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【短編】独占禁止⑸

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独占禁止を主張するグループは、平等を守るものとして自らを「Soldiers For Equality」、通称・SFEと称した。SFEは「人類の真の平等」を掲げた計画の実現を目指して、活動をはじめた。

SFEによって最初に槍玉にあげられたのは、転売だった。

個人がある商品を買い占め、価値の高騰を図り、元値との差額で儲けようというこの商法は、独占禁止の対象とするにはうってつけだった。SFEは転売によって供給が不足し、平等が崩壊しているという問題の根源的な原因を、買占めに見たのである。

『疫病流行時の品不足!転売による物価の高騰!すべての元凶は「買占め」にあり!「買占め」という名の独占を、我々は即刻禁止にすべきである!』

これは彼らの行進の際に唱えられたスローガンである。このように、転売をきっかけとしてSFEは「買占め」を平等崩壊の諸悪の根源として糾弾しはじめた。

すると、人々はこぞってSFEを支持しだした。中には、面白半分でこれを支持したものもいたが、統計によれば各国の国民の大半は大真面目にSFEの主張を支持していたのである(もっとも、このデータ自体がすでにSFEによる捏造である可能性は否定できないが)。世間の想像以上に転売への不満は溜まっていたのだった。

そうして、独占禁止が主張されてからものの一ヶ月で買占め禁止法は制定され、世の中から転売は消え去った。

この成功に味を占めたSFEは、平等を盾にあらゆる独占を糾弾していった。

次に標的となったのは、SNSだった。当時は、インターネットを介して各自がアカウントを作成し、そのサービス内で情報を送受信することができるSNS(ソーシャル・ネット・ワーク)サービスというものが盛んであり、人々の大半はそれらを使い、コミュニケーションをとっていた。

しかし、SNSは多くの問題をはらんでいた。誹謗中傷、デマ情報の氾濫になりすまし。匿名が及ぼす影響は多大で、いつしか「自由」のもとに発言や写真などを投稿して楽しむはずだったSNSは、人々がむき出しのままぶつかり合う、殺伐とした荒野になっていたのだった。

何よりSFEの目を引いたのは、それが差別の助長を促していたからであった。特定の人種を迫害したり、異性を過剰に攻撃したりするような言説が、なんの規制も受けることなく、平気ではびこっていたのである。

その現状をSFEが問題視しないはずはなかった。そして、彼らはSNSの解体に着手した。突き詰めて考えれば、その原因はそもそものアカウント所有にこそあるのではないかという結論に至ったのである。

個人に「自由」なアカウントの所有を認めることで、そこには当然「自由」な言説が発生しうる。それこそが、差別の助長、ひいては人類同士の対立を生んでいるのだ、彼らはそう考えた。

そして、SFEは平等という大義名分のもと大胆に活動をはじめた。世界各国でデモ行進を行ったり、SNSを使っている企業の商品の不買運動を展開したりするのはもちろん、時には暴力さえも辞さなかった。すべてはSNSの全廃を実現するために。

その頃にはSFEの勢力は信じられないスピードで拡大しており、世界中の有名人たちはこぞってSFEに加入していたし、すでに各国政府の一部にもメンバーが潜り込んでいるほどだったこともあり、SFEの活動は大きな成功を収めることになった。

転売禁止法の改定である。各国政府はこれをSFE法と改称し、平等のもとの独占禁止を実現するための法律として作り変えたのである。このSNSの撤廃は第一条の買占め禁止に次いで、第二条に据えられることになった。

そうして、数々の成功を経験したSFEは遂に禁断の領域に踏み入った。

著作権である。著作権とは、作品を作り出したものが持つ権利であり、その作品の使い道を決める権利は作者に帰属するというものなのだが、しかし、これは見方を変えれば、作品の独占になる。その現状をSFEが許すはずはなかった。

彼らはいつものように活動をした。しかし、流石のSFE会員の中にもこれには賛同できないというものが現れた。著作権は作者を守るという観点から文化の発展に欠かせないものであり、SFEの活動はあらゆる人々の創作の「自由」を脅かしかねないという危機感を覚えたのだ。

しかし、その抵抗はあまりにも遅すぎた。これらの人々が違和感を覚えはじめた時には、もうすでに政府はSFEに陥落していたのである。それどころではない。もうSFEは世界中を支配しつつあったのだ(私感では身の回りの九割はSFE会員という有様だった)。

それでも、彼らは懸命に抵抗した(この手記では、彼らのことを敬意を込めて「賢人」と呼ぶことにする)。賢人は歴史を持ち出して、「自由」がいかに人を人たらしめるものなのかということを滔々と語り回った。

けれども、誰も彼らの言うことに耳を傾けはしなかった。というのも、賢人はなまじ賢いがために、説明が難しくなりがちで、理解され得なかったのである。大半の人々の目には、メリットが複雑難解でリスクも大きい「自由」などより、危険もなく平和に過ごすことができそうな平等の方が、何倍も美しく映ったのだった。

さらに、賢人も当然、平等の偉大さを知っていた。それ故に、たとえ嘘であっても、平等を貶すことはできなかったのだ。その結果、恐るべきことが起きた。それも、尋常ではないスピードで。

SFE法が改定されたのである。「第三条・作品の独占禁止」。この瞬間、SFE法施行から早一ヶ月にして、著作権は廃された。

思えば、ここが転換点だった。人類はついに「自由」の放棄に足を踏み入れたのである。ここから、SFEの活動はますますエスカレートしていくことになる。

それから、SFE法はますます肥大化していった。

買占めの禁止はあらゆる商売の禁止に、SNSの全廃は情報独占の禁止に、作品の独占禁止は創作の禁止に、それぞれ変化していった。

商品はすべて人類の共有財産としてSFEに生産を管理されることになり(これは昔、共産主義と呼ばれた思想に近い)、マスメディアは廃止されて情報はSFEを介して伝達されるようになり、作品は個人間の差を広げるものとして淘汰され、音楽も美術もファッションも、そして文学も、ありとあらゆる芸術やエンターテイメントがすべてSFEによって焼き払われた。

こうして、人類はSFEによって管理されはじめ、国が消滅した。何よりも人と人との間の格差を強調しているのは国だとみなされたのである。ここにSFEによる人類史上初となる世界統一が実現した。

それでもSFEの動きは止まらなかった。そして、ついに、あの忌まわしき法が施行された。

平等法。

これに伴い、SFE法は廃止され、すべてこの法に吸収された。改称ではない。吸収である。平等法は、SFE法だけではない、二つの軸で構成されていた。

一つはSFE法の流れを汲んだ「自由禁止法」としての側面である。これにより、あらゆる「自由」は消滅した。人々はその生活ないしその思想に至るまで、すべてを管理されることになったのである。こうして、起床から就寝まで、仕事から遊びまで、生まれてから死ぬまで、人間は皆同じ人生を歩むことになった。

もう一つは、SFEの初期理念の流れを汲んだ文字通りの「平等法」としての側面である。これは、世のすべての差を埋めることを目標にした法で、人類はこの法のもとに個を失っていった。

人々は考えた。なぜ人種差別が生まれるのか。なぜ女性差別が生まれるのか。なぜ人は対立するのか。

長い間、それらを巡る論争は解決されることなく、人々は疲弊し、いくつもの血と涙が流れた。それでも、争いは解決するどころか、むしろ激化していく一方であった。

平等法は、その終わりなき戦争に終止符を打ったのである。では、いかにして人類が長きにわたって解決することのできなかった難題をSFEは終わらせたのか。

SFEはそれらすべての元凶を「個性」に求めた。かつて、人と人とは何もかもが違った。先述したファッションも、顔も、声も、言語も、思考も何もかも一人ひとり異なっていたのである。

皮膚の色で差別が生まれる。外見の性差のせいで差別が生まれる。ならば、外見を統一してしまえばいい。こうした考えから、容姿が統一された。

白い仮面に黒い服。身体は視認することのできないよう見事に覆い隠された。仮面には決して外れることのないロック機能がつけられ、仮面を通して声はただ一つの声色に統一された。外套は、色で個体差が生まれぬよう全身黒に統一され、体型の区別ができないようにマントのような形に作られた。これが、今の私たちのスタイルの原型である。

こうして外見の「個性」を廃したSFEは恐るべき事実に気がついた。このままでは彼らがもっとも忌避すべき性質が、人類に搭載されてしまう。それは、あのSNSにまとわりついていた匿名性だった。

そこで、SFEはある技術に着目した。マイクロチップ。それを脳内に埋め込むことによって、人々の思考のコントロールを図ったのだ。

そして、会員は軒並みチップを埋め込まれた。それにより、SFEは会員の言語をはじめとする、様々な思考を制御できるようになった。こうして、SFEは会員の思考と行動の完全なる平等を達成し、あの長きに渡る対立を解決したのである。

しかし、まだ計画は完遂していなかった。「人類の真の平等」計画には、まだ先があったのだ。そして、いよいよ人類は滅亡の一途をたどることとなる。

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