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故郷へ帰りたいと思う気持ち。心に従うというのはいったいどういうことなのだろうか?


皆さま明けましておめでとうございます。
今年初めての投稿は、僕が今思っていることです。
今年もよろしくお願いします。



僕の故郷は、京都。
その京都の中でも、僕の故郷は、清水寺や祇園という街がある中心部。
18歳で故郷を離れ、一人で東京へ行き、その後カナダに住み、今はオーストラリアに住んでいる。

僕は故郷が好きだ。
なぜか分からないが、故郷にはパワーを感じる。
辛い時、故郷のことを思い出すと何故か心が落ち着く。

でもいざ故郷に帰ると、
「ここにいると自分が世の中の流れから遅れてしまう。
 ここにいるべきではなく、どこかへ行って挑戦しなければならない」
そんな気持ちになる。

なぜそんな気持ちになるのだろうか。
僕はなぜそんな焦りを感じるのだろうか。
それは事実なのだろうか。
自分の幸せは故郷にはないのだろうか。
逆に幸せは、故郷以外のどこかの場所で生きることにあるのだろうか。  


年に一回しか故郷に戻らないということは、おじいちゃんとおばあちゃん、
そして両親とは生きてるうちにあと数十回しか会えないことになる。
今は当たり前に生きているように見えるから、年に一回しか会わなくても、
「まぁいつでも会えるから」と思うが、そうではなくなったときに、
初めて当たり前ではなかったことに気づくのだろう。  

冷静になって考えてみると、後数十回しか会えないなんて嫌だよね。
だって、みんながいたから僕はこうやって健康で生きていられてるし、
昔の思い出を振り返ると、そこにはこの世で一番の愛情があり、今でもその思い出から愛情を受け取ることができるんだ。


だったらそんな人達とすぐ会える故郷に帰るべきなのだろうか?

僕という人間が単純だったらYesと答えてすぐに帰ることができる。
でも僕の頭の中には、これから向かう道みたいなものがいくつか存在している。
多分、このような頭の状況のことを、「悩む」と呼ぶのだろう。

「自分の心に素直に従うこと。」

これは僕が信じている人生の進め方だ。
でも心に従うというのが、どういうことなのかをまだ理解できていない気がする。
いったい心に従うというのは、どういうことなのだろうか。

僕は去年、SNSを辞めてみたり、情報を全く得ないように心がけた時期があった。
理由は、自分の心が本当に望んでいることを気づくためだ。
SNSに投稿されてる他人の生活や、インターネットに溢れている情報は自分の心を振りまわすと思う。
世の中には、知らなくてもいいことがたくさんある気がするのだ。

東南アジアやアフリカを旅した人が言う言葉で、よく聞く言葉がある。

「現地の人たちは心の底から人生を楽しんでるように見えた。
 人生で本当に大切なことを、現地の人たちから学ばせてもらった。」

なぜ現地の人たちは、そんなに人生を楽しんでいるのだろうか。
その楽しんでいる人達は、僕たちよりもお金を持っていたり、
良い仕事に就いたり、いい暮らしをしているのだろうか。

人生で本当に大切なこととは何なのだろうか。
目の前にいる人と楽しく話しをしていること?
家族に囲まれて楽しそうに生活していること?
皆が笑顔で溢れていること?
見ず知らずの自分にとても親切にしてくれるパーソナリティ?

それが人生で本当に大切なことであることは、間違いないと思う。

だったら同じように生きればいい。
でも僕たちが同じような生活をして、幸せを感じることができるのだろうか。
僕たちとその人達の一番の違いは、知っていることの量だ。

僕たちは、世の中には自分よりもお金を持っていたり、いい服を着ていたり、
いい車に乗っていたり、美味しい食べ物を食べていたり、もっと言うと、
自分より可愛かったり、カッコよかったり、モテたり、フォロワーが多かったり、オシャレだったりする人たちがいることをよく知っている。

そして無意識のうちに、その人達と自分を比べ、「自分はあの人より上だ、下だ」とか、「自分はあの人みたいになりたいけどなれない」と思っている。

そこから生まれるのは、「欲」だ。
人間は生きているうちに無欲になることはできないが、
欲というのは本当に厄介なものだなと感じる。
しかもそう感じたからといって、どうにかできるものでもない。

何かを成し遂げるには、何かを犠牲にする必要があるのか。
それもどうか分からないが、何かを成し遂げるためにバランスを取ろうとする行為は愚かなことなのかもしれないと最近思う。

だから人生の選択に100%の決断なんてないのかもしれない。
何かを決めるときは、何かを諦めないといけない。
その両方を同時に得ようとするのは強欲であり、
結果的にうまくいかないのかもしれない。 

そうならば、自分の心が本当に思っていることに従うことはできるかもしれない。
心がどう思っていようが、そこに100%の選択がないのであれば、
今この瞬間に心が向かいたいと思っている方向へ、一つずつ向かえばいいのだ。
その時に、諦めなければいけないこともあるだろう。
でもそれはその瞬間だけかもしれないし、今向かいたい方向へ向かうことが、
結果的にその時諦めたことを叶えさせてくれるかもしれない。


今年は人生2周目の最後の年。
まだまだ何も知らない未熟な人間だなと感じる。
そんな僕は、この先の人生でどんなことを経験していくのだろうか。
今と違った視点で世の中を見ることができるようになるだろうか。
大変なこともあるかもしれないが、そんな状況も楽しんで、
毎日を生きていきたいと思う。

Ryoma Kobayashi


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