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きっと誰もが誰かが諦めた夢の続きを生きている

この話は8月31日に起きた話だ。今年の夏は夏らしいことが何もできていない。後悔するのも嫌だし、夏っぽいことをしてみようと炎天下の中、目的地を決めず、ロードバイクを走らせた。

ロードバイクを走らせ、1時間ほど時間がたった。汗ばんだシャツが体にへばりついて気持ち悪い。でもなぜか生きている実感もあって、気持ち悪さがかえって心地良かった。道なりに沿って進んできたため、自分の現在地がわからない。まるで人生で迷子になっている自分みたいだった。そろそろ休憩したいと思っていた矢先、目の前に現れたドラッグストアでに立ち寄った。そして、飲み物を購入する。ペットボトルの蓋を開けると、炭酸が抜ける音がした。

ここには自分を知っている人は誰もいない。右を見ても左を見ても知らない人に知らない土地。何者でもない自分自身。僕のことなんか誰も見ていないし、僕も誰が何をしていようが気にならない。その事実が僕の体を軽くさせた。公園の中でどこまで行くかを決めようと思ったんだけれど、考えることがめんどくさくなって、行けるところまで行こうと心に決めた。

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時刻は16時半。まだ暑さは残っている。ロードバイクで走っていると、太陽が少し沈みかけているのが目に見えた。日が沈む瞬間を見たくなって、太陽が落ちていく方向へとロードバイクを走らせる。本来ならこんな無計画なことはやらないのになぁと思いながら、ロードバイクのペダルを漕いでいた。

太陽に向かって、ただ真っ直ぐ進む。気がつくと河川敷に来ていて、これは何の導きなんだろうと思った、河川敷の河原に降りて、1人で夕日を眺める。川のせせらぎがやけに心地良くって、忙しない日常の疲れが全部吹っ飛んだ気がした。川を見ながら黄昏ていると、突然2人組のおばちゃんに声を掛けられた。きっと1人で黄昏ている僕を見て不思議に思ったんだろう。

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『お兄ちゃん、1人で何やってんの?あ、それにしても今日はいいお天気やねぇ』

僕にはなぜか昔から知らない人に話しかけられる習性がある。地元で銭湯で仲良くなったおじちゃんとは飲みに行ったし、ヒッチハイクをしたときも知らない人たちと一緒にお酒を飲んだ。きっと何かに導かれているんだろう。今回もきっと何かがある。赴くままに、おばちゃんと話をすることにした。

どうやらおばちゃんたちは地元の人で、よく河川敷を散歩しているらしい。子育てを終え、第二の人生を生きる人たち。僕にはまだ想像ができない人生だ。目の前に第二の人生を楽しそうに生きている人がいる。その事実を嬉しく思う。でも、おばちゃんの1人が、「人生が2回だったら別の道を歩んでいたかもしれないなぁ」と言った。楽しそうに生きているのになぜなんだろう。疑問に思った僕は、おばちゃんにそのまま疑問をぶつけた。

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その昔、おばちゃんはアパレルで独立を志していたらしい。仕事に明け暮れたものの結果が出ず、途方に暮れていたときに、いまの旦那さんに出会った。子宝にも恵まれ、つい最近子育てを卒業したばかり。幸せな人生を歩んだ。その自負はあるけれど、心の中のモヤモヤがまだ晴れない。その理由は、アパレルの夢を諦めたことだ。

『いまの人生は楽しいと胸を張って言い切れるし、旦那と子どもに出会えたことは私の一生に宝物なんだよ。でも、独立の道を選んでいたらどうなっていたんだろうと思ってしまう日があって』

ああ、おばちゃんの気持ちがすごくわかる。もし人生が2回だったら僕は迷わず教員になっていただろう。子どもの成長を間近で見ながら毎日を過ごす。そして、仕事が中心の人生ではなく、プライベートを中心に人生を生きる。本音を言えば、世間一般の常識に流されたかった。でも、なぜかずっと夢を追いかけている自分がいる。この生活はもちろん幸せだし、後悔はないんだけれど、ふとしたときに「別の人生を歩んでいたらどうなっていたんだろう」と思ってしまう日がある。

おばちゃんに「いまもアパレルの夢を叶えたいと思いますか?」と聞いてみた。すると、『叶えたいと思っているけれど、いまの幸せを壊してまでやることなのかなって考えると、もう以前ほどの情熱はないと思ってしまった。だから、いまからアパレルをやるって選択肢はないかな』と返ってきた。

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やりたいにも鮮度があって、おばちゃんのやりたいはもうやりたいではなくなっていた。おばちゃんの返答に何も言えなくなって、「そうですか」とだけ答える。

『お兄ちゃんはやりたいことをやれてるの?』

「やりたいことはやれています。でも、思うような結果がまだ出なくて、ずっと悔しい思いばかりしているような気がするんです」

なぜ僕ははじめて会ったおばちゃんに、悩みを打ち明けているんだろうか。

『そっか。やりたいことが見つけている人の方が圧倒的に少ないし、やりたいことで悩めるって幸せなことやと思うなぁ。それに悔しさを感じるのは本気になってる証拠だと思うし、まだまだこんなもんじゃないって思うのは、自分の可能性を信じてるからじゃないかな?』

確かにおばちゃんの言うとおりだ。僕はじぶんの可能性をまだ諦められずにいる。本気になっているからこそ、悔しさが込み上げてくるんだろう。適当に生きていれば悔しさなんて出てこないし、とっくに文章で生きる道を諦めていたはずだ。そして、悔しい思いばかりではなく、達成感と出会う日だってある。クライアントさんが喜んでくれたり、読者さんが喜ぶ姿を見たときに出てくる達成感を味わうために、文章を書き続けていると言っても過言ではない。

『男だったら自分の夢を追いかけ続けなさい。そっちの方がかっこいいよ。家で堕落し切ってるうちの旦那よりは100倍かっこいい。たとえ夢が叶わなかったとしても、それを糧に大きくなれることは間違いないし、失敗をネタにするのが大阪人の腕の見せ所やんか』

ああ、無我夢中でロードバイクを走らせて良かった。すべての行動に意味があるってよく言うけれど、その言葉は本当だった。僕の思いつきの行動にはちゃんと意味があったんだ。いまの僕に必要な言葉を、おばちゃんからもらえた。それが何よりの事実だ。

誰かが諦めた夢の続きを僕はきっと生きている。おばちゃんの夢も誰かがきっと叶えてしまっているんだろう。そして、誰かの夢の続きは、誰かの支えの上で成り立っていて、いままで出会った人の誰かが欠けていたら、きっといまの僕はいない。

応援してくれる人がいること。本気で夢を追いかけられる環境があること。すべてが必然で、自分の力で掴み取ったものだと言ってもいい。だからこそ、いまの自分に胸を張りたい。そして、自分のために胸を張ってやり切ったと言えるその日が来るまで、諦めずに前に進み続けよう。

この話は8月31日に起きた話である。

あの日、河川敷で見た夕日を僕は一生忘れない。

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