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#20 何かに没頭したり、何かに悩んでいたりすることが「若さ」なのではなく、戻るべき過去がないこと自体が「若さ」である、みたいなはなし
あの時確かに深刻に考えていたことも、今振り返ると実は全然たいしたものではなくて、むしろ「そんなことで悩める自分」に何か、若さの片鱗というか、今となっては絶対に享受しえない芳醇な何かを感じたとき、ぼくは「老い」を感じる。そして、この一年で「老い」を感じた最たるものが、創作に対するそれであった。 ぼくはかつて、自らの分身を失ったことにより創作活動の続行を見込めなかったことからしばらくの間活動を休止する宣言をしたことがある。令和になるかならないかくらいのことであるので、もう5
#19 「それよりも他にやることがある」人たちは声をあげることはないが、かといってそうではないひとたちが勝手にその人たちのぶんの声をあげることは(立場が違うので)できない、みたいなはなし
SNSを漫然と見ていると、戦争はここにも広がっているのだなと感じることが多くなった。特に、話者の身分を簡単に偽れる世界では、本当の情報なんてきっと数えられるくらいにしかないのではないかと思い知らされる。 SNSで何かを語る人間は、例外なく「それよりも他にやることがある」ひとたち「ではない」ということもわかってきた。「仕事」で何かを語っている人もいれば、他にやることがないから語っている人もいるし、何かの合間にどうしても救われたいと思って語る人もいる。それより他にやることが
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#16 先輩が後輩に飯を奢る時、後輩に対する「下心」以上に、バトンを絶やさないという単なる使命感のもとで行動しているかもしれない、というはなし
仕事柄、先輩や上司にランチに誘われたりすることがそれなりにある。職場の風習なのか、休日に出勤したりすると必ずと言っていいほど上司に「ゴチになって」いる。これはそういう風習の世界の話であり、おそらくそれが「ある/ない」という境界線の先では全然違う話になるものと思われる。ぼくは大学時代から「ある」線で生きているので、そこに両足で立ったような書き方をする旨ご了承いただきたい。 ということで、そういう世界にもう15年近くいる関係でぼく自身は年長者から奢られることに何の違和感もな
#15 乗り越えられない試練に直面したとき、「正面から突破しようとして死んでしまった自分」と「逃げることによっていきながらえた自分」に分裂することができる、みたいなはなし
文学フリマ東京がかなり盛会だったらしい。同人誌即売会というものに出展しなくなって久しいが、かつて見ていた景色が大きくなっていくのはなんだか寂しいのと、個人的にはあまり向かって欲しくない方向に行っているなという感覚だけがある。 即売会というものはもともと苦手で、だいたい押しかけてくる他人に応対する、などというのはぼくにとっていちばん苦手なものなのに、何をどうしてそんなことを延々とし続けなくてはならないのか、と思ってしまう。イベントに出ていた数年間はそれが当たり前だと思って