山田と太一の物語 #04
ピエロの八代
私はピエロ。ピエロの八代と申します。みなさんはピエロがお好きですか?私はまぁまぁ普通に好きです。
私のピエロ好きは子供の頃からで、みんなが空中ブランコなどでキャーキャー言う中、私はピエロの踊りに人一倍黄色い声援を送っていました。
そんな少々痛い子供だった私が、何故そんなにもピエロに憧れを抱いていたかというと、とてつもない仲間意識があったからです。
私の家庭環境は複雑でした。私は母の浮気相手の種からできました。その為、本当の父親を知りません。そして、母は私を産んで間もなく病死した為、私は父親の再婚相手に育てられました。その為、本当の母親を知りません。
なので私は、物心ついた時から周りの人間に対し人一倍の気を遣いながら生きてきました。真実を知らなければそうならずに済んだのですが、ひょんなことからそのことを知ってしまい、幼い頃から大変な苦労を強いられてきました。
そんな、現実世界をピエロのように生きてきた私にとって、サーカスでおどけるピエロたちは、ヒーローであり憧れの存在でした。
「ピエロになりたい、ピエロになりたい……」そう願い続けた私は、高校を卒業するのと同時に、すぐさまピエロになりました。
頭にパーマを当て、顔にタトゥーを入れ、某ディスカウントショップで衣装を買い込み、堂々と街へと繰り出しました。雨の日も、風の日も、某有名物語風に言うと、雨にも負けず風にも負けず、どんなに体調が悪くたって、私は街でおどけてみせました。
えっ?それで食っていけるのかって?無理無理。だって、ただおどけてるだけだもん。働きもせずにパントマイムだもん。
じゃあどうやって生計を立ててたかって?そりゃー泥棒だよね。うん。そうです、私があの有名なピエロ強盗です。&ピエロ強姦です。
御察しの通りすぐに捕まります。だって、目立つもん。だって、ピエロだもん。それで家に忍び込んで物盗んで強姦してたらすぐ捕まるよね。うん。もう何十回捕まったか分かりません。
でもね、大体が無罪になります。何故かって?それは精神疾患だから。精神に異常をきたしているから。もうね、救いようがないくらいにイッちゃってるらしいよ。うん。
だからもう終わりにしようと思ってさ。今、国会議事堂前にきてんだわ。この日本の中核で大勢の人間を巻き込んだ派手な自殺をして煌びやかに散ろうと思ってね。うん。
「さぁさぁご覧ください!右手にはダイナマイト、左手にはライター!そう、私は左利き!」
「いやそこじゃないって!」なんて突っ込んでくれる友達がいたら、こんな風にはならなかったのかな……うん。それじゃあ、今から早速、点火、しますね。
さようなら。
二〇十五年五月十七日、この大勢の閣僚関係者を巻き込んだピエロによる国会議事堂爆破事件は、後世にまで語り継がれるような大惨事となり、今も尚人々の記憶から消え去ることはない。
尚、犯人であるピエロの八代孝昭は、奇跡的に一命を取り留め、精神疾患を理由に無罪放免となっている。
「危なかったな」
「あぁ、導火線に火をつけられた時は終わったと思ったけど、まさかあんなに長い導火線だったとはな」
「多分アイツは誰かに止めて欲しかったんだよ。そんな気がする」
「悲しいヤツだな」
「悲しいヤツだ……まぁ、俺が生み出したキャラクターなんだけどな!」
そう言っておどけながら、山田は美歩ちゃんの元へと駆け寄る。俺も足を引きづりながら、何とか二人の元へと辿り着いた。
「美歩ちゃん全然起きないからキスしてもいいか?」
山田が突拍子もないことを言う。
「バカ野郎!……俺が、する」
俺も負けずにトンチンカンなことを言う。
「じゃあ、恨みっこなしのジャンケンだ!」
「よーし、ジャーンケーン……」
「ふぁ~よく寝たぁ~」
バッドタイミング!何というバッドタイミング!
「あっ、お二人とも、おはようございまぁす」
美歩ちゃんがあくびをしながらそんな素っ頓狂なことを言う。
「いやいやいや、心配したんだからね、美歩ちゃん。身体の具合はどう?大丈夫?」
「あっ、そうだ!何かピエロみたいな人にアメ貰ってそれ舐めたら急に目の前が真っ暗になっちゃったんだった!」
「うわーきっとそれ睡眠薬か何かだね。くそーアイツ美歩ちゃんに何てことを!」
すると急に、山田が深刻そうな顔をして小声で俺にこう言ってきた。
「なぁ太一、アイツって強姦魔だったよな?もしかして、美歩ちゃん……」
「さぁ行こう、美歩ちゃん!気を取り直して次へ進もう!」
「おーう!」
俺は現実から目を逸らした。それが事実かどうかも分からないが、今はその話題をこの空間に生み出すべきではないと思ったからだ。
「ごめん」
山田がそう小さな声で言った。俺は「もう忘れよう」と言って山田の肩をポンと叩いた。
「で、次はどこに行くんですか?」
美歩ちゃんがもっともな質問をぶつけてきた。
「確かに。おい山田、さっきの紙に何かもっとヒントとか書いてねーのか?」
「うーん……」
ドーン!!!
山田がポケットからあのメモ用紙を取り出そうとした瞬間、どこか遠くの方から物凄い爆発音が聞こえてきた。
「何だ何だぁ!?何の音だぁ!?どっから聞こえたぁ!?」
「おい、あそこから煙が上がってるぞ!アレは多分、渋谷だ!」
胸騒ぎがした。何かとてつもないことが、あの場所で起こっているような気がした。
「でもあそこまでどうやって行く?走って行くには遠すぎるし、人っ子一人いないこの場所じゃあ電車やタクシーに頼るのは無理そうだぞ。どうする、太一?」
俺は毛をユサユサさせながら思考を巡らせた。ここはとても大切な分岐点のような気がした。どうする、俺?どうする、太一……。
「私、飛びます!」
これといった案が思い付かなかった俺に、美歩ちゃんがまさに天使の如く手を差し伸べてくれた。
「飛べるのか!?」
「分かりません!」
美歩ちゃんはきっぱりと言った。しかし、今はその可能性に賭けてみるしか方法はなさそうだった。
「よし、まぁとりあえずやってみよう!」
俺たちは美歩ちゃんの脚にしがみ付いた。美歩ちゃんの脚はとても柔らかくとても温かかった。そして、微かにピーチのフレーバーがした。
しかし、いつまで経ってもその脚が宙に浮くことはなかった。
「……ごめんなさい」
「いいよいいよ!仕方ないよ!」
「そうそう、太一が重かったんだよ」
「おい!俺は昔からスリムで……あっ」
忘れていた。俺は今とてつもなくマッチョで毛むくじゃらなんだった。
「うーん、でも困ったなぁ~あの有名なコプターとかどこへでも行けちゃうドアがあればいいんだけどなぁー」
「そうですねぇ~あっ、山田さん、その鼻とかプロペラ代わりに出来ないんですか?」
「ハハハハハ!そりゃあいいや!おい山田!その鼻思いっきり回してみろよ!」
「おいおい、いくらなんでもそれは…………」
ブーン!!!
あっ、回った。
「よくやった山田!」
「スゴいです山田さん!」
「いやいや嘘だろぉ~どうなってんだよぉ~頼むよぉ~」
そんな山田の混乱をよそに、その身体は瞬く間に宙へと浮かび始めた。
「おい、とりあえず早く掴まれ!このままじゃ勝手にどっか飛んでいっちまいそうだ!」
そう言われて、俺たちはすぐさま山田の脚にしがみ付いた。山田の脚は思ったよりもがっちりとしていて、俺は不覚にもドキッとしてしまった。そういえばコイツ、中学の時サッカー部だったって言ってたっけ。
「ま、前が見えない。頼む、二人とも、体重移動で何とか上手く俺を操縦してくれ」
俺と美歩ちゃんは必死になって山田を操った。右に左に上手く体重の移動させながら、懸命に山田の飛行をサポートした。
二人の息はとてもよく合っていた。きっとこのまま行けば難なくスムーズに渋谷まで辿り着けることだろう、とそんなことを思った瞬間、背後から耳を劈くような轟音が聞こえてきた。
「おい、何だこの音は!?」
山田がプロペラの回転数を上げながら言う。いや、鼻の回転数を上げながら言う。
「お菓子みたいに甘くはない現実を言ってもいい?……戦闘機が俺たちの周りを旋回してる!」
終わったと思った。でも確かに端から見れば俺たちは至極怪しい三人組だ。鼻プロペラで空を飛ぶ男、その脚にしがみ付いている毛むくじゃらのマッチョメンと安っぽい羽の生えた天使。現実問題、攻撃の対象にされても仕方がなかった。
「私たち、撃たれちゃうんですかね?」
「……うん、かもね」
「いや、太一、大丈夫だ。この感じ、物語だ!」
山田はそう言って鼻の回転スピードを更に上げた。俺はとりあえずその言葉を信じて物語を思い出そうとしてみた。
「時間がないぞ、太一!相手はもうミサイルを用意してる!急げ!急ぐんだ、太一!」
人間とは不思議なもので、追い詰められている状況でこそ真の力を発揮する生き物のようだ。俺は自分でも驚くくらいあっという間にある一つの物語を思い出した。
わがままだいすき
もしこんなことをする為に生まれてきたとしたら、俺は何て意味がないんだ。
今日も戦闘機に乗り悪者を追尾する。助手席には十歳くらいの男の子。それは俺の息子で、時折俺を助けてくれる。
見事に敵をやっつけ、熱い握手を交わし美しい旋回をする。そんな歓喜の瞬間に、どこからともなく女の罵声が聞こえてくる。
目を開けると、怒りに顔を歪めた妻の顔があった。ある女優に似た端正な顔立ち。見慣れた瞳から注がれる苛つく視線が目障りだ。
この女との間にはもう愛なんてモノはこれっぽっちも存在しない。今俺たちは親権争いの真っ只中で、最悪の泥沼離婚裁判劇を繰り広げている。
いや、待てよ。あぁ、そうか。それはもう終わったんだった。今、ちょうどそれは終わったんだった。俺は見事にその争いに敗れたんだった。そうか、さっきの妻の顔は喜びの表情で、罵声だと思った声も歓喜に満ち溢れた雄叫びだったんだ。もうそんなことすら分からなくなってしまったよ。
あぁ、今日も息子は泣いている。ごめんな、こんなお父さんとお母さんで。でも安心しろ。お前を生んだ時にはそこにしっかりと愛はあった。お前は愛に包まれて生まれてきたんだ。お前は望まれて生まれてきたんだ。それだけは覚えていて欲しい。
こうやって争うのもお前が可愛いからなんだ。お前が大好きだからなんだ。だからお前にも俺たちのことを好きでいて欲しい。嫌いにならないで欲しい。
我が侭なのは分かってる。だけど、お前にまで嫌われたら俺はもうやってはいけない。だからせめてずっと覚えていて欲しいんだ。新しいお父さんができても、ずっとずっと覚えていて欲しいんだ。ただそれだけでいいから。ただ、それだけでいいから……。
最後にもう一度だけ言う。
大好きだ。じゃあな。バイバイ。
轟音を轟かせ今にもミサイルを発射しそうだった戦闘機は消え、そこには何の変哲もない青空が一面に広がった。
「でかしたぞ、太一!」
「おう!あたぼーよ!」
「それじゃあ、飛ばすぜい!」
「おう、行ったれい!」
そんな軽快なノリのまま、俺たちはわずか十分ほどで渋谷スクランブル交差点に到着した。途中に何のトラブルも起こさずに、決して簡単ではない操縦をこなした俺と美歩ちゃんは、着地するのと同時にお互いの操縦の腕を讃え合った。
「いやぁ~美歩ちゃん上手かったねぇ~安定感あったわ」
「いやいやぁ~太一さんが上手だったから私も安心して操縦できたんですよぉ~全部太一さんのお陰ですぅ~」
「いやぁ~そうかなぁ~照れるなぁ~まぁ二人の相性がよかったんだよきっとぉ~」
「そうですねぇ~そういうことですねぇ~」
「いやいや違うだろ!まず俺の鼻に感謝だろーが!なーに二人で賞讃し合ってデレデレしてんだよ!おかしいだヨ!ワーイ!?ジャパニーズピーポー!だいヨ!」
「あっ、つかれさまでーし」
「ちゃっちゃちゃーっす」
「もういいよ!」
「どうもぉ~ありがとうございましたぁ~」
「おぉ~決まりましたねぇ~参加できて光栄です!」
「いやぁ~やっぱり美歩ちゃん良いセンスしてるよ!お笑い向いてるよ!俺たちトリオ組まない?」
「おっ、それいいねぇ~『やまだみほfeat.たいつ』、的なね」
「おいおい、何で俺がオマケみたくなっちゃうんだよ!」
「ハハハハハ、いやぁ~、しかしスゴいな」
「あぁ、何だこの戦場は?」
渋谷スクランブル交差点では、俺たちと同じように勝手に身体を変えられてしまったと思われる数十人が、あの最初に俺の前に現れた怪しい女と激しい戦いを繰り広げていた。すると、一人の女が俺たちの側に寄ってきて、希望に満ち溢れた声でこう言った。
「待っていたわ、太一くん!私のこと、覚えてる?」
頭に触角のようなものを生やしたその女は、俺の目をしっかりと見詰めながらそう言った。しかし、俺はその女のことをハッキリとは思い出すことは出来なかった。
「えーと……」
「高校の時同じクラスだった久保田だよな?」
持つべきものは友、いや、相方だ。すかさず山田が助け舟を出してくれた。
「さっすが山田くん!覚えててくれたんだぁ!実は私もね、あの女に選ばれてこの戦いに巻き込まれちゃったんだ」
「そっかぁ~それでその触角かぁ~」
「そうなのよぉ~。でもね、これ意外と便利でね、テレパシーが使えるのよ。だからね、太一くんのあの悪の組織と戦うっていう決意が私の頭の中に入ってきてね、私とっても感動しちゃってね、私昔からずっと太一くんのことが好きだったからね……あっ、いやそんなことはどうでもいいんだけどね、まぁとりあえずそれでね、その太一くんの決意を私がこのテレパシー能力を使ってみんなに伝えたらね、みんなすぐに集まってくれてね、今こうやってここで戦ってくれてるんだよね。ほら、懐かしい顔ばかりでしょう?」
「えっ?それってどういうこと?」
「実はね、ここにいるのは全員高校の時のクラスメイトなの。本当はね、日本中の人に伝えて警察とか自衛隊の人とかに戦ってもらおうとしてたんだけどね、このテレパシーって知り合いにしか通じなくてね、しかもこの特殊な身体にされちゃった人にしか通じなくてね、まぁでもそれでもいっかぁ~って思って知り合いにメール送るみたいにバンバン伝えてたらね、何とね、高校のクラスメイトにしか伝わらなかったの。あっ、正確に言うとね、三年の時に私たちと同じクラスだった人だけしかこの変な身体にされてなかったの。いやぁ~偶然って凄いよねぇ~」
よく喋る子だなぁ。こんな子だったんだ。にしても「ね」が多いよねぇ~。
「いやいやそれ、どう考えても偶然じゃないだろ」
山田が珍しく的を得た真っ当なことを言う。
「えっ?じゃあこれって、仕組まれた戦いってこと?」
「今の説明を聞いた限りじゃあ、そういうことみたいだな……」
俺は今日一番に頭が混乱した。いや、きっと俺だけじゃなく、山田も久保田さんも混乱しているはずだ。これも何かの物語なのだろうか?俺は必死になって思い出そうとしたが、その瞬間、何故か激しい頭痛に襲われた。今までに味わったことのないような、重く激しい頭痛が俺の脳を揺さぶった。
「戦いの状況はどうなんだ?優勢か?劣勢か?」
山田がまたもマジメなことを言う。コイツ、いざという時は頼りになるんだな。
「かなりの優勢で今のところ圧勝よ!と言いたいところなんだけど、残念ながらかなりの劣勢でとても厳しい状況よ。あの女、強すぎるわ」
「そうか……よし、太一!俺たちも一緒に戦うぞ!俺たちでアイツをやっつけるんだ!」
山田がいつになく頼もしく見えた。しかし、俺は箸を持つ方の足首を挫いていて十分に戦えないし、山田に至ってはただただ鼻の長い人間じゃないか。飛べるけど。
それでどうやって戦えというんだ?これではただの足手まといじゃないか。
「久保田、回復の技を使えるヤツとかはいないのか?」
山田がとても神々しく見えた。いつもとはまるで別人の山田がそこにはいた。
「いるわ!須房くん!こっちへきて!」
須房とはまさか、あの大柄でぽっちゃりとしたオタクのことだろうか?
「うーん」
そうだった。しかも高校の頃よりも一回り大きくなったような気がする。
「久しぶりー。さぁ、どこをペロペロすればいい?」
ん?ん?何て何て?
「久保田、コイツ何言ってんの?」
山田がすかさずツッコミを入れる。すると久保田さんが、申し訳なさそうにこう言った。
「あのねぇ、何でか分かんないんだけどねぇ、この須房くんのベロに回復の能力があってねぇ、だからねぇ、須房くんに傷を舐めさせるしかねぇ、傷を癒す方法はないんだよねぇ……」
最悪だった。そんなこと死んでも嫌だった。
「よし、まぁそういうことなら仕方ねぇな。太一、足出せ」
おいおいおい、勝手に決めるな!
「足かぁ~舐め甲斐があるなぁ~」
お前は何なんだ!ただの変態ではないか!もはや趣味じゃないか!
「太一くん、みんなの為に一肌脱いでください!いや、靴と靴下脱いでください!」
笑った。純粋に面白いと思った。俺は久保田さんのそのお笑いのセンスに負け渋々靴と靴下を脱いだ。そして、地面に座り、須房に全てを委ねた。
「いただきま~す」
俺は目を強く閉じて注射の時のように激しく顔を背けた。箸を持つ方の足首に何か生温いものが当たる。と思ったら激しく動き始め、幹部を集中的にまさぐり始めた。
「うわぁ~気持ち悪い」
山田が笑いながらそんなことを言った。くそーコイツめ。さっき褒めたのは帳消しだ。
「終わったよ~」
そんなことを思っていたら、あっという間に処置は終わった。
「早いな。本当に治ってんのか?」
俺は半信半疑だった。しかし、立ち上がった瞬間、その疑念は瞬く間に掻き消された。
「治ってる……治ってるぞ!山田!これ、本当に治ってるぞ!よーし、これでみんなと一緒に戦える!ありがとう、須房!」
俺はもう舐められたことなどどうでもよくなっていた。ただ今は苦しんでいるクラスメイト達を救いたいという気持ちでいっぱいだった。
「よし、行ってこい太一!」
あっ、やっぱりお前は行かないんだ。まぁ、そうだよな。分かってたよ。うん、分かってた。
「うし!行ってくるぜぃ!」
俺は一目散にあの女目がけて走っていった。治りたての箸を持つ方の足首は絶好調で、心なしか身体も軽いような気がした。
「覚悟!」
俺は強靭な爪を立て女に飛びかかった。女は必死に俺の攻撃をかわし、手の平から光線のようなものを出してきた。しかし、俺は動じることなくその光線を爪で跳ね返し、一気に奇襲攻撃に出た。
俺は圧倒的に強かった。俺が加勢してからはさっきまでの劣勢がまるで嘘だったかのように、瞬く間に形勢は逆転し、女を後一歩のところまで追い詰めることに成功した。
しかし、後はとどめを刺すだけという時になって、女が俺に幻術をかけてきた。俺は幻術にはめっぽう弱かった。仲間からは、「あの女はたまに幻術を使うけど得意じゃないのかとても力が弱いから大丈夫よ。絶対にかかることはないから安心して」と言われていたのに、俺は見事に異世界へと迷い込んでしまった。
そして、その間にクラスメイト達は全員やられてしまったのだ。俺は、己の無力さと情けなさを心から恥じた。
「フフフフフ。さぁ、後はアナタだけよ。自責の念に抱かれながら、苦しんでおやすみなさい!」
もうダメだ、終わった。俺のちっぽけな正義感のせいで、こんなにも最悪の展開を迎えてしまった。本当にごめんよ、みんな。本当にごめん……ごめんよ……。
すると、俺の目の前に天使の如く美歩ちゃんが現れた。そして、驚くほど力強く勇敢な言葉を発した。
「まだ私がいます!私が太一さんを守ります!」
俺は涙が出そうになった。ありがとう、美歩ちゃん。好きだよ、美歩ちゃん。でも、もう……。
「お、お前は!?」
女が急に慌て出した。一体どうしたのだろうか?美歩ちゃんはただの天使の格好をした人間のはずだ。いや、でもこの女の慌てよう……もしかしたら美歩ちゃんには何か隠された能力があるのかもしれない。
「おい女、何故そんなに慌てているんだ!」
俺は女に素直にそう聞いた。もう駆け引きしている余裕などなかった。しかし、それが功を奏したのか、女はまんまとその口を滑らせた。
「な、何も慌ててなんかいないわよ。そ、その女の羽が幻術を跳ね返すだなんて、く、口が裂けても、い、言えないわ!……あっ!」
勝ったと思った。山田、俺たちは勝ったんだ。もうすぐ訪れる最後の瞬間をあの世から見守っていてくれ、山田。俺たちの最後の勇姿を、俺と美歩ちゃんの初めての共同作業を、温かく見守っていてくれ、山田!
「美歩ちゃん、行こうか」
「はい」
そう言って俺と美歩ちゃんは、ジリジリとその女に近付いていった。女が幻術をかけてきたら美歩ちゃんの羽で跳ね返し、光線を放ってきたら俺の爪で弾き飛ばし、そんな風に完全に女の攻撃を封じ込めながら、完膚なきまでに追い詰めていった。
すると、女は諦めたのか、地面にへたりと座り込み、こんなことを口にした。
「まさか、人間達の反逆精神がこんなにも強かったなんてね。完全に予想外だったわ。あらかじめ得ていた、『人間は前倣え精神が発達している為、牛耳るのはとても容易である』という情報は誤りだったようね。仲間達に伝えておかなくちゃ」
仲間達?一体どういうことだ?他にも仲間がいるということなのか?まだこの戦いは続くのか?どうなんだぃ?!えぇ?!
もう訳が分からなくなって混乱してしまった俺は、まだ何か言葉を発しようとしていた女の口を塞ぎ、その首を引っ掻いて殺してしまった。
「さぁ、終わったよ。美歩ちゃん」
「よかったんですか?まだ何か話そうとしてましたけど」
「いいよいいよ。もう何も聞きたくないし。それよりさ……」
俺はそう言って美歩ちゃんを強引に抱き寄せた。美歩ちゃんは初めとてもビックリしていたが、全てを悟ったのかすぐに俺に身を委ねてきた。そして、俺たちは見つめ合い、その唇を……。
「おーい、二人とも~」
重ねようとした瞬間、聞き覚えのある声が聞こえてきた。
「山田?」
そう、山田だ。山田は生きていたのだ。きっとちゃっかりとした山田のことだ、最初から最後までずっとどこかに隠れて戦いを見ていたのだろう。全く、油断も隙もない男だ。
「山田さん!」
美歩ちゃんがすかさず山田の元へと駆け寄る。そして、熱い熱い抱擁を交わした後、何の躊躇いもなく熱く激しい情熱的なキスをした。
「えっ?えっ?えぇっ!?」
激しい頭痛が襲う。何で?何でだよ美歩ちゃん!何で美歩ちゃんが山田とキスしてるんだよ!?美歩ちゃんは俺と付き合ってるんだよね?あれ?美歩ちゃんは俺の彼女なんだよね?あれ?違うか。えっ?何で俺はこんなこと思うんだろう?あれ?おかしいな。あれ?前にもこんなことがあったような……あれ?あれ?おかしいな。あれ?あれ?あれ?あれあれ?
現実世界物語
ピーピーピー……。
「おばさん、こんにちは」
「あら、山田くん、こんにちは。いつも悪いわねぇ」
「いえ。太一くんの具合はどうですか?」
「相変わらずスゴく安定しているわ。ただ単に眠っているだけなんじゃないかって思うほどよ」
「……ホントにそうだといいんですけどねぇ」
「えぇ……それじゃあ、私は席を外すから、ゆっくりしていってね。今日も色んな話をしたり物語を聞かせてあげてね」
「はい」
もう三年か、太一。お前、いつまでそうやってズルズルと生きていくつもりなんだよ?なぁ、早く死んでくれないかな?お前が死んでくれないと俺、いつまで経っても辛いんだよ。お前がさっさと死んでくれさえすれば、俺の肩の荷も全部下りるんだよ。
なぁ、太一。今日はお前の一番好きだった、「山田と太一の物語」を聞かせてやるからさ、さっさとあの世へ逝ってくれないかな?なぁ、俺たち、友達だろう?親友だろう?頼むよ、太一。
美歩ちゃんはこれからも俺が幸せにしていくから安心しろよ。全部俺に任せてお前は早く楽になっちまえよ。なぁ、太一。
あぁ、そうか。お前は俺に謝って欲しいんだな?美歩ちゃんを寝取ったことを。お前を階段から突き落として植物状態にしたことを。
あーあ、ホントにめんどくさいヤツだな、お前は。昔っからそうだよ。お前は昔っからめんどくさくて糞マジメでそのくせ実力もないくせにとんでもない理想家で自惚れ屋で……そんなお前のことを俺はずっと大っ嫌いだったよ。反吐が出るほど大っ嫌いだったよ。
だから俺はお前の全てを奪ったんだ。女も、人生も、全て。全てをな。
あの時の気分はどうだった?親友に裏切られたと知ったあの時の気分は?絶望を感じたか?失望に狂ったか?怒りに焼かれ涙を流したか?俺と過ごしたあの楽しかった日々を思い出して泣いたか?
俺はたくさん泣いたよ。涙が涸れるほど泣いたよ。あの頃は楽しかったな。またあの頃に戻れるといいな。またあの頃みたく、二人で純粋に笑い合えるといいのにな。ごめんな。本当にごめんな。こんな馬鹿な相方で、本当にごめんな。
「ごめんな」
本当にごめんな。ごめんな。本当にごめんな。俺はお前が心底好きだよ。俺がお前を嫌いなはずがないじゃないか。さっきのは全部嘘だ。嘘だからな。そうやって、自分の感情に嘘を吐かないと辛すぎるんだよ。お前が本当に死んでしまった時、お前をこんなに好きなままじゃ辛すぎるんだよ。辛すぎるんだ。
だからこうやってお前を嫌おうとすることを許してくれ。寝取ったことと突き落としたことは許さなくてもいい。だけど、こうやって自分の感情に嘘を吐くことだけは許してくれ。せめてこれだけは許してくれ。
なぁ、何とか言ってくれよ、太一。あの頃みたく何かツッコミを入れてくれよ、太一。なぁ、俺一人じゃあ全然成立しないんだよ、太一。俺一人じゃあ全然面白くないんだよ、太一。なぁ、俺たちは二人で一つだろう?なぁ、そうだろう?太一……。
言いようのない虚しさが殺風景な病室を包み込んだ瞬間、心電図の音が静かに鳴り響いた。
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「いや殺すな殺すな!!!」
「うわぁ!生き返ったぁ!ハァツ!あなたがもしやあのイエスさん?」
「あそうです、わたすがあの」
「どうもぉ~ありがとうございましたぁ~」
「おい聞けや!良い加減にしろ!」
「どうもぉ~ありがとうございましたぁ~」
「ほら、見てみろよ。隕石がもうあんな近くにあるぜ」
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