風の時代:正しさを追求するほどなぜ人は人間性を失うのか?
【風の時代:正しさを追求するほどなぜ人は人間性を失うのか?】
関東甲信地方は16日から梅雨明け!
夏らしい空の下、早めのランチを漁港の屋台で食べようと
妻と2人で外に出る。
自宅から歩いていくなら30分以上のところ
ダラダラ歩くのも何なので最寄駅からシーサイドラインを使うと
半分の時間は涼みながら移動できる。
こんな暑い日だからね。
光合成しようとも思うけど。
頑張るほどじゃあない。
ランチを終えた帰り道。
タイヤで走るこの手の電車。
ホームはどこも屋内仕様。
そんなホームにたどり着くと
端っこの方でなんだか「ざわつく」ような気配がある。
目を向けるとあらま?
マスクしていないオジサン(60~65歳ぐらい)がひとり。
まあ暑いからね~。
駅ではマスク着用のアナウンスがあるけど。
ワクチン摂取済みだったら、
そういう人がいてもね?
(政府もワクチンは感染予防じゃなく重症化予防って最近になってから言ってるのに誤解している人が多い。)
そうこうしているうちに電車が来る。
ドアが開いて
車両に入り、たまたま進行方向の席にすわる。
すると隣の車両からビミョーにざわつきの気配が伝わってくる。
よくみると、あのオジサン、マスクつけないまま乗車して、鋭い目線を周囲にむけている。
ははは、なんかヤンキーが「なんか文句あんのか!」って感じだ。
やっほ~懐かしい!(^-^)
まあヤンキーにはヤンキーなりのある意味反社会的な「正義」ってのがあったけど。
そういう「かまってちゃん!」の気持ちはよ~~~~~く分かる。
(こんな質問をして、そしてこの後の文章を観て不快になるようでしたらごめんさない)
Q:もしあなたが電車を乗っていて、目の前にそんな人いたらどうしますか?
・・・
こういう質問されるといろんな想いが湧き上がってきますよね?
「こうすべきだ!」
「こうあらねばならない!」
なんて感覚が湧き上がってくる人もきっといるでしょう。
でもこれだけいろんな情報が洪水のように溢れてる社会じゃあ
「正しさ」の基準も溢れかえっていて
もっともらしい研究結果なんかもいっぱいあるもんだから
どうしても小さな枠に囚われがちになるものなんです。
なにもそれが悪いって言ってんじゃないんです。
それがきっと状況によっては
誰もがそうなってしまうことなんですから。
ある意味研究オタクの御託って専門性が高ければ高いほど
正しかろうが結局、了見が物凄くちっちゃくなる。
とてもとても抽象度が低く
虫眼鏡をもって這いつくばって小さな蟻の生態を追求するかのような視野の狭さだから
さらに専門性が高ければ顕微鏡をのぞくほどに
とても具体的になっていく。
そんなもんだから
ちょっとの違いだって相容れないほどの
ある意味こころの狭いものになってしまいます。
こういう頭の使い方をしていると
思考をまるで物凄く速いテンポのメトロノームのようにやってるから
前頭葉(理性を担当する)がヘトヘトに疲れる。
コントロールなんてできなくなっちゃうから「理性」も失い「感情的」にもなりがちです。
だから「人間性」を失ってだれもが「動物」みたいになっちゃうのはしかたないんです。
脳幹周辺(動物脳)の人になっちゃう!
でも新型コロナってイタリアの解剖結果や神経科学の論文によればコロナのスパイクタンパク質って脳幹周辺に集まる習性があるんですよね?
もしそうならやっかいな奴です。(^-^)
動物性すら失って
ゾンビになっちゃう!
ひゃ~っ!
(もとい!脱線してしまいました)
虫眼鏡や顕微鏡の世界観とは逆に
青空を自由に飛び回っている鷹のような広く高い目線でみたなら
アリンコの世界のことなんてど~でもいい!って感じになります。
ミクロの世界なんてど~でもいい!
だって
そんなこと放って置いてもなるようになるもんだから。
「過去」に生きてる「正しさ」を捨てて
「今」ここに起こっていることをよく観て
もっと全体にとって意味のあるものにエネルギーを注ぐ方が
「これから」の新しい時代にふさわしいとは思いませんか?
新しい変化はなんでも「想定外」なんだから。
広い視野って結構思いやり深いんですよね?
こっちも「~ねば」で付き合ってしまう必要なんて
考えることすらエネルギーの無駄なんじゃないか?
議論することすら無駄で
もっと自分のため、大切な人のために
そのエネルギーを残しておいた方がいいかもしれませんよね?
同じ土俵に立って、ビビりの犬の喧嘩ように唾を撒き知らしながら吠えあうことなんてする必要ないんです。
正しくあるために口論になって飛沫をまき散らしていることにも気が付かないかもしれない。
それだったら本末転倒ですよね?
今あなたも私も生きているこの時代って
そういうもののうように感じられます。
でも虫眼鏡や顕微鏡を使いたいというのなら本人の自由なんです。
かつてインドの聖者であるシュリ・アンマ・バガヴァンはこのようなことを私たちに伝えてます。
The Awakened One responds from the heart.
The unawakened one reacts from the head.
目覚めている人はハートで応答※する。
目覚めていない人は頭で反応する。
※responds:応答=responsibility(責任)-応答ができる(関り続ける・つながりつづける)
反応って知性がたりない感じしませんか?
聖者とか覚者って禅問答と同じでとても抽象度の高い言葉を伝えることが多いです。
抽象度が高いのですから、いろんなことに当てはめることができるので
それを経験を通じてあなたの知性や財産として
言葉では表現しきれないほどの恩恵を受けとれたりするんですね?
ですから
こういう教えもあります。
The Awakened One lives in the moment.
The unawakened one lives in the past or the future.
目覚めている人は瞬間に生きている。
目覚めていない人は過去または未来に生きている。
The Awakened One does not blame others.
The unawakened one blames others.
目覚めている人は他人を非難しない。
目覚めていない人は他人を非難する。
The Awakened One does not know.
The unawakened one knows.
目覚めた人は、知らない。
目覚めていない人は、知っている。
The Awakened One follows the Flow of events.
The unawakened one tries to control the Flow of events.
目覚めている人は出来事の流れに従う。
目覚めていない人は出来事の流れをコントロールしようとする。
こういう教えを聞いて、一つの教えに対して最低でも1週間向き合うとココロの奥底に言葉では表現しきれないほどの叡智がやどり始めます。
(ここにご紹介している教えは一般に公開されているものです。ちなみに僧侶のみ伝えられるスートラは最低でも1ヶ月~数年かけて指導者(導師)のフィードバックを受けながら向き合うものなので秘密とされています。)
そして昨日の気づきでもっとも響いた教えはこれです。
The Awakened One makes use of conditioning.
The unawakened one is made use of by conditioning.
目覚めた人は、条件付けを利用する。
目覚めていない人は、条件付けに利用される。
あらゆる情報は発信者の意図がありますからね?
条件付けって
・子供の頃の刷り込みとかプログラムされてしまった個性とかの意味合い
(※利用する=個性を活かす!)
だけじゃなく
・情報=意図が込められた刷り込みも条件付けだと
私には感じられます。
テレビもYoutubeなども刷り込みですよね?
(心理学的な手法を使っていますから。)
ですから、なるべく
そのような情報はどんなに正しそうでも「利用する側」として
あくまでも「道具」として扱って
発信者の意図(条件付け)に利用されないようにすると
もっと思いやりをもって人に向き合えるように
なるのではないでしょうか?
昨日の気づきをつらつらと書きました。
執筆中の本にも修正加筆して載せようかなと思っています。
長い文章ここまでお付き合いいただきありがとうございました。
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