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My Hair is Bad:“裸”どれだけ過ちを繰り返そうと、どうせ人は裸に辿り着く

My Hair is Badとの出会いは社会人になってからだ。“恋人ができたんだ”をどこかで耳にし、こんなに真っ直ぐな感情を歌詞に載せる歌手がいたのかと感心したものだ。一言で言えば共感。もっと言うならば、世の男性の恋愛の代弁者。それからいろんな曲を聴いたけれど、印象は「なんだこの女々しい歌詞は」だった。

女性の女々しさよりも男性の女々しさの方が厄介である。男性の女々しさはしつこさがずっと付き纏う。My Hair is Badのファン層は女性が多い。ほとんどの楽曲が恋愛に纏わる歌で、男性の赤裸々な感情をうまく表現した独特な椎木イズムに魅了されているのだろう。

今回ご紹介する“裸”は、2018年11月7日に発売されたアルバム「hadaka e.p.」に収録されている楽曲だ。この楽曲を初めて聴いたときの感想は、「人間って本当にばかな生き物だよな」だった。

身の程を知るには鏡を眺めていればいい?

自分がどんな人間であるかは、鏡を見ればよくわかる。どれくらいの身長で、どんな肌の色をして、どんな顔立ちをして、肉付きは、手足の長さはどうだとかそういった自分に関する外見の情報は鏡の前に立てば全て手に入る。

内面がどうとかそういった話もよく聞くけれど、人間が人を好きになるきっかけは、まず外見から入る場合がほとんどである。中には「内面の方が大事だ」と言う人もいるけれど、もしそれが事実なら聖人君主と呼んでも差し支えない。もしくは遊び尽くして満足したかのどちらかである。内面が大事とは言えど、それぞれに基準があって、その基準を突破しない限りは内面が大事とは言えない。これが抗えない事実であり、誰もが心の内に秘めている本音である。

ただひとつになりたいのに
どこまでもふたつで
愛や教養を見せ合っても
辿り着くのは裸だ

どんな恋をしても最後に辿り着くのはいつだって裸である。相手に好きになってもらうために面白い話をしたり、相手が喜ぶことを必死で考え抜く。そして、お互いに着飾って、かっこいい自分、かわいい自分であろうと試みる。でも、裸になった途端に、その化けの皮はすべて剥がれ、その人の生活がそこにすべて現れるのだ。それを良しとするか。悪とするかはその人次第。人間は愛を確かめ合うために、相性がどうとかぬくもりがどうとかを互いに確認しながらふたつからひとつになろうとするけれど、別の個体同士がひとつになることはできないと気づく。

時間は全てを洗い流してくれるけれど
それに懲りもしないで泥を塗り合う

恋には失敗が憑き物である。とはいえ、同じ過ちばかり繰り返している人は周りから見ると、過ちから学んでいないと思われてしまう。でも恋なんて盲目なのだから、過ちを犯さないように気をつけても、感情はいとも簡単に理性を制御不能にしてしまうのがオチだ。過ちを犯すたびに、「見る目がない」と言われ、そんな自分に後悔はするものの反省はしない。そうやって恋をしている自分がかわいいが完成していく。要は心に空いた隙間を恋で満たしたいだけなんだろう。

何かで満たして、それに飽きて、別の何かでまた満たして。その繰り返しの中で、傷ついたり、傷つけられたり、被害者づらをしたり、加害者になってしまったりもする。お酒に失敗して、初対面の人と寝てしまったり、誘いに抗えなくてつい一緒に一夜を共に過ごしてしまったり。そんな過ちをきっとたくさんの人が経験しているのだろう。そして、夜は相手のぬくもりに浸り、朝日が昇った瞬間に後悔に苛まれる。

人間なんて過ちばかりだ。どれだけ失敗しても懲りないし、結局のところ裸に辿り着く。それがいいことか、悪いことなのかはわからない。そういった感情を自制できる人を大人と呼ぶのかもしれないし、立派とかそういった類の別の言葉で表現するのかもしれない。

でも、人間なんて所詮は傷つけても、傷つけられても、痛みを忘れてまた愛を彷徨う動物なのだから過ちを繰り返してしまうのは仕方ないのかもしれないね。


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