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「nice meeting you」夏迫杏

 スピッツの「夜を駆ける」という曲がある。名盤「三日月ロック」の最初を飾る曲だ。イントロからサビ前まで一貫して同じフレーズを奏で続けるキーボードとアコースティックギターが印象的なこの曲はスピッツの音楽性を端的に、それでいて簡潔に表現し、歌詞と編曲が巧妙に衝動を巻き込むようなつくりでいわゆる「エモさ」において邦ロック界を牽引し制圧してきた同バンドの名刺代わりの曲といってもいいかもしれない。ぼくは少年時代、この曲から明確にスピッツにはまった。今でもこの曲から始まる「三日月ロック」は「フェイクファー」や「ハチミツ」などの強力で商業的にも大成功したアルバムをもってしても依然としてそびえ続ける、ぼくにとってのスピッツの決定盤である。

 表題の作品も、おそらく夏迫氏にとってそういった「決定盤」的要素があるように思う。

 夏迫杏氏は、実はけっこう前からお名前だけは存じ上げていたのだが、「明らかに強そう」「そもそも自分がそんなに同人小説読める精神状態ではない時だった」「明らかに強い」「読んでしまったが最後ボコボコにのされるやろなあと思うとちゅうちょせざるを得ない」「明らかに強いような気がする」などの理由で積極的に手をつけずにいた。なんだその理由は、とつっこまれるかもしれないがぼくが読まない理由なんてたいていは「時間がない」か「準備が出来ていない」かのいずれかだ。実際のところ、今ですらそのどちらの状態でもあったのではないかと疑問ではあったが、少なくともぼくはいま、氏に出会えたことを幸運であったと感じた。感じることができたことが、少なくとも氏を存じ上げ始めた数年前とくらべてぼくが大きく変わった(もっと個人的にいえば、成長した)部分であるように思う。

 本作は、3篇の小説からなっている。巻頭に配置された「碧がはじく」、中心となっている「耳を鬻ぐ」、最後の「水のすみか」のいずれも、ありえたかもしれない、あったかもしれない未来に思いをはせているひとを中心に物語が進んでいく。過去と現在、そして現在とあるべき未来、あったかもしれない未来、やがて訪れるであろう未来が線路のポイント切り替えのように分岐しその上を電車が走り抜けていくような滑らかさと「片道」感がそこに通底されている。過去・現在・未来は「結果として」連綿とつながってはいるものの、それ自体は単なる瞬間の積層に過ぎない。したがって刹那の感情のやりとりだけでそれらは「あり得ていた」未来をぬりかえ、「やがて訪れるであろう」未来へと切り替わっていく。たまたま指を近づけた先にガソリンが気化していて、静電気で爆発的に燃え広がり周囲を焦げ付かせてしまうように、小さな変化の連続が未来へ決定的な変化をもたらす。ぼくが思うに、本作のもっとも優れているところは、こういった登場人物の人生の特異点ともいうべき瞬間を、そのものを描くことなく「描いて」いることにある。ああ、彼女たちはこういうことがあって今こうなっているのだ、というのを、氏のみずみずしくするりとした文体で鮮やかに語られていくのを目の当たりにして、ぼくはただ呆然とするほかなかった。
 ぼくは純文学がなんなのか実はよくわかっていない。ただ、少なくとも「語るままに語る」ことは純文学ではないことは確かだ。氏の小説は鮮やかに語られるために様々な趣向が施されている。しかしそれでいて、ぶれない芯を思わせるなにかが通底していて、それはおそらく、小説というものそのものに対する何か、畏敬というか、祈りのようなものを感じた。ぼくが感じただけかもしれない。少なくとも確実に言えるのは、ぼくは自分の文章にそういった祈りのようなものがまだまだ足りていないと切実に思ったことだけだ。まだまだひとの文章に学ぶことはいくらでもある。

 本作は純文学小説集であるが、当該カテゴリの中でぼくが読んだ同人誌の中では少なくともベスト3には入る出来であると確信しているし、これまで、ぼくは数年にわたって延べ数百の同人誌を読んでいるが、その中でも指折りの作品ではないかと考えている。もちろん氏以外にも、相当な書き手はいっぱいいる。ほんとうに、びっくりするほどいっぱいいる。ただ、氏ほどに「整った」書き手がはたしているだろうかと考えると、ぼくが出会ってきた中で考えるのであれば、そう多くないと思われる。それほどまでに氏は優れた書き手であり、本作はその力量を十分に示し切った「名盤」であるように思う。

 欲を言えば、氏のような書き手こそ、ぼくは超えていきたいと思いながら、静かに精進を続けるのみである。素晴らしい小説集でした。ありがとうございました。

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