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【2191字】2024.07.01(月)|月曜日は体調不良 → 脱線トーク

ここ数週間ほどだろうか、毎週、月曜日になると、体調を崩す自分が居る。どのように、と言われれば、一口で語るのは難しいのだけれども、一つだけ、と言われたら、「アラームの音で目を覚ますことが出来ない」と僕は答えるだろう。

そもそも、僕の生活習慣は、基本的に、不規則な方だ。これでもなるべく、一定のリズムで寝起きしようと、努めているつもりではある。あるけれども、一度ズレが生じると、なかなか、そのズレを解消するのが難しい。そんなライフサイクルで生活している。

自己啓発本だったか、健康関連の書籍だったか、どっちかは忘れたけれども、とあるインフルエンサーが執筆した本によると「起床時刻と就寝時刻は一定にすべし」とのことらしい。僕はそれを忠実に守ろうとしている。まぁ心掛けだけは立派で、実践出来ていないのが、現状なのであるけれども。

僕にとって、起床時刻と就寝時刻を一定にすることは、とても難問のように感ぜられる。というのも、僕の場合、1日24時間の使い方を、僕の裁量で、大部分を決めてしまえるからだ。極端に言えば、超スパルタな毎日を送ることも出来るし、超ゆるゆるな毎日を送ることも出来る。”良くも悪くも出た結果は自分の責任”というスタイルなわけである。

当時、数多のしがらみに、がんじがらめとなっていた僕は、この”自分の裁量で決められる”というライフスタイルに、大変憧れた。元来、”言われたことはキチンとやらなければいけない”という気質が強いタイプである僕は、必要以上に、プレッシャーを感じるケースが目立っていた。「肩の力抜いていいよ?w」という文言を、何度言われたことがあるかは、数知れず。そのたびに「あっ、すぐに分かるぐらい、肩に力入ってるんだな、俺って…。」と、更に、肩に力が入ったものだ。(アカンやん!/セルフツッコミ)

▶「肩の力抜いていいよ?w」

このセリフは、僕に言わせれば、NGワードだ。とはいえ、面と向かって「それはNGワードですよ」と言ってのける勇気は、さらさら無いのだけれども。

もしも僕なら「この人、肩に力が入ってるなぁ…。」と感じたら、ストレートに「肩の力を抜きなさい」と指示をするのではなくって、「”結果的に肩の力が抜けた”というシチュエーションに持っていくにはどうすればいいだろうか?」と考える。その上で、具体的な行動を選択するよう心掛けている。

具体的な行動は、相手の関係性や、その時々の状況等、様々なケースで変わってくるため、一概には言えないのだけれども、例えば、親密な間柄で、緊張を要する場面で、「肩に力が入っていて上手く行きそうにないなぁ…。」と思ったら、その場には全くそぐわない話を、ポンッと出したりするかもしれない。「こんなところで何言い出すねん!」と、ツッコミが返って来そうな、つまらない話を。

自分で言うのもなんだが、僕は、そういうことに関しては、割と得意だったりする。真顔でダジャレを言う、みたいなやつ。普段はそんなに得意じゃないんだけどね。自分で言いながら自分で笑っちゃう悪癖が顔を出す。だけど、用意周到に行なえば、割と得意なんだなこれが。”この発言は真顔で言ってこそ笑いが生まれる”というのを、肌感覚で覚えているんだと思う。これでも、関西生まれ関西育ちですから。「全然関西人っぽくない」ってセリフは、両手でギリギリ数えられるか、数えられないか、ぐらい言われてきたけれども。

そんなこんなで、ワチャワチャしていたら、スッと、余分な力が抜けていったりするものだ。「あっ、これなら、自然体に取り組めて、彼の持ち味が正しく発揮されそうだなぁ…。」と感じたタイミングで、スッと、「邪魔してすまんかったなぁ~」などと、能天気そうに呟けばOK。あとは、出た結果を受け止めればいいだけ。

「人事を尽くして天命を待つ」という言葉がある。これも、僕に言わせれば、「人事を尽くしたのか?」は、周りに悟られないぐらいがちょうど良いと思っている。経験則になるが、「ワタシは人事を尽くしました!」という空気感が充満している人は「天命を待つ」というスタンスを取ることが出来ない。芳しい結果が得られた時は、まぁ良いとしても、芳しくない結果を得てしまった時は「なんであんなに頑張ったのに!」という、悲劇のヒーロー(ヒロイン)を演じるケースが、非常に多い。繰り返し言う。あくまでも経験則に過ぎないが。

真の意味で「人事を尽くして天命を待つ」というスタンスを取れる人は、やはり、どこか、心のゆとりを、感じさせるナニカがある。”必死感”が無いのだ。「泰然自若」とでも言うべきか。こういう空気感を醸し出している人は、その場に居るだけで、周囲に安心感を与えることが出来る。それだけでなく、実際、出た結果が、良かろうが悪かろうが、やはり、落ち着いている。良くも悪くも、取り乱すことがない。

比較した書き方になって恐縮であるが、”必死感”が充満している人が、「人事を尽くして天命を待つ」みたいなスタンスを取ろうとすると、悪い結果が出た場合は、前述した通りだが、良い結果が出た場合は、「泰然自若」とは対極の「狂喜乱舞」とでも言うべき状態になっていることが多い。要するに、出た結果に対して、誰よりも喜べるからこそ、誰よりも悲しむことが出来る、というわけだ。

俺はいったい何の話がしたかったねん。(十八番/セルフツッコミ)

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