚や先輩、上司などなどけっこうな数のひとたちが退職していった。かつて上司だった気が合う先輩や、個人的に弟みたいな感じで目をかけていた後輩も昨年度で退職してしまった。職場はつまらないし、したがって職場にいるとつまらないのがふつうになっていくのがおもしろくてぼくはこの職場にいたし、今となってはここより待遇がよい職場がはたして見つかるか疑問だということでとりあえずそういう活動はしていない。そして、やめていったひとたちは、定年や

            #10 「小説を書きたい」という何の変哲もない普遍的な欲望について、もしくはおすしが好きなひとについて

             なんというか、ここ最近特に何も出来ていないのと、プライベートの流れで本当に机に向かえていないので小説を書きたいという気持ちだけが強く出てしまっていて、これは危険だなと思う。  小説がどういったものであるのかてんでわからなくなってしまったし、というかぼくが今まで書いてきたものが小説であるという自信はなく(みなさんがそう思うならそれでいいのだろう、とは思うものの)、つまるところ自分が小説であると実感できるものを書かなければならないという焦燥感にばかりとりつかれてしまっていて全

            令和3年の総括

             今年もこの季節がやってきた。つまり、年度総括のお時間である。  ぼくが組織した(といってもほぼ個人活動なのだが)「日本ごうがふかいな協会」は会計年度と暦年をそろえている。つまり1月に年度を開始し、12月で決算を迎えるということになっている。そのため、年の瀬でこのような記事を書く時も、当然ながら決算を見こんだようなものを作れればと思っている。もっとも、実際の会計整理は10月を最後に止まっているので、まずはここから手をつけて、年末年始で棚卸しをするところからといったところだろう

            協会の「年間購読契約」の実施に際して

             先日、広報ブログで「年間購読契約の募集について」という表題で、表題通りの内容の記事を書いた。本協会は来年より新たに年間購読契約という形で、年間の負担金を前納してもらい、頒布物が出来次第事前に登録されていた住所に直接郵送で送り付けるというなんともありがた迷惑なシステムを始める。  背景も書いた通りで、つまるところ「この状況では今までのように漫然と在庫を抱えていても資金繰り面で今まで以上に厳しくなる」のに加え、「在庫も長いこと抱えていられないうえしばらくの間自分が即売会に直接出

            オカワダアキナ氏主催アンソロジー「BALM」への参加に際して

             オカワダアキナさんという、その筋にはそれなりに有名な書き手がいる。氏が主催のアンソロジーに参加させていただくこととなった。  どうにもすさまじい人数(40人以上いて、ぼくがよく知っている名前も全然知らない名前もあった)で、この中で生きるような文章を、と言われてもまず無理ではないか、と思ってしまう。ひざのうらはやおの文章は外連味がないから印象も薄い。よくアンソロ映えしない作風と言われる。それでも参加しようと思う。氏のアンソロジーに出てみたいという一心で。  そんなわけで遅れば

            #9 何世議員かもわからないほど世襲を重ねた某エリート議員の顔がよぎるはなし

             「郷に入っては郷に従え」ということわざがある。なにごともコミュニティには独自のルールがあり、その正当性はともかく、まずはそのコミュニティのルールに従ったほうがよいという意味のことわざだ。  もう少し正当性のあることへ置き換えてみよう。日本国内では日本の法律が適用されるので、いくらアメリカ人が米国内で携行を許可されていたとしても、その銃を日本国内で持ち歩けばそこそこの重罪になってしまい、警察に逮捕されてしまうだろう。「暴漢に襲われるから」という理屈で銃を持つことは通用しない

            #8 ほんとうに書くべきものがあるとき、ひとは「書くべきもの」ではなく、別の「書くべきもの」を書いてしまうというジンクスってあるよね、みたいなはなし

             パソコンを新調し、ついていたワイヤレスキーボードが気に入らなかったので職場で使い始めたものと同じものでそろえようとした。職場では生産性の向上を第一主義としているので支給品のマウスとキーボードをやめてトラックボールとメカニカルキーボードを使っている。メカニカルキーボードはつい最近導入したが打ちやすくて非常にいい買い物だった。ただ予想通り打鍵音がうるさい。それでも赤軸という一番静かなもので、タイピングスピードが最も速くなるものを選んだのだけれど、やっぱり少しうるさい気がする。文

            #7 「書くものがない」と書くとき、すでに書くべきものを「知っている」矛盾とどう向き合うのか、みたいなはなし

             まだまだ夏から秋にはならなそうである。  あとがきを書くのが好きだ。というか、もはやあとがきを書くためだけに小説を書いているといっても過言ではないし、なんならぼくが書いているエッセイ的な文章はすべて文庫についているあとがきのパロディみたいなところがあったりする。だから同人誌であとがきに困っているひとを見たり、そもそもあとがきが不要だと思っているひとがそこそこいるのがカルチャーショックだった。文庫のあとがきのあこがれからひざのうらはやおの書き手人生(人生というほど大げさなも