#12 アラサーで突然死する友人を横目に見ていたら次は自分の番かもしれなかった、みたいな感じの話

 人生何があるかわからないものである。ぼくは今30歳で、自分より若くして死んだ知り合いを何人か見てきた。どれも突然死だった。自殺した知り合いを見ないのはかろうじて幸運なのかもしれない。おそらく。
 若くして突然死するというのは、交通事故を除けば大抵脳とか心臓とかにある血管が運悪く破裂してそのまま、というケースが多い。成人前に亡くなったいとこは洗面台で倒れているところを親族に発見されたという。たしかくも膜下出血だったと聞いた。父方の家系は高血圧で、少なくとも父は今のぼくくらいの年齢から降圧剤を飲み続けている。もちろん、ぼくもその体質を受け継いでしまっている。
 数年前から採血で異常値が頻出するようになり、中でも血圧とLDL(悪玉コレステロール)は管理対象に入ってからもうずいぶんになり、職場でも目をつけられていた。曰く、動脈硬化で突然死のリスクが高いとのこと。これまでのぼくはそういったアドバイスをすべて無視し続けていた。理由はいくつかある。まず自分より圧倒的に数値が悪い両親が六十になろうというのに健在であるということ。もうひとつは、そもそもぼく自身、長生きを特に希望していないし、いまの生活を変えて伸びる寿命なんてたかがしれていると考えていたからである。この考え方については今もそこまで変わってはいない。正直、ぼくが一般的な判断からしたら「異常」の範囲内にいることは何も「異常」ではないと思っている。元から「異常」なのだから。
 ところが、いくつかの要因が重なって、ぼくは最近少しだけ考えを改めた。つまるところこれらの数値を改善し、どうにか突然死を回避する必要(あるいは、精神的利得)が生じてきたからである。
 ひとつは、この生活を続けるとぼくが思っていた以上にはやく「その時」が来るかもしれないということを医師に指摘されたからである。実際著名なアーティストやクリエイターなどで今のぼく位の年齢で突然死されている方はそれなりにいる。現実的にも仲間が死ぬところを見てきた。実は明日死ぬかもしれないという感覚がここ最近で急激にリアルになってきた。それに恐れをなしたわけである。我ながらなかなかかっこわるいが、ひとつの事実でもある。
 もうひとつは、ぼくが突然死するとぼくが思っている以上に困る人間が出てくる、という現実的な理由である。かつてのぼくは、誰にも迷惑をかけず死ぬ分にはいつでも死んでいいだろうと考えていた。実際、今でもその考え自体は変わらない。ただ、現実問題として「誰にも迷惑をかけずに死ぬ」ことは現代社会、とりわけぼくが生きてきている環境下では極めて難しい、というよりも実質的に不可能であるということに気づかされたのだ。
 繰り返すが、人生というものは何があるかわからないものである。ぼくは結局つい数年前まで思い描いて順調に敷いてきたレールが何もかも間違っていた(正確に言えば、目的地そのものを変更することにした)のですべて敷きなおして今ここでこうしているので、誇張でも説教でもなくほんとうに人生なにが起こるかわからないものであるなあと感じている。自分がいかに身勝手に生きてきたのかをここでいまさら反省しつつ、結局のところぼくのような考えでろくに健康管理をしないで創作にいそしんでいる若きますらおたちはまだまだいるし、その中でぼくのような反省をせずに突然死を迎えてしまう人間がいないとも限らないので、ぼくが健康状態を回復する様はある程度記録に残した方がいいかもしれないと思った。そんなわけで最近はハッシュタグをつけて血圧と体重情報を公開している。血圧はなかなか下がらないうえにひとたびストレス要因があるとすぐに上がってしまう。すぐ上がるくせに全然下がらないという難儀な代物である。降圧剤なしでの節制は無理があるかもしれないので先日ついに処方されてしまった。来週は検査入院も控えている。ただでさえ高めの医療費がどんどんかさんでいく。もっとも、これで突然死のリスクをある程度回避できれば、もっといえば「回避しようと努力した」のならばそれでいいし、安いものだとも思う。
 そんな中で仕事は繁忙期を迎え、自身のなかでは最も難しい小説集を編集し、その他もろもろの身辺整理もまだ済んでいない。つまりどこを向いてもストレスばかりであるが、どうにか切り抜けていきたいと思っている今日この頃である。

おすしを~~~~~よこせ!!!!!!!!おすしをよこせ!!!!!!!よこせ~~~~~~!!!!!!!おすしを~~~~~~~~~!!!!!!!!!!よこせ~~~~!