ひざのうらはやお

今はどんなものにも成り代われる球体の生物。

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    年間報告を見やすくするためにマガジン化する。

  • ひざのうらはやお裏ベスト短編集「こんにゃくの角で戦う大統領」

    知る人ぞ知る、ひざのうらはやおの裏ベスト短編集。数年前にベスト短編集「まんまるくろにくる」を刊行したときにひっそりゲリラ的に同時刊行された。noteの投稿機能のテストを兼ね全作を無料公開する。

  • 同人誌感想(カテゴリ4)

  • 日本ごうがふかいな協会マガジン

    月次報告を年間購読したい方向けに買い切りで作りました。

最近の記事

#20 何かに没頭したり、何かに悩んでいたりすることが「若さ」なのではなく、戻るべき過去がないこと自体が「若さ」である、みたいなはなし

 あの時確かに深刻に考えていたことも、今振り返ると実は全然たいしたものではなくて、むしろ「そんなことで悩める自分」に何か、若さの片鱗というか、今となっては絶対に享受しえない芳醇な何かを感じたとき、ぼくは「老い」を感じる。そして、この一年で「老い」を感じた最たるものが、創作に対するそれであった。  ぼくはかつて、自らの分身を失ったことにより創作活動の続行を見込めなかったことからしばらくの間活動を休止する宣言をしたことがある。令和になるかならないかくらいのことであるので、もう5

    • #19 「それよりも他にやることがある」人たちは声をあげることはないが、かといってそうではないひとたちが勝手にその人たちのぶんの声をあげることは(立場が違うので)できない、みたいなはなし

       SNSを漫然と見ていると、戦争はここにも広がっているのだなと感じることが多くなった。特に、話者の身分を簡単に偽れる世界では、本当の情報なんてきっと数えられるくらいにしかないのではないかと思い知らされる。  SNSで何かを語る人間は、例外なく「それよりも他にやることがある」ひとたち「ではない」ということもわかってきた。「仕事」で何かを語っている人もいれば、他にやることがないから語っている人もいるし、何かの合間にどうしても救われたいと思って語る人もいる。それより他にやることが

      • 令和5年と令和6年のはなし

         去年よりさらに遅れたスケジュールで、ぎりぎり松の内だろうというところでこの記事を書いている。一応毎年noteで振り返ってはいるし、今後もできるうちにやっておかないと、というところで、今年(厳密にいえば、去年)の振り返りをやっていきたいと思う。  今回も、令和4年と同様に、創作・ゲーム・その他(私事)の3分野に分けて振り返っていき、令和6年、今年の展望についても同様としていきたい。創作に費やす時間のほぼ倍くらいをゲームに捧げているので、これは妥当だろうと判断した。 令和5

        • #18 生理的嫌悪は時として知識や感情を超えてくる、みたいなはなし

           大規模な食中毒事件と、それに付随するSNSの動きを見て、なんともいえない気持ちになっている。当事者が(図らずも)飲食業界に与えた衝撃は非常に大きい。そして、一度毀損された信頼というものはそう簡単には戻らない。思うに、この信頼というものの厄介さと、それを容易に破壊しようと試みる社会の不安定さは、SNSという情報伝達システムの寄与が大きい。それについては、まとまったときに書くかもしれないし、書かないかもしれない。  学生のころ、振り込め詐欺がなぜなくならないのかわからなかった

        #20 何かに没頭したり、何かに悩んでいたりすることが「若さ」なのではなく、戻るべき過去がないこと自体が「若さ」である、みたいなはなし

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        記事

          短編小説「風に乗る」

           船には誰もいなかった。僕だけがそこに佇んでいた。だからきっと我に返れた。  甲板をぐるりと見回して、誰もいないことを確認した。  どれだけの乗客を載せていたのか、見当もつかないくらい大きい。この船はその昔、東京湾を往復するものとして動いていたらしい。内部にそんな説明書きがあった。生ぬるい風が穏やかに吹いている。甲板は濃い緑色に塗られていて、どこまでも薄く蒼く広がっている空と白い外装は不思議に調和していた。内部に降りる階段はなぜか洞窟のように湿っぽい。くぐり抜けるように入った

          短編小説「風に乗る」

          #17 「生まれてきた」ということを受け入れるのは意外と難しい、みたいなはなし

           子どものころから誕生日という概念が苦手だった。未だに「誕生日を祝う」ということそのものはよくわかっていない。単にぼく自身が生まれ落ちた日であり、それはうるう年も含めて366パターンのうちのひとつでしかない。誰にもコントロールしようもない属性で「おめでとう」というのは、やはり何度考えてもよくわからなかった。まして、生まれたことそのものに関してさして幸福性や肯定感を得られているわけでもない(なんならその逆の感情の方が多いくらいであるのだが)以上、「生まれた日」というのは単に「生

          #17 「生まれてきた」ということを受け入れるのは意外と難しい、みたいなはなし

          #16 先輩が後輩に飯を奢る時、後輩に対する「下心」以上に、バトンを絶やさないという単なる使命感のもとで行動しているかもしれない、というはなし

           仕事柄、先輩や上司にランチに誘われたりすることがそれなりにある。職場の風習なのか、休日に出勤したりすると必ずと言っていいほど上司に「ゴチになって」いる。これはそういう風習の世界の話であり、おそらくそれが「ある/ない」という境界線の先では全然違う話になるものと思われる。ぼくは大学時代から「ある」線で生きているので、そこに両足で立ったような書き方をする旨ご了承いただきたい。  ということで、そういう世界にもう15年近くいる関係でぼく自身は年長者から奢られることに何の違和感もな

          #16 先輩が後輩に飯を奢る時、後輩に対する「下心」以上に、バトンを絶やさないという単なる使命感のもとで行動しているかもしれない、というはなし

          #15 乗り越えられない試練に直面したとき、「正面から突破しようとして死んでしまった自分」と「逃げることによっていきながらえた自分」に分裂することができる、みたいなはなし

           文学フリマ東京がかなり盛会だったらしい。同人誌即売会というものに出展しなくなって久しいが、かつて見ていた景色が大きくなっていくのはなんだか寂しいのと、個人的にはあまり向かって欲しくない方向に行っているなという感覚だけがある。  即売会というものはもともと苦手で、だいたい押しかけてくる他人に応対する、などというのはぼくにとっていちばん苦手なものなのに、何をどうしてそんなことを延々とし続けなくてはならないのか、と思ってしまう。イベントに出ていた数年間はそれが当たり前だと思って

          #15 乗り越えられない試練に直面したとき、「正面から突破しようとして死んでしまった自分」と「逃げることによっていきながらえた自分」に分裂することができる、みたいなはなし

          今こそ選挙のはなしをしよう #2 どういう投票をすればいいのか

           さて、「投票」というのは「投票所」に行って投票用紙を投票箱に入れることであり、それにはそれなりの手続きが必要であるものの、選挙権さえ有していてちゃんと手続きに従えば投票できることは前回で述べた。しかし、実は選挙の投票といっても様々なものがあるし、どういう投票行動をとったらいいのかなんていまさら人に聞けないし、てきとーだと後が怖い、という方もそれなりにいると思われる。  そこで、ここでは、選挙の種類をおさらいしつつ、どう投票すればいいのか、についてぼくなりに調べた結果、ヒント

          今こそ選挙のはなしをしよう #2 どういう投票をすればいいのか

          今こそ選挙のはなしをしよう #1 選挙に行く方法

           先日行われた統一地方選挙の前半戦では、主に政令指定都市の首長(「首長」とは、地方公共団体のリーダーで、都道府県なら知事、市町村なら市町村長のことを同時にさすことのできるめちゃくちゃ便利なことばである。おぼえておこう)の選挙と、県議会議員選挙があった。基本的に国政よりも地方選挙の方が投票率が低くなるし、今回も国政と比較すると軒並み低い結果になった。ぼくは正直言うとこれを「もったいないなあ」と思っている。なぜなら、国政選挙、つまり衆議院議員選挙や参議院議員選挙と比較すると、地方

          今こそ選挙のはなしをしよう #1 選挙に行く方法

          新津意次短編集「ぶたを抱いた日」について

           ぼくが所属する「日本ごうがふかいな協会」には活動している書き手が2名義ある。ひざのうらはやおと、新津意次だ。  そして、この度本協会の主筆として小説創作を中心に担うこととなる新津意次の初めての短編集が、この度刊行される。編集しているのはぼく、つまりひざのうらはやおであるので、氏の全原稿を確認したうえで現在編集中である。  そこで、本作の広報の一環として、新津意次の初短編集「ぶたを抱いた日」について、刊行前レビューを行おうと思う。  総論  新津意次という書き手をぼくが評

          新津意次短編集「ぶたを抱いた日」について

          令和4年と令和5年のはなし

           年末年始休暇も最後になったのと、一応は毎年1年のけじめとして去る年を振り返り来る年の展望を書く、ということになっているので、「創作TALK」という企画に乗っかり(もうこれも何年になるのかわらかないが……)、今年もやっていこうと思う。  令和3年同様、令和4年も創作そのものよりもプライベートと仕事が大きく変動した1年であった。よって両方についてまとめていこうと思う。ぼくのこのタイプの記事を読まれたことのある方はもうご存じかもしれないが、特に何か記録をつけているわけではなく記

          令和4年と令和5年のはなし

          #14 人生はなるようになるしなるようにしかならないということを身をもって知った、みたいなはなし

           いろいろなところで書いているためいまさら、という方も多いと思うが、ぼくは今年の春に結婚したばかりで、実はつい先週結婚式を挙げその足で新婚旅行に行ってきたばかりである。もともとそんなつもりはなかったが旅行支援政策のパターンにぴったりと当てはまってしまい、申し訳ないくらい旅行の費用が浮きいろいろな得がたい経験をした。その経緯や様子などについては別のところで書こうと思う。  また、妻については雰囲気がなんとなくハムスターに似ていることがきっかけで、こちら(インターネット上)では一

          #14 人生はなるようになるしなるようにしかならないということを身をもって知った、みたいなはなし

          #13 若さを失ったとき、ひとは身だしなみを気にするようになる、みたいなはなし

           ずいぶん前に1000円カットに通っているというはなしをしたような気がする。だいぶ前だったと思うし、もしかするとそんな記事は存在しない可能性もあるので探してリンクをはるのはやめておく。めんどうだし。  昔からそうなのだが、髪の毛が太く直毛な上に頭頂部は薄く側頭部が濃いので横にボリュームが出るわりに頭頂部が薄くなっていて、20代前半からすでに頭頂部で地肌が見え始めていて将来を悲観したものだった。とはいえ別にどうでもいいなと思っていたし、正直なところ1000円カットだって捨てたも

          #13 若さを失ったとき、ひとは身だしなみを気にするようになる、みたいなはなし

          「nice meeting you」夏迫杏

           スピッツの「夜を駆ける」という曲がある。名盤「三日月ロック」の最初を飾る曲だ。イントロからサビ前まで一貫して同じフレーズを奏で続けるキーボードとアコースティックギターが印象的なこの曲はスピッツの音楽性を端的に、それでいて簡潔に表現し、歌詞と編曲が巧妙に衝動を巻き込むようなつくりでいわゆる「エモさ」において邦ロック界を牽引し制圧してきた同バンドの名刺代わりの曲といってもいいかもしれない。ぼくは少年時代、この曲から明確にスピッツにはまった。今でもこの曲から始まる「三日月ロック」

          「nice meeting you」夏迫杏

          #12 アラサーで突然死する友人を横目に見ていたら次は自分の番かもしれなかった、みたいな感じの話

           人生何があるかわからないものである。ぼくは今30歳で、自分より若くして死んだ知り合いを何人か見てきた。どれも突然死だった。自殺した知り合いを見ないのはかろうじて幸運なのかもしれない。おそらく。  若くして突然死するというのは、交通事故を除けば大抵脳とか心臓とかにある血管が運悪く破裂してそのまま、というケースが多い。成人前に亡くなったいとこは洗面台で倒れているところを親族に発見されたという。たしかくも膜下出血だったと聞いた。父方の家系は高血圧で、少なくとも父は今のぼくくらいの

          #12 アラサーで突然死する友人を横目に見ていたら次は自分の番かもしれなかった、みたいな感じの話