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「ほっといてほしい」の正体

「もう私のことはほっといてほしい」

喧嘩中の彼女からLINEが来た。喧嘩といっても彼女が一方的に怒っているだけだ。僕は1mmも怒っていない。ここで彼女を本当にほっておくと、怒りのボルテージは最大になる。そう分かっていながらも、どう対応すればいいのかがわからない。ああでもない、こうでもないと試行錯誤を繰り返した結果、絵文字なしで「ごめん」とLINEを送り返した。

「何がごめんなの?私がなんで怒ってるかちゃんと分かってる?」

すかさず彼女から怒りのLINEが返ってくる。ここで言葉選びを間違えると、さらに怒りが増すため、言葉選びに慎重にならざるを得ない。間違えるとアウト。正解を言ったところで、次に来る返事は「分かってるのに、なんでやったの?」と返事が来るのは容易に予想できる。まさに四面楚歌。どちらに転ぼうが地獄へのカウントダウンはもう止まらない。だから、一旦何もせずに様子を見てみる。彼女の言う通りに「ほっておく」のが正解なのかもしれない。なんてことを考えているうちに、LINEを打つ手が止まった。

「ねえ、本当に分かってるの?」

とりあえず未読無視でその場をやり過ごす。

「は?無視?本当に意味わかんない。君は何考えてるの?」

またしても未読無視で逃げる。

彼女の怒りを鎮めるための返事を考えている間に、彼女から何通もLINEが入る。これは常套句で、ここからが本番だ。この正体不明の怒りの原因がわからない。きっと彼女の爆発した感情を受け止めるが正解だ。でも、本音は彼女の怒りを受け止めたくない。この擦り切れるような感覚にいつも胸がざわつく。

それに未読無視といっても、30分程度でしか時間は経ってない。彼女からすれば、「喧嘩の最中に返事に時間をかける意味がわからないとでも思っているのだろう。とはいえ、こちらも慎重にならざるを得ないため、言葉選びに時間が掛かっているだけだ。なんて言っても怒られるだけ。どうせ怒られるのであれば、怒りを最大限にまで溜めて爆発させた方が後腐れもない。返事を返さないのではなく、返事を返せないが正解である。時間が解決してくれればいい。そう願っている間に、彼女の怒りは更に膨れ上がる。

大抵の喧嘩は、いつもくだらないことがきっかけだ。寝る前に電話をする約束をすっぽかしたとか、昔の恋人の話をしてしまったとか。SNSで異性と絡んでしまったとか。そういった「ついうっかり」が相手を傷つける。悪意があって相手を傷つけているわけではない。

彼女は一度感情的になってしまうと、それを鎮めるために時間をかなりの要する。僕はただ時間を過ぎるのを待つしかできない。それが無視として彼女に捉えられるのが、非常に厄介である。

枕元に置いているiPhoneが光った。一美からの着信だ。彼女はせっかちですぐに返事を欲しがる。僕は彼女とは真逆で考える時間を欲しがる。着信を無視できるけれど、無視をすると何回も着信が入る。この一連のくだりをお付き合いしてからの5年でもう何回も繰り返してきた。

こうなった以上、彼女はもはや聞く耳を持たない。電話でいくら弁明しても何も信じないし、何を見ても信じない。彼女の好きな香水を付けても匂いを察知しないだろうし、好きなデザートは「そんなもので機嫌が取れると思ってるの?」とさらなる怒りを運んでくる。

彼女が怒っている理由が僕にはわからない。怒っている事実はわかるけれど、それ以上は何もわからないため、為す術もない。彼女の怒りをただ受け止めた後に、怒りの原因を説明される。これが溜めてきた苛立ちがすべて吹き飛んだ合図だ。

「30分後に家の近くの公園に来て」

彼女はいつも強引だ。旅行に行くときは必ず自分のプランを必ず作っては。それを押し通す。お店に入ったのに、2人が食べたいものがなければ、何の躊躇いもなく、お店から出てしまう。彼女の強引さに助かっている場面もあるけれど、今回に関しては完全にしてやられている。

「なんで怒ってるかわかる?」

「昨日の飲み会終わりに電話しなかったから?」

おそらく答えは合っている。飲み会終わりの電話を僕がすっぽかした。その理由はお酒に酔っ払っていたからである。お酒が弱いからそこに関してはもう少し寛容になってほしい。

「なんだ、わかってんじゃん。君の悪いところはそういうところだよ。最初からそれを言っていれば、ここまで大きな問題にはならなかったじゃん。何も言わなかったり、未読無視したりするから大きな問題になるんだよ」

「ごめん」

「ああ、もうイライラするな。あなたが悪いのに、ずっと怒りぱなしじゃこれじゃ完全に私が悪者じゃん」

「ごめん。一美はちっとも悪くないからごめんとしか言えないんだ」

「困ったときにいつも返信が遅くなるのが君の悪い癖。女心をちっともわかってない。ほっといては追いかけてなの。本当にほっとかれると悲しくなるじゃん」

ロマンチストの彼女はいつも映画やドラマのような展開を求める。彼女の言うように、彼女を追いかけていれば大きな問題にはならなかった。とはいえ、後ろめたい気持ちがある上に、追いかけたとしても怒られるのがオチだ。何回も怒りを小分けにされるよりも、1回で大きな怒りを受けた方が、鬱陶しさはまだマシだ。なんて自分を守ってばかりが僕の悪い癖。僕の悪い癖を分かりながら何度も追いLINEを送る彼女もよっぽどの悪である。

「なんで電話をかけて来なかったの?女の子がいる飲み会なんて不安になるだけだよ」

「ごめん。酔っ払ってLINEを送れなかったんだ。でも、飲み会が終わってすぐに家に帰ったよ。それだけは本当だから信じてほしい」

彼女は超がつくほどの心配性である。自分が安心するために同棲をしたい。そう言ってずっとマンションを探しているが、なかなかいい物件が見つからない。今日も本当は喧嘩ではなく、同棲するマンションを探す予定だった。

「本当かな?」

「本当だってば。そんなに疑うなら同僚に電話して聞けばいいじゃん」

彼女が真剣なまなざしで僕を見つめる。少し笑ってしまいそうになったけれど、笑ってしまうとまた別の怒りがぶつけられるため、真剣なまなざしで彼女を見つめ続けた。目を逸らせばこの怒りはまた別の怒りがぶつけられる。彼女が目を逸らすまでずっと表情を買えなかった。

「もし何かあったらどうする?」

「100万円あげるよ」

「何それ?子どもみたいなこと言わないでよ」

彼女の表情が緩む、ここまで来ればもう時間の問題だ。じきに彼女から仲直りの提案が始まる。

「じゃあ嘘だったら100万円と君が大切にしている絵を売りに行くからね」

「飲み会終わりは?」

「電話する」

「はい。じゃあもうおしまいね」

「はい」

「でも、約束を破ったら100万円をもらうし、君が大切にしている絵を売りに行くから覚悟しといてね」

「はい」

どこまでが本気で、どこまでが冗談なのかがわからない。いや、きっと僕が約束を破ったら彼女は本気で100万円を請求して、絵も売りに行くのだろう。だって彼女は強引な女なのだから。僕の悪い癖を見破りながら、ほくそ笑むその表情にはいつまでたっても敵わないままである。

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