現代版・徒然草【27】(第8段・仙人)

伝説上の人物として「仙人」という言葉がよく使われるが、今日はその話が書かれている段を紹介しよう。

昨日の「おっさん」の性(さが)とも関係するが、仙人といえども性欲には勝てないというお話である。

では、原文をみてみよう。

世の人の心惑はす事、色欲(しきよく)には如かず。人の心は愚かなるものかな。 匂ひなどは仮のものなるに、しばらく衣裳に薫物(たきもの)すと知りながら、えならぬ匂ひには、必ず心ときめきするものなり。九米(くめ)の仙人の、物洗ふ女の脛(はぎ)の白きを見て、通(つう)を失ひけんは、まことに、手足・はだへなどのきよらに、肥え、あぶらづきたらんは、外の色ならねば、さもあらんかし。

以上である。

ここで登場するのは、九米の仙人であるが、実は、奈良県の橿原神宮の近くの久米寺は、その仙人が建てたといわれている。

原文の後半から読んだほうが先におもしろさが伝わると思うが、「物洗ふ女の脛の白きを見て、通を失ひけん」というのは、洗濯物を川で洗う女性のふくらはぎが白いのを見て、神通力を失って、空から落ちたという伝説のことを言っている。

この仙人は、空中飛行術を身につけていたのだが、神通力を失ったことで、普通の人間になってしまい、その女性と結婚したという昔ばなしが、奈良県に実在する。

そして、兼好法師が結びの文で「さもあらんかし」(=さもありなん)と認めているように、手足や肌の色が清らかで、肉付きが良くて、まさに実物の美しさであれば(=外の色ならねば)、無理もないことなのである。

だから、冒頭の文で、世の中の人の心を惑わすことで、色欲以上のものはないと言っているわけで、人(=特に男)は愚かなものだなとつぶやいている。

そして、匂いにも言及しているが、これは「衣装の薫物」(=現代では香水にあたる)は、単に人工物であり、その人そのものの匂いではないのに、惹かれてしまっている。

これは、男も女も同じである。

だから、結局は、化粧とか香水でごまかしていることを分かっていても、そのいい匂いにうっとりしてしまう人も愚かなものなのだ。

嫌われたくないからそうやって着飾るのだとしたら、私は、そう問いかけたい。

そこに愛はあるのか?と。



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