記事に「#ネタバレ」タグがついています
記事の中で映画、ゲーム、漫画などのネタバレが含まれているかもしれません。気になるかたは注意してお読みください。
見出し画像

【「シンエヴァ」ネタバレあり感想】世界の中心でアイを示したもの

『シン・エヴァンゲリオン劇場版』、IMAXで観てきた感想を、ネタバレありで書いていく。まずは1回目、短く一気呵成に。まだ未見の方はご注意を(記事タイトルはそう、エリスンを文字ったTVシリーズ最終話の更なる文字りです)。

**************


**************


**************



「シン・エヴァ」は、「愛」と「自己」の物語だった。

これまで、シンジは周りに認めて欲しい、好かれたいという思いがありながらも、傷付くのを恐れて必要以上に人と触れ合うこと、自分自身で熟慮して答えを出すことをしてこなかった。TVシリーズと旧劇場版でそうだったように、これまでのループする世界でもそうだったのだろう。

しかし、「シン・エヴァ」では違った。「愛」と「I(私)」、つまり「アイ」の力で円環の運命から抜け出した。

傷付いて、内に閉じこもっていたシンジは、周りの助けで立ち直り、自分のしたことを受け止めた。そういう意味で、大人になった。その場の勢いに任せた情動ではなく、考えて、覚悟を決めてエヴァに乗った。

それは、周りとの触れ合い抜きではなし得ないことだった。

「Q」でこれまでのループで何度もシンジと触れ合ってきたカヲルが言った「償えない罪はない」という話や、「シン・エヴァ」で人の営みと心に触れた綾波の「みんなあなたが好きだから」という言葉。

そしてアスカと、ミサトと、加持と、ゲンドウと…これまで触れ合ってきた人々とのやり取りの中で散々問いかけられてきた、そしてシンジ自身も探していた「なぜエヴァに乗るのか」という答えを出した

やらされているわけではない。その場の勢いでもない。シンジ自身が考えて、納得して答えを導き出さなければならなかった。

何でもかんでも自分でやるべきとは思わない。人に頼ることがあったって良い。しかし、自分の運命を最後に決めるのは自分だ。自分が納得するために、答えは自分自身で導かなければならない。独りでは到底無理だった。出会ってきた人たちとの触れ合いがなければ、答えを見出せなかった。

自分で導き出した答えの元でしか、「シン・エヴァ」でシンジが最後にエヴァを乗るという決断は、下すことが出来なかった。

それこそが、運命を仕組まれた子供だったとしても、シンジが呪縛から解き放たれ、新たな運命、「新世紀=ネオン・ジェネシス」を掴むために必要不可欠だったものだ。

そして最後は、ミサトをはじめとしたヴィレのメンバーと、ユイとマリの助けがなければ、新世紀に辿り着くことは出来なかった。

ユイが、この時のために初号機の中で待っていたということに、涙が止まらなかった。ユイは、シンジがこの「シンの」、「真の」「新の」答えを導き出すことをずっと信じて待っていた。ループした世界の中で何度も何度も。

そして今回、ゲンドウがあそこまで自分のことを話した(というか描写された)のも驚きだった。あまりにも不器用な父親だった。古今東西の父親を集めても、あそこまで不器用な父親はそうはいないと思う。それでも最後、自分の過ちを認めてシンジを抱きしめてくれた。

シンジは「シン・エヴァ」で、「アイ」を叫ぶのではなく、怯えて避けていた周りからの「愛」を受け止め、そして「I」を、「自分」がすべきことが何かを行動で示した。そして、円環の運命の呪縛から解放された。これ以上ない「エヴァンゲリオン」の完結だと思う。

僕たちファンは、これから「シン・エヴァ」を観る前とは違う「新世紀」を生きていくのだと思う。その世界に、シンジが、マリが、そしてレイが、アスカが、カヲルが、「エヴァ」のキャラクターたちがきっとどこかで生きている、そう思わせてくれる素晴らしい愛のある大団円だった。庵野秀明総監督ご自身の出された物語の答えを見届けることが出来て幸せだった。

これから生涯、「エヴァンゲリオン」という物語を何度も観るのだと思う。
この物語を生み出してくれた庵野総監督を初め、関わった全てのスタッフとキャストの皆さんに、最大の感謝と敬意を。25年間お疲れ様でした。

さらば、全てのエヴァンゲリオン。

そして、ようこそ、全てのエヴァンゲリオン。

画像1


※画像引用元


この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?