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No.15 脱成長、着成熟。 非モテのインセル革命/他者とは何か?/挑戦と失敗/安心社会から信頼社会へ/若き数学者のアメリカ/ビバリーヒルズコップ/マネーショート/セックスアンドザシティ/など

*雑念日記(大学生の)
ー 非モテのインセル革命 / 他者とは何か? / 挑戦と失敗
*今週の読書
ー 安心社会から信頼社会へ / 若き数学者のアメリカ
*今週の映画
ー ビバリーヒルズコップ / マネーショート / セックスアンドザシティ
*その他、、、
では、どうぞ ( ´ ▽ ` )ノ


雑念日記(大学生の)


♦インセル革命という言葉。「非モテ」の男性たちが、モテている男女、もしくはパートナーがいる男女に対して起こす暴動らしい。アメリカなどでは既に発生しており、今後日本でも散見される可能性大のもの。

非モテ、か。というより社会全体で現実世界における恋愛に関する関心が非常に薄くなっている気がする。だって恋愛ってめんどくさいもん。そんなめんどくさいことするんだったら、Netflixで映画とかドラマ見てる方が何倍も楽しいし、Instagramのストーリーをチェックするのに忙しいし、など他にやらないといけないこと、もしくは恋愛よりも優先度が高いものが増えすぎたせいで、「天使たちにラブソングを」の世界線みたいな恋愛に時間を割くことができなくなっているのでは、現代人は。そんな中で、非モテというのはある意味、恋愛に対する意欲を持ち合わせて何度かトライをしている。とすると、非常に価値のある行動を実行しているのではないか。

江戸時代とかに同じような積極性を見せるとモテるんじゃないか。まぁ過去の事を言ってもしょうがないんだけど、これほどまでに人間のある種本能的な要素、パートナーを作って遺伝子を後世にまで残すというコードがテクノロジーの推進、エンタメの発展によってハックされてしまったのは、果たして良いのか。

インセルは恋愛に対して向き合っているからこそ、劣等感を感じるのではないだろうか。その土俵に立つことすらしていない人が大半なのでは無いか、現代社会においては。。


♦受動的に入ってくる情報って、あんまり意味が無いしそれに付き合ってると時間の無駄だなと最近やっと気づき始めた。超高速で流れてくる回転ずしみたいなイメージで、あまりに流れてくるのが早すぎるから手を予め出しておいてキャッチしようと準備するんだけど、実際のところ掴むことができるのはほんの一握りのネタだけ。大半は掴めないか、掴めた!と思っても大破してしまう。

それなら、ゆっくりと流れてくる回転ずし屋か、大将が握ってくれる寿司屋に行った方が満喫できる。この感覚は情報をどのようにして入手していくかに近いのではないか。ファストな情報はその速さに見とれてついつい目で追ってしまうんだけど、どうでも良い、もしくは、、いやどうでも良い情報ばかりだな。


「へドニア」と「ユーダイモニア」

それぞれ快楽追求型と生き甲斐追求型。

幸せには大きく分けて2種類、つまり上記に上げたものに区別できる次元があるというのは知っていたんだが、それにこのようなギリシャ文字が当てはめられていたことは初めて知った。


♦宇宙に初めて行った人は言わずと知れた、Yuri Alekseyevich Gagarinなんだけど、それ以前に動物たちが実験的に宇宙に飛ばされていたことは知らなかった。最初は、ハエから始まり、犬、サル、ラットなどいろんな動物たちが宇宙空間での生物的反応を検証するために宇宙飛行していたなんて。

更に面白いと思ったのは、宇宙空間にただ飛ばされるだけじゃなくて、宇宙空間で作業が可能なのかを検証するために、条件づけさせられたサルを被験者として用いたこと。つまり、地上でレバー押し課題を実施。正しくレバーを操作できると報酬としてバナナが与えられ、間違ったレバー操作をすると、電気ショックが与えられる。この操作を身に着けたサルを宇宙に送り込むことで、宇宙空間での作業の遂行可能性を調査したらしい。正直、本当なのかはわからんが。

ただ、感動した。


♦ただ目的も無く、空を眺めていた。曇ってあんなに速く動いてるんだね。

♦「選択することができる」という状況にある方が「選択できない」よりも幸福感が上がるという事は一般的に言われている。その分、選択した時にその結果が上手くいかなかった時に感じる後悔の念のようなものも大きくなるのではないか?つまり、「選択できる」ことはあくまでその後の結果が上手くいったときにより幸福に感じるのであって、結果が上手くいかなたった時は、「選択しない」時よりもマイナス方向にダメージを食らうんじゃないか。それもあってか、選択による責任を追放するために他者に自分の選択の運命を委ねてしまうのでは?


♦一円が落ちているのを見つけた。最初は何も見ていないとして、通り過ぎた。ただ、何かがのどの奥に詰まっている気持ち悪い感じがしたので引き返して、誰にもバレないように拾った。そして、サポートセンターに届けた。「もし、落とし主が見つかった時にご連絡いたしますか?」と聞かれたんだけど、微笑しながら「大丈夫です」と答えた。流石にそこまで求めてはいなかった。。


♦日本にいると中々ネイティブの人と英語を話す機会が無い。だから、もしネイティブっぽい人を見つけたら割と積極的に話しかけるようにしている。その日も講義が終わって帰路についていた。僕の近くを明らかにネイティブであろう人が通り過ぎた。これは千載一遇のチャンスだと思った。というのも、アンテナをしっかり張っていくらネイティブを探してみても中々見つからず苦悩していたから。もちろん、留学生が集まるコミュニティとかに行けばすぐに、話し相手は見つけれるんだろうけど、何だか違う気がして、それはしていなかった。恐らく、youtubeで見た海外の大学のナンパドッキリの悪い影響だろう。という事で、一時はスルーしたもののやはり目の前にあると分かっているチャンスを逃すわけにはいかないと、話しかける前に入念なリハーサルをし、と今思い返すと挨拶のみをリハーサルしていて、その後どう展開していくか全く考えておらず、何やってんだかという感じなんだが。という事で勇気をもって「Hi! What's up?? Nice to meet you!」と話しかけた。さぁ、なんて返ってくるだろう。途端拍子抜けしてしまった。「すみません、私日本人です。。💦」なんという事か、あれだけステレオタイプには気を付けていきたいと意気込んでいたにもかかわらず、見た目が完全にネイティブだという事で実際にネイティブだろうと高をくくっていたのである。これには呆然としてしまった。完全に予想外の返答だったのである。とっさにすみませんと言おうとしたのだが「I'm so sorry」となぜか英語で言ってしまった。もう何が何だか分からなかった。とはいえ、こちらから話しかけてしまった責任を謎に感じ、せっかくなのでちょっとお話をしてみようと思い、日本語で会話を始めた。何でも、その人は日本人で、日本とドイツのハーフ。つまり、例えその人がネイティブだったとしても、ドイツ語を話すことができるだけで、英語は話せなかったのである。僕の中にあった、ネイティブの見た目をした人は英語を話すことができるというクソな前提が綺麗さっぱり覆されたのであった。ただ、少し話していく中でやはり日本人と話すのとは違う何かを感じた。だけなのかもしれない。


♦約1年前にとあるコミュニティで一緒に活動、全部オンラインで完結したんだけど、その人たちの内何人かと初対面。やはり対面は違う雰囲気を感じれるな。


結局、エラーを起こすのは人間なんだから、ややこしい選択の手続きをまずは機械を通して完結させて、人間がする選択は目の前に提示されたものに Yes/No を答えるだけにした方が効率よくね?ってこと。

就活とかも、何も分からん学生が一生懸命考えて適性を探すんじゃなくて、自分のデータを入力して機械のアルゴリズムに任した方がより効果的な人事配置ができるんじゃね?

そしたら、人間の主体はどこにあるんだ?という倫理的な話に突入するんだが。。そんな一寸の希望にすがっても、全体的な幸福が向上するんだったら、人間がする愚かな選択は最小限に抑えた方が良いんよな。


♦「私」にとって他者とは自分自身である。私という自我は他者がいることによって成り立っており、私という存在を認識するのも他者があってこそなし得るものである。これは正義と悪の2項対立に似ている。正義があるからこそ悪があり、どちらか片方が出現するとそれに呼応するように、その力を打ち消し合うようにもう片方が必ず発生する。つまり、他者無くして自分というものを認識することは出来ず、仮に世界に自分一人のみが存在している状況があるとするならば、そこに自我・主体は存在しないと思う。生まれたときに未知の惑星に放り込まれ、一人で生きていかなければならないとき、最悪の場合、考えるという事ができないだろう。また、自分と他者の間にハッキリとした区別はない。私という存在は自分にも他者にもなり得る。それは関わる相手によって変幻自在に規定される。そして、他者の存在は対面で会うときのみならず、会っていない時にも意識に上り、私に影響を与える。その点で考えてみると、私に影響しうるものは全て他者として見なすことができる。実在する人物だけでなく、架空の人物、アニメのキャラクター、人のみならず建物や空、「私」に影響を与え、「私」が影響を与えるものは他者であると見なせる。

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唐突な可愛い画像っ!!😳
集中力高めるには良いらしいっすよ~


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今週の読書

安心社会から信頼社会へー日本型システムの行方


「私たちは信頼し合える仲間です!😊」


ちょっと待てよ。「信頼」とは何なのか?その「信頼」は、信頼では無く「安心」ではないか?「信頼」と「安心」を混合して使っていないか?よくよく定義してみると、それらが指し示すものはかなり異なってるんだよ。そんな難しめの言葉の定義から始まって、日本社会に信頼は稀有である現実をつきつけ、アメリカ社会と対比をしていきながら、日本の方がアメリカよりも個人主義なのでは無いか?という疑問を投げかけてくる。p.s. 大学の偏差値が高いほど、見知らぬ人を信頼する割合が高くなる?!

てな感じの本。やはり噂通りの中公新書。クオリティが高い。。

日本にいると初対面の時に何となく相手との間に壁を感じ、ある程度時間を共にしたとしても、よほどの親友じゃない限り、ちょっとした溝が両者の間に存在するように感じる。相手のことを信頼するという行為は非常に少ない。


♦若き数学者のアメリカ


あっさりと頂ける塩ラーメンのようでいて、何重にも隠し味を忍ばせている老舗のような、そんな安定感を味わいながら、楽しい読書体験ができました。。

僕も今ある環境を飛び出して、まったく違う所に行ってみたいなぁ。

そういう所に行くという事が目的じゃなく、別の本当の目的、例えば勉強しにいくとか、転勤とかを目的として、副次的に新しい環境に飛び込まざるを得ない方が良い。絶対に。そのようなチャンスをものにするために、巡ってこさせるためにやらないといけない事は着実にやりたい。

目の前のことをやる時間、と将来の計画を立てる時間。どちらか片方に集中してしまうと y=1 、x=1 のように単調な直線になってしまうので何とかして y = 3x くらいの直線を描きたい。

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今週の映画

ビバリーヒルズ・コップ

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何なんだろ、この見終わった後はもちろんのこと、見ている最中に感じた心地よさは。派手な演出もなく、主人公が特殊な能力を持っているという訳でもなく、キャラクターがめちゃめちゃ癖のあるものである訳でもない。。

にも関わらず、この心地よさ。映画見た~という視聴後の高揚感!ホームアローンを見たときに感じたような居心地の良さを味わえた。あと、度々かかるBGMがめっちゃノリノリ♪♪♪なのも後味の良さ、爽やかさを演出してくれてる。


1987年の映画ということもあって、作中に出てくる携帯電話や車の様相はひと昔前のものなんだけど、それが一層の事、この映画の良さを引き出してくれていると思う。スマートフォンとか自動運転とか、最新の機器とかが出てきてしまうと幻滅してしまうような、シンプルなんだけど繊細なストーリー・世界観なんよね。

それだけ、「人」にフォーカスした映画。主人公のフォーリーはかなり外向的な性格だから色んな人に分け隔てなく接していく。だから、会話のシーンや give&take のシーンが多い。通常、会話ばかりの映像だと飽きてきてしまうんだけど、フォーリーのコミュニケーションスキルがユーモアに溢れすぎてて、思わず笑ってしまう。目が離せなくなるんだよね。本当に誰に対しても同じような態度で接してる。これは凄いことよ。その凄さがやっぱり「人」にフォーカスされてるからこそ際立つ。

そして、周りのキャラクターたちの一芸もフォーリーと良い感じにマッチしてる。色んなアクション映画と比べると、本作の刑事の無能ぶりには驚嘆してしまうんだけど、もはやそれまで面白く感じてしまった😂 まぁ、これもフォーリーの優秀な一面を際立たせるためには大切よね。

一番最初のシーン、デトロイトの風景・車工場の様子が映った後に、いきなり何らかしらの取引現場の場面なんだけど、フォーリーはどうみても悪役側にしか見えなかった。まさか、潜入捜査をしていたなんて😂 演技美味いなぁと。。

勧善懲悪、王道コメディーストーリって感じやね!

(善事を勧め、悪事を懲らすこと。 特に、小説・芝居などで、善玉が最後には栄え、悪玉は滅びるという筋書きによって示される、道徳的な見解にいう)


♦マネー・ショート 華麗なる大逆転

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2008年に起こったリーマンショック、いや厳密にいうと2008年に起こったというよりかはその数年前から既にリーマンショックが起こり得る土壌はできていた。歴史ではリーマンショックという大恐慌が起こって、金融が混乱を起こし、その影響はアメリカのみならず全世界にまで広がったという概要のみを習った記憶があるんだが、当時、一体何が起こっていたのか?なぜリーマンショックは起こりえたのかをわかりやすく説明してくれてて、勉強になった。

にしても、やはりエリートというのは恐ろしいのか、それとも社会が恐ろしいのかよくわからなくなったな。


「この野菜は全部オーガニックだ モンサントの種なんかじゃないぞ 自然の種を使うんだ」

とあるコメントによって気づいたんだが、上記のセリフをベンが皮肉交じりに言うシーンがあった。

「モンサント」とはベトナム戦争でゲリラ戦を優位に進めるために使用された枯葉剤を作って戦争の最中大儲けしたバイオ企業のこと。その会社が作る種を使用するんじゃなくて、あくまでオーガニックなものにこだわるというのは、会社に対する痛烈な批判やね。


そして、映画の終わり際に本作でドラムを弾いていたマイケルが次の投資先として活用しているのが「水」らしい。人口が必然的に増加していくであろう未来において、ウォーターフットプリントも増加していき(モノやサービスを消費する過程で使用された水の総量を図る概念)、水不足は直面しなければいけない問題。

というか、日本に暮らしていると、蛇口をひねると綺麗な水が出てくるという常識をいつの間にか持ってしまうんだけど、海外に当てはめてみるとめちゃくちゃ高水準な社会インフラよね。日本の水道って。


正直、この映画を見るまではいわゆる金融用語、ショートとロング、空売りなど全く知らなかった。当然物語の最初ら辺は何のことやら?と困惑してたんだけど、いざ調べながら見てみると非常に初心者にわかりやすい作りに思えたのかもしれない。作中でもあったように、知らないことは悪いことでは無く、知らない事をあたかも知っている風に装うことが悪いらしいので、僕が見やすい、わかりやすいという印象を持ったのはあくまで上っ面のみを理解しているだけかもしれない。

2回目を必ず見よう。


セックス・アンド・ザ・シティ

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Year after year, 20 something women come to New York city in search of the two "L". Label and Love.

で始まる本作。そして

20 years ago, I was one of them.

20年前に愛とラベルを求めてNYにやって来たけど、今はそれらに夢中になるのではなく、大人として生きていると感じさせる。が、大人になったと思っていても、ラベル(高級品やドレス)には気を配り、本当の愛とは何かがわからず道に迷う女性たちを描く本作。

映画に来るまでの物語がドラマとして描かれてるっぽいね。


必ず4人のうち誰かが、ネガティブな感じになるのはもはや必然なんだろうな。けど、長い付き合いをすることができるのは4人のキャラクターのバランスが絶妙なことは起因してるよね。

この映画見た後、多分いつもよりオープンな感じになるな。気をつけよ。映画の中に色んな性に関するトピックがでてきたけどどれも下品じゃないのはなんでなんだろうと気になった。


人をブランドで判断するのはもうよそう。
その人自身が見えなくなるからだ。

という形で終わるんだが、もう少し早く気づいても良かったんじゃないか?と個人的に思ってしまった。しかし、アメリカ特にNYに住んでいると、その本質を見つけることは至難の業何だろう。と上から目線で言ったは良いものの、結局人をブランドで判断してしまうのが人間なんだよな。

良い時計、良い靴、良い服、良い車、

これらを持っている人に初めて出会ったことを考えると、、。

うん。人をブランドで判断しないようにするというのは難しい。自分に余裕が無いときは。そんなものに惑わされずに相手と向き合えるだけの余裕が自分にあるならば、初対面の印象で相手を見定めることはせず、深入りもせず、接することができるだろう。余裕が必要。

余裕がある者同士で集まるのが一番心地よい。それは本作の最後のシーンに描かれていたような情景。心の底から今を噛み締めることができる。

では、その余裕はどこから湧いてくるのか。それにはやはり、苦しい経験を乗り越えなければいけないと思う。何の障壁もない人生を歩んでいると、自らの基準が常に0よりプラス方向にかけ離れた場所になってしまう。今、ご飯を食べることができていること、服を着ることができてることなどは当たり前に感じてしまう。ちょっと方向性が違うように感じるが、言わんとしていることは同じ。

人生のロードマップの中でマイナスを経験することで、0の状態がいかに幸せ、恵まれたものか、ましてやプラスの状態なんて贅沢すぎると感じれる。その境地に立って初めて、余裕が生まれる。

では、プラスばかりの人生だとどうだろうか。落ちる事などありえない、という脅えがどこかに潜み、常に緊張感を強いられなければいけない。相対評価が当たり前になってしまう。目の前の大切なものが何かわからなくなってしまう。少しの亀裂で、一気に壊れてしまう。本作の主人公のキャリーもまさにそれ。


華やかに装いながら、寄り添い合って、けなしあって、励まし合って、怒りをぶつけあって、、


女性たちの様々な一面にエンターテイメントされる本作。



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