20世紀の歴史と文学(1949年)

今の中国や台湾の問題を考えるとき、私たちはどこまで歴史をさかのぼればよいのだろうか。

特に、第二次世界大戦のときは、日本軍の中国大陸における侵攻があったことは事実であり、中国軍が日本に上陸して侵略したことはない。

沖縄戦で、沖縄に上陸したのはアメリカ軍とイギリス軍であるが、そういう事態を招いたのは、結局のところ、東南アジアの欧米の植民地に日本軍が侵攻したからである。

アジアの民族を欧米人による抑圧から解放したのだという主張は、何十万人の犠牲者を出してしまっている以上、正当化できるものではない。

では何もせずにいれば良かったのかというと、それも分からない。

もしかしたら日本も、中国のように共産化されていたかもしれない。

今日は、今の中国の原点が、1949年10月1日の毛沢東による中華人民共和国建国にあることを押さえた上で、台湾のことも触れることにしよう。

台湾は、もともと中国が清王朝統治時代だったときから、清国の領有地だった。

それが江戸時代末期の1840年に、イギリスと清のアヘン戦争によって半植民地化され、清国は衰退していくのだが、今度は、日本が日清戦争を明治時代(1894年)に起こし、その戦いに勝利した日本は清国から台湾を割譲させた。

1895年、一時的に台湾民主国が成立したのだが、これは日本軍による統治に抵抗する現地の軍官たちの政権樹立によるものだった。

だが、結果的に5ヶ月ほどしか続かず、日本による統治は、このときから1945年まで50年間も続いたのである。

この間、中国大陸では、特に1930年代以降、蔣介石が率いる中国国民党と、1917年のロシア革命以降広がっていった共産主義勢力の影響のもと中国共産党が、それぞれ活動していたことはすでに本シリーズで解説している。

中国国民党は、アメリカの働きかけもあって、日中戦争のときは日本軍の攻撃をなんとかしのげていた。

最終的に、いわゆる国共合作により、中国共産党ととも抗日戦線の統一を図ったわけであるが、日本が降伏して中国や台湾が解放されたときに、戦後統治をどうするかで、再び中国共産党と対立したのである。

だが、アメリカはこのとき日本の戦後統治を優先していたこともあり、その隙をソ連に突かれてしまった。

つまり、ソ連が中国共産党を後方支援したわけだが、すでに満州国や北朝鮮はソ連軍が進駐しており、中国大陸の北部は共産党勢力がほぼ占めていた。

蔣介石率いる国民党は、南部のほうに追いやられるが、毛沢東率いる人民解放軍が1949年4月に、南京を制圧したことで、中国大陸における統治権を完全に失った。

残ったのが、日本が降伏した1945年に解放された台湾であり、今の台湾の台北市が、中国国民党が樹立した中華民国政府の首都となった。

今の中国が、一つの中国を主張するのは、こうした経緯が第二次世界大戦中にあったからである。

台湾は、その後、再び日本との関わりが生じるのだが、それはどちらかといえばポジティブなほうであり、中国本土以上に、今でも親日派が多いのは確かである。





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