鏑木清方の絵と声と随筆と・・「おろか」があることについて
鏑木清方の展覧会。
東京の開催が終わって、京都での開催が始まりました。
東京も京都も「国立近代美術館」なのですね。
東京での開催が5月8日まででしたので、その間際に行って来ました。
鏑木清方は「かぶらききよかた」と読みます。
1878年(明治11年)の生まれで、1972年(昭和47年)に亡くなっています。享年93歳。
明治の人という印象が強かったのですが、私が1965年(昭和40年)生まれですので、7年間この世でご一緒していたのですね。
そのことがわかって、ちょっと嬉しくなりました。
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秋の夜に灯油の明かりで頬杖をつきながら本を読む女性や、夏の朝早く露がまだしっとりしている頃にゆっくりしている女性。
鏑木清方の描く女性や場面は、みんな「ふわっ」としていました。
何かに追い立てられている感じがないというか、
「今」に没頭しているというか、
そこに流れている時間がとてもゆっくり長くあるように感じられて、
とても羨ましくなりました。
それが鏑木清方の「絵の魅力の根源」のような気がしました。
絵を見ながら「ふと」頭をよぎったことなのですが、これからあとの人生は、スマホとか、パソコンとか、SNSはない時間を多く過ごして生きたいなぁと思いました。
一体なにが、「あの頃」と「いま頃」とでは、違うのでしょう。
そんなことを思索しながら、会場を回っていました。
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展覧会では鏑木清方の声も聞くことができました。
NHKのラジオ番組でのインタビューの録音で、会場で聴きながら書き取ったメモなので、多少違う部分があるかもしれません。
鏑木清方の声は、とても穏やかでゆったりとしていて、「和気満堂」という言葉を思い出すような空気感。
おそらくこの番組がつくられたのは昭和30年代の頃だと思いますが、当時でもすでに「日常生活に余裕がなくなった」と感じられていたから、こんな風にお話されているのでしょう。
それから60年ぐらい経った現在は「さらに余裕がなくなっている」ように思います。
明治という時代についての清方の見方は
1)幸せ = ゆとりがある = 苦しい生活でない
2)下町の裏屋はたいていみんな綺麗に掃除が行き届いている = 余裕がある
「ゆとり」や「余裕」が、幸せに直結している。ということですね。
けれどもそれは「金銭的なゆとりではない」ようなのです。
下町の裏屋が「掃除が行き届いている」という状況だということは、それは「時間的な余裕」と関係がありそう。
物理的に「自由な時間がある」という状況が、行き届いた掃除を可能にするし、季節をしみじみと感じる「心のゆとり」をもたらしてくれるのでしょう。
ああ、現代の日常は、常に時間に追われています。
仕事でも勉強でも家事でも趣味でもなんでも「生産性」とか「効率」とかが、優劣の基準になっています。
これらの指標は「時間」が分母になって計算されますので、
●同じ時間で「たくさんの事を成す」ほど良し
●同じ事なら「時間が短い」ほど良し
とされます。
だから現代人のほとんど全ての人が「時計」を持っていますし、人によっては一日中自分のペースを数値化して判定してもらっている場合もあったりします。
また企業においては、さらにシビアに「生産性」が測定・判定・評価されていますが、それが近年はさらに加速しているように感じます。
「生産性の向上」と「効率化」はもはやビジネスの世界では超基本です。
そして働く人の「心の病」もその軋轢によるものがほとんどかもしれません。
たぶん明治の人で時計を持っているのは、限られた人だったでしょう。会社や株式のしくみもまだ芽吹いたばかりでした。
あれから150年。
いったい今の世の中で、時計を持たず、時間給という形でなく生きる糧を得て、生きることはできるのでしょうか。
すぐには名案がうかびませんが、展覧会を見終わった後、ミュージアムショップでこんな本を見つけました。
鏑木清方自身が書いた随筆を集めた本で、清方が絵を描きながら、思考していたこと、世の中を見ていた見方とかが伝わって来ます。
この中の「二日月」という題に昭和25年9月の日付があって、川合玉堂が描いた『二日月』についての、こんな文章があります。
三日月では「おろか」がない。というのです。「おろか」がないのは「イケテナイ」というのです。
この「おろか」というのはどういうことなのでしょう。
調べると「疎か」を「おろか」と読むことがわかりました。
二日月と三日月は線ひとすじの差。
二日月なら「おろか」があり、三日月では「おろか」がない。
三日月では「詰まりすぎ」なのですね。
「おろか」は「愚か」とも書きますし、「詰まっていないこと」は「つまらない」と言いますので、見方がまったく逆に反転するのも、両義的で諸向きで、日本語の面白いところ。
でもまあ、私は「おろか」に生きて行きたいな。と
鏑木清方の展覧会を見て、
彼の随筆を読んで、思いました。
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