20世紀の歴史と文学(1992年)
おとといの1990年の回の記事で、次のようなことを書いた。
「これが翌年の湾岸戦争に発展し、多国籍軍の集中攻撃をイラクは受けることになるのだが、イラン・イラク戦争でアメリカはどっちを支援していたか、明日の1991年の回を読む前に振り返っておいてほしい。」
1991年の回では、湾岸戦争のことは全く触れず、アメリカもイラクも出てこなかったではないかと思った人もいただろう。
そう、ソ連崩壊一色の記事だった。
つまり、ソ連の話をするから、イラクとアメリカのことは、頭の中がソ連でいっぱいになる前に整理しておいてねという意味だったのである。
湾岸戦争は、1991年の年明け早々に始まり、3月にイラクは停戦に合意した。
この戦争は、ハイテク戦争とも呼ばれ、最新兵器の駆使によってアメリカは圧倒的優位に立った。
他の国々も参加した多国籍軍だが、日本は当然のことながら憲法の縛りもあって加われなかった。
巨額の資金援助だけで一応協力したという形を取ったが、この日本の対応は、国内外で大きな議論を呼んだ。
やむを得ず、日本は同じ第二次世界大戦敗戦国のドイツに合わせる形で、ペルシャ湾の機雷除去のための掃海艇を派遣した。
つまり、ギリギリのところで戦地に自衛隊を派遣したのである。
ペルシャ湾の機雷は、実は、イラク軍が多国籍軍の上陸を阻むために海中に仕掛けたものである。その機雷は1200個ほどあったと言われているが、先に述べたように、アメリカはハイテク兵器でピンポイントで精密攻撃をしてきたので、イラクは劣勢に立たされた。
ただ、その戦争の後始末を日本はアメリカや国連から依頼されたことで、自衛隊の派遣についてこの頃から慎重な判断が求められるようになった。
そして、1992年の6月に、日本は国会で「国際連合平和維持活動等に対する協力に関する法律」(=PKO法)を成立させ、2ヶ月後の8月にこの法律は施行された。
9月には、この法律に基づいて、カンボジアに自衛隊が派遣されて、大きな話題になった。
当時の法律の条文を見ると、第24条では、自衛隊の武器の使用について、次のように定められている。
【第24条】
(略)小型武器の貸与を受け、派遣先国において国際平和協力業務に従事する隊員は、自己又は自己と共に現場に所在する他の隊員若しくはその職務を行うに伴い自己の管理の下に入った者の生命又は身体を防衛するためやむを得ない必要があると認める相当の理由がある場合には、その事態に応じ合理的に必要と判断される限度で、当該小型武器を使用することができる。
以上である。
「平和のための自衛隊派遣」ということだが、日本の防衛問題を考えるときは、この1992年がターニング・ポイントになるので、しっかりと条文の意味を理解しておく必要があるだろう。