20世紀の歴史と文学(1922年)

今日は、日本人なら絶対に知っておかなければならない1922年の出来事を紹介しよう。

島崎藤村の小説『破戒』も、部落差別がテーマとなっていて、大きな反響を呼んだ。夏目漱石にも絶賛されたことは、本シリーズの1906年の記事で、すでに触れている。

フランスの人権宣言が1789年に出されているのだから、日本は130年以上も遅れていたのである。

1922年、ようやく日本で初めての人権宣言となる「全国水平社宣言」が、3月3日に発表された。

その全文を以下のとおり示そう。

全国に散在する吾が特殊部落民よ団結せよ。 
長い間虐(いじ)められて来た兄弟よ、過去半世紀間に種々(しゅじゅ)なる方法と、 多くの人々とによつてなされた吾等の為めの運動が、何等の有難い効果を齎(もた)らさなかつた事実は、夫等(それら)のすべてが吾々によつて、又他の人々によつて毎(つね)に人間を冒涜されてゐた罰であつたのだ。
そしてこれ等の人間を勦(いたわ)るかの如き運動は、かへつて多くの兄弟を堕落させた事を想へば、此際吾等の中より人間を尊敬する事によつて自ら解放せんとする者の集団運動を起せるは、寧ろ必然である。 
兄弟よ、吾々の祖先は自由、平等の渇仰者(かつごうしゃ)であり、実行者であつた。
陋劣(ろうれつ)なる階級政策の犠牲者であり男らしき産業的殉教者であつたのだ。
ケモノの皮剥ぐ報酬として、生々しき人間の皮を剥取られ、ケモノの心臓を裂く代価として、暖い人間の心臓を引裂かれ、そこへ下らない嘲笑の唾まで吐きかけられた呪はれの夜の悪夢のうちにも、なほ誇り得る人間の血は、涸(か)れずにあつた。
そうだ、そして吾々は、この血を享けて人間が神にかわらうとする時代にあうたのだ。
犠牲者がその烙印を投げ返す時が来たのだ。
殉教者が、その荊冠(けいかん)を祝福される時が来たのだ。 
吾々がエタである事を誇り得る時が来たのだ。吾々は、かならず卑屈なる言葉と怯懦(きょうだ)なる行為によつて、祖先を辱しめ、人間を冒涜してはならぬ。
そうして人の世の冷たさが、何(ど)んなに冷たいか、人間を勦(いた)はる事が何んであるかをよく知つてゐる吾々は、心から人生の熱と光を願求禮讃(がんぐらいさん)するものである。
水平社は、かくして生(うま)れた。 
人の世に熱あれ、人間に光あれ。

以上である。

本文中にもあるように、エタ・ヒニンなどという差別的身分呼称が当時はまだ残っており、島崎藤村の『破戒』の中でも描写されているが、被差別部落出身であることを隠して生きていた人が現実に存在した。

また、穢れ仕事をしているという理由で、職業差別もあった。

どこかの知事もそうだったが。

駅構内などにある公衆トイレを気持ちよく使えるのは、誰のおかげなのか。

そういう仕事に就いている親を持つ子どもが、「僕(わたし)のお父さん(お母さん)は、みんなのために立派な仕事をしているんだ。」と誇りに思えるような世の中に、日本は変わっただろうか。

今年のひなまつりは終わったので、全国水平社宣言から、すでに102年が経ったことになる。

「美人だね、ハンサムだね」という褒め言葉も、裏を返せば、容姿差別なのである。


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