現代版・徒然草【20】(第84段・ホームシック)

今日は、人生の中で一度は経験するであろうホームシックがテーマである。

そして、この段で登場するのは、中国の僧侶である法顕である。

「三蔵」というのは、三蔵法師の略称であるが、固有名詞ではない。私たちになじみ深い『西遊記』に孫悟空と登場する三蔵法師は、「三蔵」が名前ではない。その三蔵法師の名は、「玄奘」(げんじょう)である。

そもそも、「三蔵」というのは、仏教でいう「律蔵」「論蔵」「経蔵」の3つを指し、これらに精通している僧侶を、三蔵法師という。

そういうわけで、法顕三蔵の話を、原文を読んで訳してみよう。「天竺」は、インドのことである。

法顕三蔵(ほっけんさんぞう)の、天竺(てんじく)に渡りて、故郷の扇(おうぎ)を見ては悲しび、病に臥しては漢の食を願ひ給ひける事を聞きて、「さばかりの人の、無下にこそ心弱き気色を人の国にて見え給ひけれ」と人の言ひしに、弘融僧都(こうゆうそうづ)、「優に情けありける三蔵かな」と言ひたりしこそ、法師のやうにもあらず、心にくゝ覚えしか。

以上である。

修行のためにインドに渡った法顕が、故郷の扇を見ては悲しくなり、すっかり心を病んで(=ホームシック)、漢(=中国)の料理を食べたいと願っていたのを、ある人が聞いたわけである。

僧侶というのは悟りの境地に入っていて、めったに動揺することはないというのが、一般庶民の見方であろう。

だから、「あれほどの人が、ひどく気の弱いところをよその国で見せるとは・・・。」と言ったのだが、弘融(というお坊さん)が、「上品で人情味のある三蔵だなあ」と言っていたのは、僧侶らしくなくて、奥ゆかしく感じられたと兼好法師は思ったのである。

弘融僧都の「僧都」とは、「僧正」(そうじょう)に次ぐ二番目の職位である。つまり、身分の高い僧であり、弘融は、兼好法師と同世代の実在人物で、伊賀国(今の三重県)に住んでいた。この段が書かれたとき、弘融は、61才だった。ちなみに、この年、室町幕府の初代将軍だった足利尊氏が42才であった。

人間誰でも気の弱いところはあるが、人前で気丈に振る舞うことがいかに難しいかということを、弘融はそれとなく言って、法顕をきちんと立てているのである。






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