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NO.17 虚構と現実に惑わされる日々。  社会の利益と自分の利益/孔子/発見/後悔/御恩と奉公/同意/レディプレイヤー1/シャイニング/ほか

*雑念日記(大学生の)
ー 社会の利益と自分の利益/孔子/発見/後悔/御恩と奉公/同意
*今週の読書
ー お休み
*今週の映画
ー レディプレイヤー1/シャイニング
*その他、、、
では、どうぞ ( ´ ▽ ` )ノ


雑念日記(大学生の)


社会の利益と自分の利益、どちらを優先しているのか?

私は社会の利益よりも自分の利益を優先しているだろう。社会が全体意志を表している現代日本において、自らの主権を政治に渡しているがその見返りは決して良いものとは言えない。

確かに諸外国と比べてみると生活のインフラが整っていたり、治安は良かったりと素晴らしいところはあるが、それらは過去の産物によってギリギリ継続されているもので砂上の楼閣である。今後も維持できるとは決して断言できない。そのような社会に暮らしている今、社会の利益を優先するほどの気力は無く、自分の利益をいかに増幅させるかということに注力している。


 一般意志に基づく社会であるためには自らの自由を与えることで、自らが自由を与えられることができるという信頼が必要である。しかし、見渡す限りあるのは「信頼」では無く「安心」である。それは不確実性を可能な限り排除するうえで成り立つものである。社会を分割不可能な全体の部分として受け入れるのではなく、むしろ距離を取ってしまっている。個々人は自由自在に特殊意志を持ち合わせ、当然それらは一般意志からかけ離れたものとして存在している。

一般意志は平等へと向かうが、資本主義経済に暮らしている私たちが持つ特殊意志は否応なしに格差を生み出していく方へと向かっていく。一般意志を保つには各々が自らの意思に従い意見を述べることが必要であるが、大規模に集団化された今、自らのみでなく誰かの意志に知らず知らずのうちに従っているのである。

以上のことなどから、現在の日本において一般意志を貫き通すことは困難であり、それゆえ選挙のごく短い期間のみ人民は自由を与えられ、それ以外は見えない鎖でつながれた奴隷として従事しなければいけなくなっている。少しでも奴隷から解放されたい私は、自分の利益を優先している。取り返しのつかない未来へ向かっているという不安を抱きながら。。



♦試験的にInstagramを使用してる。先日、初めてストーリーなるものを投稿してみた。

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初ストーリーは大好きなジョジョのアニメOPに関して。

まず、投稿する前に、初めてだからなのかちょっとだけ緊張をした。この内容を投稿しても大丈夫かな?みんなどう思うかな?みたいな感情を不覚にも抱いてしまった。。

そして、投稿する画面になって、その機能の便利さに驚いた。画像に添付する文字を簡単に装飾できたり、位置を変えれたり、エフェクトつけたり、デザイン性が高いなぁと感心した😂いつのまにか写真の背景も上記のようにキレイな水色になってたし。何の専門性も無いけれど、簡単にイイ感じの画像を作れるのは凄い。

そして、投稿。投稿してそれで終わりだと思っていたら、後から誰が自分のストーリーを見たかがわかるんやね。これにはゾッとしてしまった。中毒要素モリモリや。いいねとかは無いから、どんな評価をみんながしているのかはわからないんだけど、どれだけ多くの人に見られているのかは可視化されるため、いいね数ではなく見られた数が報酬として作用してしまうよね。

フォロワーが増えれば増えるほど、報酬の量も必然的に増えていって、、なるほど。みんながストーリーを投稿したい気持ちがほんの少しだけわかった気がする。とかいって、一か月後にめちゃくちゃストーリーを投稿する中毒者になってたら笑えんのだけど😐


人にして遠き慮りなれば、必ず近き憂いあり


遠い将来に自分はどうしていたいか、どのような暮らしを送っていたいか?というゴールを持たず、ただひたすら目の前の日々を消化する日々を過ごしているからこそ、時に路頭に迷うのであり、たいてい気づいた時には年齢や周囲の人間を含め、取り返しがつかない状況に囲まれてしまっている。

以前、無料のコーチングを受けさせていただいた際、初めに聞かれたのは

自分は何歳まで生きたいか?ということ。
なぜ?
死ぬ前の数年はどのような暮らしを誰とどこで過ごしていたいのか?

人生という長い長いロードマラソンの最終ゴールをこの時初めて意識した。それまでは境界線の無い砂漠の上を彷徨っていたが、今は曖昧ではあるものの地図を手に入れれたような感触。


人にして遠き慮りなれば、必ず近き憂いあり

言葉だけ見てみると凄く堅苦しい印象を受け、引き下がってしまいそうになるけど、本質をしっかりついてくれている。特に、自分という主体が軽薄化してしまい、様々なことをアウトソーシングしている現代においてはなおのこと意味合いが深くなる。

このような格言を何世紀も前に導き出した先の知識人たちの変態ぶりに驚くと同時に、彼女ら彼らが後世に受け継いでくれたものを知識という形であまりにも簡単に受け取れてしまうありがたみを噛み締めて生きていきたいのである。


♦いやぁ~びっくりした。衝動的にcookieの履歴をすべて削除してしまったんだけど、全てのサイトからログアウトしてしまい、一からパスワードとIDを入力する羽目になり、自分用のカスタマイズも一からということでかなり踏んだり蹴ったりな状況になったものだ。💦


♦ついに、、買った!!✨

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アルバイトの給与の中で、消耗品の中で、一番高い買い物だった。

久しぶりに「歩くこと」の楽しさを実感している日々。靴はやっぱり大切だね。革靴、ブーツなども買おうか迷ったんだけど、機能性を重視してしまった。ここ数年は愛用していたナイキのスニーカーがボロボロになったため、底がクッション性あるやつじゃなくて固めのものを履いてて、足の負担が凄かった。機能性あるやつかつデザインも好きなものを見つけることができ、買えたので良かった。大事に使っていきたい。。


♦気持ちってその時は落ち込んだり、楽しんだり、満たされたりその時・瞬間を生きるんだけど、数時間もたつと何もなかったかのように乾燥してしまう。マイナスのものは少しプラスに、プラスのものは少しマイナスに。

恒常性を保つためには致し方ないけれど、本当に良いのかなと思ってしまった。刹那的なものは寂しい。

僕は今日、全くダメな感じで動いてしまった。前々から計画していた、ご飯に誘うというものをいざその時が来ると、ごまかしてしまった。それから駅までの道のりは今までで一番長く感じた。「どうしてあと一歩・一声出せなかったんだろうか」と激しい自己嫌悪。次があるから良いさ、とポジティブに捉えようとしてる自分に嫌気がさしてしまう。

確かに次はある。世の中に僕が好きになってしまう人なんて、嫌な言い方だけどごまんといる。なのに、、やっぱり後悔してしまう。久しぶりに恋に落ちたかもしれない。

「やる後悔」より「やらない後悔」の方が苦しい。何をしてんだか。


好きなもののヒントは動詞にある

「サッカーが好き」ではなく、サッカーの戦術を考えるのが好き、スパイクを見るのが好き、など一歩踏み入った動詞を掘り起こすことで、気づけるものがある。

弱みはどうやっても強みにはならない。視点を変えることで、見えてくるものはある。

定数を変えようとするんじゃなくて変数を変えようと努力する方が良い。

日本を良くしようとしている気持ちが伝わってきて、ワクワク感を引き出してもらえたのと同時に、今の僕にできることは何か?を考えたとき、


♦なんかバイトめっちゃきつかった。他の人の行動にイライラすることがめっちゃ多かった。なんでなんやろ。まず思い当たるのは睡眠時間の不足。

睡眠不足は決定的なんだけど、それだけじゃ説明つかないほどイライラしてたというかピリついていたんよね。やる気が全く起きなかったし、チームワークなんて全く考えれなかった。

このような精神状態においては、いつもは良い人と思える人が悪く見え、あんまり相性良くないなという人に対しては、もうそれはメチャクチャなやりにくさを感じる。

ちょっと我慢してみて、相手に優しく接しようと思ってみるんだけどすぐに燃え尽きる。どこか、相手は自分に対して無償のgiveをしてくれるだろうという甘えのようなものがあった。けど、これって悪いことなのかな。確かに相手からの御恩を貰うことしかせず、自分は相手に対して負担を増やすようなことしかしないのであれば、相手からはプラスを貰いマイナスを与えるため、ダメなんだろう。相手からはプラスを貰い自分はプラスマイナス0を与える場合はどうだろうか?

見返りを求めない奉公を相手がしてくれるなら、十分に成立しそう。つまり、相手からプラスの御恩をもらう時には自分はプラスマイナス0の奉公でも良い関係が続くけれど?、相手からマイナスの御恩をもらう時には最低限プラスの奉公をしないと関係性が続かなくなってしまう。気をつけないといけないのは、いつまでたってもプラスの御恩をもらうのみで何も与えない場合、御恩を与える側から関係性は必ず崩壊してしまうこと。

 御恩    奉公   関係性
   (take)              (give)         
 +      0    最初は良い関係。いずれ崩壊
 +      +    一番良い関係性。ただ、執着には気を付けたい
 +      -    破綻まっしぐら ★5
 0      0    ドライだけど、案外良かったり
 0      +    奉公側は聖人やね
 0      -    破綻まっしぐら ★3
 -      0    破綻まっしぐら ★3
 -      +    奉公側は超人やね
 -      -    関係性維持する意味なし🤣

これを今回の僕のケースに当てはめてみると、まず僕が与えたと思われる奉公は微量のプラス。それに対して、相手からもらった御恩はプラスマイナス0に近い。いや、むしろちょいマイナスだったかも。そりゃイライラするというか、良好な関係性で過ごすことはできんよな。

と、自分に都合よく解釈をしている人間の薄汚さを自覚したのであった。


♦なんていうか、「同意」を取ることが日本は多いんじゃないかと思ってる。この席に座っていいか、目の前の料理を食べて良いか、早く帰ってよいか。そんで、「同意」を得るためにいくつかの条件を提示しないといけない時がある。言葉や理由など。その「同意」を得るということがめんどくさいから、皆一定の距離感を保ちたがる。

{やりたいこと→「同意」を得る→条件提示→めんどい→距離を取る}

リングの上にいるんじゃなくて、リングの外からコントローラーでプレイヤーを操作して行動してる感覚。奥ゆかしさとか、おしとやかさ、みたいなものに繋がるのかもしれないけど、合わない人はいるしね。


「同意」を得る過程をすっ飛ばして自己開示できれば良いかもしれないけど、全てを自己開示してしまうと魂が抜けていってしまう気がして怖い。というか、できない。だからこそ、1段上の他者として接してくれるカウンセラーは価値があるんかもね。神様と平民の関係性に近いかも笑



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唐突な可愛い画像っ!!😳
集中力高めるには良いらしいっすよ~


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今週の読書

♦お休み。。😭😠

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今週の映画

♦レディ・プレイヤー1

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舞台は2045年。VR技術?が超絶進歩して、人々が今でいうメタバースの空間上で何でもでき、どこにでも行くことができる時代。食事と睡眠とトイレ以外は。バットマンとエベレストに登ったり、ピラミッドでスキーをするという現実世界では有り得ないような夢のあることも仮想現実内(オアシス)ではできてしまう。その世界線を素晴らしい映像技術で表現してくれている。

まずは、その世界観に圧倒される。と同時に、映像に表してしまうと想像力の限界が策定され、それ以上に妄想できない寂しさもほのかに残るのである。この”空虚感”。満たされたようで満たされていない感がやっぱりVR世界で享受することができるものの限界なのかな、と思ったり。。

そして、現実世界の色んな作品が登場する遊び心に魅了される。「2分間巨大ロボになれるあれ」が出てきた時の興奮は凄いで。+色んなアイテムを画面操作で選択して、ドラゴンボールのポイポイカプセルのように出現させる。

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(ドラゴンボール,鳥山明 作)

本作で何度もこのようなシーンが出てくるんだけど、良いよな。他に出てくる色んなものとのコラボレーションは以下のリンクを見てみると良い


まじかぁと思ったのは、オアシス内で動くときは現実世界でも動かないといけない事。つまり、現実世界で歩いた分だけしかオアシス内で歩けない。現実世界とオアシス内で良くも悪くも動きが連動している。これはながらスマホどころの問題じゃないな笑 道路でも、家でも、広場でも、皆がゴーグルつけながらオアシス内で行動してるから、ぶつかり放題。周りは迷惑し放題。というか迷惑する人がいない。皆付けてると。怖いよなぁ。現実からいくら目を背けても結局は回帰してしまうのに、みんな熱狂してしまうなんて。

そして、その熱狂してる様が移されていたのは、作品ないでのいわゆるスラム街?的なところと、IOIというブラック会社の奴隷的な人達。通称「シクサーズ」。6桁の番号で管理されてるから。これ、ナチスの時の収容所の制度みたいで本当に恐ろしいんだが。これら2つの場所においてのみ、熱狂?強制?されてる描写が映っていて、肝心の富裕層たちの描写が一切ない。

怖くないか?  なぜ、無いんだ??

オアシス内で時を過ごしている人たちは、結局現実世界で隅っこに追いやられて、隠れ場所としてのオアシスを土壌にしてる人たち。彼女ら、彼らが見ている、見ざるを得ない世界を私たち観客は、あたかもそれがエンターテイメント性に満ち溢れた楽しい世界であるかのように感じてしまう。

楽しさの裏にある残酷さ。こう考えてみると、虚しくなってしまった。


追記。

X1スーツ絶対いらんやろ!🤣🤣

「痛みなくして勝利なし」

痛みを感じずに色んなことができるのがオアシス内の利点でもあるのに、わざわざ痛みを感じるスーツを着るなんて。大事な決戦の時にまで。。どれだけ刺激に飢えているんだ。。触られている感覚を共有できるのは、色んな利点もある反面、人間本来の繋がりの意味が薄れてしまう可能性を秘めてて怖かった。現実世界での触れ合いが面倒ということで、だんだんオアシス内の触れ合いに依存していき、気づくと年を取っている。悲惨な未来を想像してしまった。


追記2

2045年と言うと大体シンギュラリティなるものが到来してるとされる年代。つまり、AIが人間の知能を上回って人類とAIの立場が逆転するかもしれない時。それを踏まえたうえで本作の世界観を見ていくと、まだまだAIの台頭が見られない。まだ、人間に主導権がある。あれ?とふと疑問に思った。AIが完全とはいかなくても進歩してる時、自分が好きな仮想空間のステージを自動的にカスタマイズしてくれて、、など自動化・機械化がもう少し進んでておかしくないのに、極めてアナログ的な事が多い。

どうしてなんだろう。やはりストーリーの主題はオアシス内の世界観をいかに演出するかにあって、それ以外の余計な要素は極力省きたかったのかな。オアシス内の没入体験だって、マトリックスの様な方法も不可能ではないかもしれないが、あくまで子供目線で考えた際、単純にストーリーを追えるようにするためには余計な遊び心は見せない方が良かったのかも。

孤独だから仮想現実世界を作ったという人も、結局現実世界に魅力を感じ、その大きな要因が食事という😂 やっぱり食事は人間の欲の中でも優先度が高いものなんだな。



以下のリンク達は、新たな視座を与えてくれます!✨

彼(スピルバーグ)のSF作品に映し出される”未来”の姿は常に見る者をワクワクさせ、虜にしてくれます。しかしそこには常に問題が付き纏っていて、未来は必ずしも良いものではないのかもしれないと、映画に夢中になる我々を夢の世界から引き戻すんですよ。
彼の描く未来はユートピアであると同時にディストピアなんです。楽しい!面白い!だけで終わらない
人間は様々なことを外部化して便利な生活を獲得してきました。人間は備わっている機能をどんどんと使わなくなり、代わりに外部からそれを補強しているんです。
人々はOASISという世界に自分たちの娯楽を外部化してしまったんですよ。現実世界には存在する確かな実感や手触りを機会が信号として与える疑似的なものへと変えてしまった


♦シャイニング

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なんじゃこれ?というモヤモヤを抱きながら物語は進んでいき、後半4分の1くらいで急にスピード感が増した。少年ダニーが持つ能力・シャイニングと料理長との関係性、未来予知、そういうことなのかな?という感じには何とかかみ砕いてみたけれど、いまだに腑に落ちていないのである。。

あのエレベーターから流れてくる赤い液体の意味は一体何だったんだろうか?

①のリンク先にある言葉よりシャイニングに通底しているテーマは「暴力の歴史と連鎖」。これを踏まえると、アメリカ色の服を着ていた妻ウェンディはアメリカ側の人間であって、赤い液体はアメリカの外側から押し寄せてくる何か。移民?エレベーターという枠に収まりきらなくなったのか?いや、あの血はインディアン達のものか。白人によって追い出されたインディアン達が流した血ではないか。そして、物語序盤は家族全員が白人アメリカ人の立場であったが、ジャックはバーに訪れ酒を飲むことをきっかけにしてインディアン側の人間になる。

それを鏡を通して巧みに表象している。まずは237号室のシーン。キレイな裸体の女性が映るショットにおいて鏡はスクリーンから排除される。そして、女性の真の姿は鏡によって映し出される。つまり、酒を飲んだ以降スクリーンに鏡が映し出されていない時、ジャックは向こう側にいるのである。ダニーがもう一人の人格、シャイニングとの港として現れるトニーも鏡を通して映し出される。鏡に映る世界はインディアン達のもの、であり、作品の中で次元を2つに分割する。

インディアン側の人間となったジャック
インディアン側と白人側の両方を行き来するダニー
白人側のウェンディ

この3者の関係性を捉えつつ、物語の根底の「暴力の歴史と連鎖」というテーマを捉えることで解像度がグンと上がる。

とにかく、本作ではシンメトリー・左右対称の描写が多かった。ホテルにやってくる家族はもはや異物として捉えられる。ジャックを除いて。サッと見た感じ、ジャックがシンメトリー構造の中に入るシーンは無かったはず。夫人やダニー、料理長のみがその構図に収まっていた。異物として迎える最後は大体はバッドエンドなんだけど、夫人とダニーだけでもなんとか助かれたのは奇跡。シンメトリー構造を通してインディアン達から見て邪魔な存在となる白人たちを表現し、排除していく。このメッセージ性を加味したうえで本作を観るとより色々な気づきが得られるんよ😭

キューブリックの作品である「フルメタルジャケット」にも同様のシンメトリー構造が散見される。キューブリック作の映画を見際には注目要素やね!

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ウェンディがジャックを追い払おうとするときにバッドを使ってるのはアメリカへの皮肉のように思えてしまった。

また、料理長が寝そべりながらテレビでニュースを見ているシーンで、後ろにベッドの枠が映ったんだけど、ヒッチコックの「サイコ」を思い出した。その後に、電話をするシーンではカーテンレールの陰によってボーダーラインが料理長と重なる。ホテルに向かう際にワイパーが動いているのも、、?つまり、格子状の枠に収まっている・ワイパーの動きの意味ということは切り刻まれることを暗示し、実際料理人はジャックによって切られる。この細部までこだわっている可能性は何十回もテイクを重ねるキューブリックならあり得ない話ではない🤣

にしてもジャックが「扉を開けろーー!」というようなシーンにおいて急にカメラが下からジャックを捉えるんだけど、あのカメラワークにはむむむ、となりましたね。


最後のカットで映る写真の日付7月4日、アメリカの独立記念日の持つ意味。インディアン。写真というフレームに収まる白人たち。輪廻転生を繰り返すジャックの魂。ただし、繰り返されるのはホテルという枠の中でのみ。終盤、暴力として回帰する。そして、最終的に凍え死んでしまう。しかし、その輪廻は終わりを迎えた感じがしない。。


これはもう一回見たい作品ですね。ホラー映画として見ると、確かに近年のホラー要素強めのものと比べて見劣ってしまうけれど、その背景にあるコンテクストを吟味したうえで鑑賞すると一気に深みが増す。これが映画の良いところだよな。それぞれの映画が互いに良いところを持ち、補完し合い、観客を魅了してくれる。

めっちゃ面白い考察↓↓①

めっちゃ面白い考察↓↓②



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ではでは~また来週に😊


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