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【短編】独占禁止⑴

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「人間は平等であるべきだ」

この考えには、私も首肯せざるを得ない。むしろ進んで頭を振りたくなるくらい正しい命題である。勘違いされることのないよう、最初にはっきり述べておきたい。人間は平等であるべきである。

だがしかし、この言葉はあまりに美しすぎた。誰一人として付け入るスキのないくらいに。

平等はかつて理想だった。当時は貧富の格差、男女の格差、人種の格差、様々な格差が存在した。信じられないかもしれないが、現実に平等はなかったのである。

口が裂けてもあの頃がよかったとは言えない。格差のせいで、どれだけの血が流れ、どれほどの命が失われたのかを考えれば、先人たちの努力は尊く、私たちは感謝の念を忘れてはならないだろう。

しかし、私たちは行き過ぎた。どこかで踏みとどまるべきだったのだ。平等は理想だからこそ機能した。そのことを私たちは誰一人分かっていなかった。

あの日を境に、平等は壊れてしまった。理想という殻から投げ出され、現実に堕ちた時、それは元の形を失った。平等は地上に溶け出し、私たちを包んだ。そして、それは確かに実現した。

人々は大いに喜んだ。遂に、真の平等が実現したのだと。これで誰かが傷つくことはない。みな、平和に、幸福に生きられるのだと誰もが信じた。

こうして準備は整った。平等は確かにあの時壊れた。しかし、それだけでは済まなかった。壊れたその時から、平等は虎視眈々と元に戻る準備をしていたのである。そうして、準備を終えた平等は、まるで古巣に帰るように、再び理想へと向かいはじめた。

平等に取り込まれた人類はもうなすすべがなかった。いいや、もはや誰も現実にとどまろうとしていなかったという方が正しいかもしれない。人々は平等の赴くままに理想に向かい、次々に現実から遊離していった。

時に、その流れにくさびを刺そうとする人間も現れたが、平等という命題の美しさの前には彼らの言説など無意味であった。人間は酸味も苦味も好むものだが、所詮甘味には勝てないのである。

かくいう私もかつては苦言を呈したこともあった。しかし、あまりにも無力。私は私が壊れてしまう前に一線から退いた。

それは間違いなく恐怖からであったことをここに記しておく。私は決して英雄などではない。また、死して英雄になるつもりなどもない。これは戦いから逃げた歩兵の雑記である。

しかし、私はここに歴史を記す。使命だなんて大層なものでは決してなく、これはせめてもの贖罪である。ちっぽけな自己満足である。

それでも、心のどこかで誰かに見つけられ、そしてこの手記が何か現状を打破するような働きをしないかと未だに夢を見ている。白状する。私は浅ましい人間である。

けれども、疑わないで欲しい。この記述に虚偽は一切含まれていない。私は一線を退いたあの時から、時代の傍観者であった。そこには一切の私欲も、私怨も、私感さえも含まれていない。ここに書かれていることは、おしなべて事実である。

もう時間がない。昨日から肌の感覚がないのである。温度も、痛みも、触感さえも、もう私のもとを離れてしまった。まるで宙にぽつりと浮かび上がっているようだ。

いや、ぽつりなどというのはただの理知的な感傷に過ぎない。見栄を張りました。私はもはや脳でしか私を認識できないのです。肉体的には私はどこにもいない。ただの思念体。私は私が分からない。

ああ、目も霞んできた。徐々に視力も無くなるだろう。私の命もほどなく尽きる。

手記よ、どうか誰かの目に止まれ。そして、愚かなる人類を諭せよ。

私は願う。いつか、この手記を読むものが現れることを。そして、何よりもそれまで人類が存続していることを。

ああ!人類に幸あれ!

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