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理想と現実の乖離性に私は殺された

自分が思い描く理想と現実の自分。

毎日毎日、自分の理想に押しつぶされそうになる。いや、もしかすると自分の理想と現実の乖離性に私は殺されたのかもしれない。

理想と現実の乖離性に押しつぶされそうになっては、息を吹き返して、そんなどうしようもないことを繰り返しながら、また今日をやり過ごしている。

もっとできたよな。いや、今の自分のレベルじゃまだできないよ。あいつにできるんだから、きっと自分にもできるはず。いや、あいつができるのは想像もできないほどの努力をしたからだよ。お前にはまだ無理だよ。もっと努力してからできるって言いなよ。理想を追いかけるのってものすごくしんどいね。

「いろいろなことをしていてすごいね。」

初めて会う人にこんな言葉を掛けられたことがある。その言葉を素直に受け止められない自分がいた。

今から自分の話をするね。

僕はフリーランスとして、文章やイベント、企業の広報をしたりとなんだか何屋さんかわからないことを色々としている。

会う人会う人に褒められることが多いし、やることを1つに絞らず生きている姿を見て、賞賛の声を頂くたびに、なんだか申し訳ない気持ちになる。

納得のいく結果が出たことは未だにないし、反省と後悔を繰り返してるし、いつも自分の力量不足を痛感している。頻繁にキャパオーバーしているし、月末になると、仕事に追われまくっているんだよ。

自分の理想と現実があまりにもかけ離れているから申し訳ない気持ちになってしまう。

時々自分の夢を見るんだ。

夢に出てくるのはいつも理想の自分。

文章を書いて、たくさんの人に賞賛の声をもらったり、たくさんの人に囲まれ、愛され、とんでもないほど幸せで、何不自由ない理想の生活を送っている。

でも現実はどうだ。書いた文章もそれほど読まれてないし、SNSの投稿の反応も少ない。あたたかい人に囲まれているし、幸せな生活を送れているくせに、結局はないものねだりをしてしまうから、「もっと欲しい」って欲望の塊みたいな生き方をしている。

「まだやれる」という気持ちと「もう無理かも」という気持ちの両方が自分の中でいつも戦っている。自分を保つのは大変だ。モチベーションに左右されたくないから、1日のルーティンをなるべく崩したくない。崩してしまうと大変なことになるから、崩さないように努力をする。でもたまに計画通りいかない日だってある。

生きているとネガティブな日もポジティブな日もあるよね。

ポジティブな日は事が進みやすいから楽だ。あたかも最強になった気分で、どこにも敵なし!無敵!って感じで、何もかも攻略できるような気持ちになる。

でもネガティブになってしまうと、途端に行動しづらくなってしまう。ネガティブから抜け出すのに、バカみたいに時間がかかってしまうし、抜け出せない自分の姿を見るのがほんとうに嫌。情けないし、それでも助けてって言えないからもう居た堪れない。

どんな日も生活のために、仕事はやらなきゃいけないし、仕事の納期だってどんどん迫ってくる。生きづらい日も生きやすい日も、時間は刻一刻と過ぎていくから、なるべく無駄にはしたくない。

ふとなんのために生きているのか考えてしまう日がある。

幸せのため?生活のため?仕事のため?

考えれば考えるほどわからなくなって、どんどん抜け出せない沼にはまっていくようで、いつも結論は「そんなこと考えなくても日々は続いていくし、死ぬまでは生きなければならない」という答えになる。

生きることにきっと意味なんてないし、生き方に理想を求めなくてもいいんだろうな。

どうせ死ぬし、それまでは生きて生きて生き抜くことができたら、きっとそれでいい。

それでも理想を追い求めたくなるし、現実と理想の乖離性にへこんでしまうことだってある。一喜一憂するのも人生だよだなんて割り切れたら楽なんだろうけど、人は皆笑うし、怒るし、泣くし、悲しんだりしてしまう。

僕の理想は生きている内に実現するのかな?そんなことはわかりっこないし、自分の手でやらなくちゃ誰もやってくれないから、せめて死ぬまでは理想を追い求めようと思うの。

嬉しいことも辛いこともたくさん起きる、でも死んだら全部その感情もなくなってしまう。

笑いたきゃ笑いなよ。泣きたかったから泣きなよ。自分の感情に素直になりなよ。自分のことを大切にしてあげなよ。自分が自分であることをどうか誇ってあげてください。

まだまだ理想の自分とは程遠いけど、自分の可能性をせめて自分だけは信じていたい。

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