震災とひだまりの詩

今日は、私が経験した阪神大震災から29年である。

同じ1月に被災した能登半島の住民の方々も、本当に寒い中で大変な思いをしていることだろうと、亡き人たちの供養とともに、これからの生活再建がうまくいくようお祈りした。

一番つらいことは、愛する人を亡くすこと。

家族や恋人を亡くし、悲嘆に暮れながらも周りの人に励まされて、今日まで生きてきた人もいる。

能登半島地震の被災者の方も、なかなか現実を受け入れられないかもしれないが、ここは踏ん張って乗り越えてほしい。

阪神大震災から2年後に、ル・クプルの『ひだまりの詩』がヒットしたのだが、私と同様に、震災を乗り越えてきた人はみんな、この歌にほろりと涙したことだろう。

まさしく、被災したことで会えなくなった人たちのことが思い出される歌であり、良い曲をありがとうという気持ちになったのである。

(一番の歌詞)
逢えなくなってどれくらい経つのでしょう
出した手紙も今朝ポストに舞い戻った
窓辺に揺れる目を覚ました若葉のように
長い冬を越え今ごろ気づくなんて
どんなに言葉にしても足りないくらい
あなた愛してくれた
すべて包んでくれた
まるでひだまりでした

以上である。

この歌がヒットした1997年当時は、まだインターネット、携帯メールもそこまで普及していなくて、ポストに手紙を出したり、自宅の郵便受けに年賀状が元日にどっさり来るような時代だった。

同じ神戸市で、出した年賀状が宛先不明で戻ることがあったが、理由は、家が倒壊したか、その人が亡くなったか、あるいは引っ越して無事に生きているかのどちらかだった。

メールもない時代だったから、無事かどうかは人づてに情報を仕入れるか、当の本人からの便りを待つしかなかった。

でも、地震で本当に亡くなっていたら、この『ひだまりの詩』のように、その人に良くしてもらった日々が思い出されて、地震の悲惨さが改めてひしひしと自分の身に伝わってくるのである。

『ひだまりの詩』以外にも、勇気づけられた歌はある。

神戸発の震災復興ソングが作られて、『しあわせ運べるように』を子どもたちが学校などで歌い継ぐようになった。

その『しあわせ運べるように』は、東日本大震災の被災地でも広がりを見せ、まさに東日本大震災も経験した私は、この歌が東北にやってきたことに大きな感動を覚えたものである。

能登半島地震の被災地でも、『しあわせ運べるように』が子どもたちの間で歌われ、お年寄りの方など生きる目的を見失っている方々がぜひ勇気づけられたらいいなと思う。

そして、『ひだまりの詩』は、この2ヶ月余の冬を乗り越えて、新年度を迎えて落ち着いた頃に、ゆっくりと口ずさむとよいだろう。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?