野原小路

絵と小説をかいています  https://rukuisari.dojin.com

野原小路

絵と小説をかいています  https://rukuisari.dojin.com

マガジン

  • 小説『緑の縁』

    嵐と呼ばれる災いを恐れる、閑静で不穏な都市。小説家の恋人と暮らす若者・詠は、ベッドで彼の死を目の当たりにした夜、己の顔をした謎の少年と出会う。 私達とよく似ていて、少し違うからだの人類の物語。 《不定期更新予定・中編》 ※性表現を含みます。

  • 小説『樹洞より』

    人間は皆、巨樹のうろから生まれる世界。母なる木を愛する純真な少年・澪は、己が胸に棲まう幻を恐れ、ふるさとの島を旅立つ――人のさがに息づく、暗く暖かな深淵を知った者たちの群像劇。不定期更新予定、近現代東洋風の長編ファンタジーです。

最近の記事

緑の縁(4)

 窓の外には夜景があった。  薄暗い路地の向こうで、無数のネオンと看板が光っていた。ピンクやオレンジやシアンの電灯のそれぞれが、一番の眩しさを競り合い、色の違いを主張しようとしている。けれども、そのどれもが事切れる時を恐れていて、疲労と寂しさで互いに似通い合ってしまう。  その夜景の色は、この街のものでなければ、この窓から見えるべきものでもなかった。  珠の部屋の窓から見える景色は、すぐ側にある理髪店の、レンガを模したタイルの壁に遮られているはずだった。あたしたちがこのアパ

    • 緑の縁(3)

      【彼が私と共に、たとえ褥の上に在ったとしても、私の最奥を見ることがないのは知っている。それでも私は、彼の窓を、深く深く覗き込むことを願うのだ。】  珠の書いた小説で、キスの見せる幻覚が窓に喩えられていたことを思い出す。  窓は外の世界を覗くためのもので、キスもそれと同じだった。人間の喉が出す精液だけに、魔法のような力か、特殊な成分か何かが入っていて、触れた人に持ち主の心象風景を味わわせる。  それが、神様のような不思議な存在の意図なのか、ただの偶然なのか、考えてみても分から

      • 緑の縁(2)

         あたしの部屋の窓は、一日じゅう曇るようになった。  割れた窓の替えは、白っぽい磨りガラスになった。それはあたしの選んだものだった。ガラス屋の土間には、透明な窓、網の入った窓、ぷつぷつの粒模様で埋め尽くされた窓、それを背景にもみじや小花の彫られた窓が並べられていた。あたしはその中で一番透けていない、肌理の細かい磨りガラスの窓を選んだ。外が見えなくてもいいのと珠が尋ねて、それでいいよと答えた。  それが一週間前のことだったけれど、窓の曇っていることにはまだ慣れていない。半透明の

        • 緑の縁(1)

           窓が割れて、緑色の線になる。  木の生き方を真似するみたいな線でガラスが割れていく。割れて露わになった縁は目を刺すような緑色に光っている。割れ終わったあともガラスの縁は緑色の光を出していた。あたしは窓という透明なからだのものに血が通っていたことに驚いた。 「嵐かもしれない」  背後で珠の声がした。開けっ放しの部屋のドアから、廊下に珠が立っているのが見えた。 「窓、それ、割れたの?」  珠の声が続く。廊下の暗がりの中に表情は見えなくて、それでも珠の気持ちが伝わってきた。高い背

        緑の縁(4)

        マガジン

        • 小説『緑の縁』
          4本
        • 小説『樹洞より』
          5本

        記事

          『樹洞より』5・別れ銀杏

          とわの瞳 初めて澪に呼ばれた日のことは、この身がどんな姿になっても覚えているだろう。  その日、木霊のやつらがひどく騒いでいたから、俺は昼寝を諦めた。無遠慮な木こりでも来たのかと思って声のする方へ向かえば、やつらがひとところに集まって、うじゃうじゃと雲の体を蠢かせていた。その白色の中に、澪がいた。  吊った目つきの、瞳の色は銀杏だった。秋の終わり、銀杏の葉はあんな黄色に向かっていって、辿り着いたものから地べたに落ち、重なり、潰える。その時の黄色を、ずっと閉じ込めたみたいな目

          『樹洞より』5・別れ銀杏

          『樹洞より』4・べにの間

          春の胸 春の始まりの暖かさは、きっと世界のどこであっても、胸に心地良いものなのでしょう。  遠ヶ崎の街で迎える春は、山深い巻砂のものと比べれば、幾分か知ることの難しいものです。目白の集う桜の木も、花の房をたわわに下げた小米柳も、巻砂ではありふれていたものでした。しかしこの街では、よそのお店の庭を覗いて、やっと見ることのできるものたちです。  それでも、道行く人々の表情が和らいでいること、お日様が早く顔を出し遅くに去っていくことに、私は心を暖かくせずにはいられないのです。 (今

          『樹洞より』4・べにの間

          『樹洞より』3・帳の浦

          桧扇貝 彼は水面に道を描く。  その身は水の畝、その声は千々のあぶく。腕のひと振りが水面をさらい、歌のひと声がしぶきを撫でる。彼の通るあとは、細波の足跡が続く。  彼は水の原を行く。彼はいつからここにあるのか知れない、けれど行く宛には迷わない。目先には舟があり、その艫を追って彼は行く。  彼は舟の尾となって、少しも絶やさず道を描く。彼の足跡を見た者は、そこに道のあることを知る。そうして彼に続こうとして、しかし畏れて旅を断つ。  畏れる故は、彼の追う白い舟。その舳先の向かうとこ

          『樹洞より』3・帳の浦

          『樹洞より』 2・木陰

          桔梗 少年は、目の前で起こりゆくことを理解できなかった。  学舎の瓦がところどころ燃えていて、その炎は白かった。白い炎からは栗鼠の尻尾が飛び出して、途中で櫛に変わり、櫛歯の一本ずつをぱちぱちと弾けさせながら、宙に石楠花を咲かせた。それらは全て、漆喰を被ったように白かった。  やがて、純白の石楠花のひとつが、少年の目の前にぱちりと音を立てて咲いた。少年はぼうっとした目でそれを見て、手を伸ばす。 「ギルギョン、それに触るな!」  呼びかけられた少年は手を引っ込め、声の主を振り返る

          『樹洞より』 2・木陰

          『樹洞より』 1・船の足跡

          澪 澪は生まれ育った島を出る。洋品売りの商家のもとへ、丁稚奉公へ行くのだ。  巻砂という名の島の南西部、険しい山岳と磯からの風が通う盆地に、澪の住む集落はあった。斜面や崖の多い土地の、最も平坦な部分には田が造られ、荒れた土に初春の小さな芽吹きを許している。それ以外の細かな土地には、蕪や菜種、籾殻を被った甘薯の畑がひしめき、ところどころに藁葺きの小屋が点在している。  それらの田園の中に、瓦屋根の平屋の集まる一角があった。この島に生まれた子供達が暮らす、唯一の学び舎である。

          『樹洞より』 1・船の足跡