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娘が産まれ、違いや個性について再考してみた - 初めてタイの病院で書くnote

おかげさまで無事に元気な娘が産まれました。

今日のニュースでは出生数「86万ショック」と言われているそうですが、少しは人口数に貢献できているのかな、なんて思っています。

おそらく今バンコクの病院でnoteを書いているのは世界で私だけじゃないかな、なんて思っているところです。早起きして家族全員がまだ寝ているスキマ時間で今日もnoteを書いています。

特別な瞬間を迎え、自分に起こった色々な原体験を思い出します。特に「違い」については昔から考えることが多かったように思います。幼少期は人と違うことを恐れ、なるべく周りの人と同じがいいと思っていた時期もありました。「出る杭は打たれる」文化に生きていたのかもしれません。出る杭の文化、集団志向、上下関係を持つ日本の文化で、個が他と違うことに自信を持つことは、私の感覚ではそう簡単ではなかったように思います。

今は、むしろ人と違う経験や体験を楽しむことができているように思います。教員在籍中に休職してあえて香港に行ったときも、教員を辞めてタイに移住したときも、当時決断する際に考えていたのは、レアな経験をした日本人の方が、数十年後に将来産まれるかもしれない息子や娘に面白い話ができるかもしれないと思ったことです。

勝手に自分で思っていることですが、「違い」に自信を持ったり誇りに思える2つの要素について考えてみました。

1. 継続して初めて見えるもの、手にできるものがある

以前に日本人は「違い」の延長線上に「間違い」を置いてしまい、「間」が開けば開くほど「間違い」にしてしまうのではないか、という話を書かせていただきました。

さらに、先天的な違いと後天的な違いという話の中で、生まれた後にできる後天的な違いは、自分の思考や継続した行動によって手にできる可能性があるかもしれないということを書きました。私の場合は、幼少期であれば小学校時代に毎日日記を続けて手にできたもの、中学受験のために勉強をしたこと、追い込んで英語を勉強したことなど、継続したことで手にできた違いや杭というのがあるような気がしていて、他の人が打とうとしても、打ちにきたとしても、動かない太くて高い大木になれるかを目指すようになったかと思います。

2. 海外の体験 - 日本の思考やコミュニティから出た経験

両親がパスポートも持っていないにも関わらず、旅行ではあったけれども中学校時代から海外に出させてもらえたことは、「人は違うのが当たり前」という価値観形成のきっかけになったと思って感謝しています。また、20才の時にアメリカで過ごした1年は、アメリカ人がいい意味で堂々として自信を持っていて、違いに誇りを持っている文化から学ばせてもらいました。日本語という言語で考える思考や、日本語で形成される日本人コミュニティから離れることで、日本人同士で気にしていた違いは意外と小さかったと感じることもできました。自文化中心主義 (ethnocentrism)からの脱却について考えることができたような気がします。

最後に

先ほどnoteのプロフィールの紹介文を、「1児の父」から「2児の父」に変えました。娘を持つ父親になり、息子のときとはまた何か違う新しい感覚です。ハーフではなくダブルとして、違いに自信を持てる娘に育って欲しいと思っているところです。

振り返ると、今年4月の段階で2人目が産まれた後は忙しくなると思い、この変化の時代に自分ができることは何かと思って始めたのがこのnoteでした。おかげさまで現在の段階で300人を超える方にフォローいただいており、こんなに多くの方に読んでいただけていることに本当に感謝しています。毎日の投稿が難しくなる可能性もありますが、娘が生まれてからもnoteを続けていこうと思えています。引き続き、よろしくお願いします。

みんなが起きてきたのでここまでにしたいと思います。

今日も最後まで読んでいただきまして、ありがとうございました。

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