Shizuka

どうにもならないことをどうにかしようとしても無理! 次いきましょや! 写真と、アート…

Shizuka

どうにもならないことをどうにかしようとしても無理! 次いきましょや! 写真と、アートと、恋愛のこと そして、ITのことも すきなものをすきなだけ

マガジン

  • Every moment

  • 15年後、天井が空になる

    多発性硬化症と診断された彼と、その周りの人達の記録です

最近の記事

孤独は残酷なほど、現実をおしえてくれる

夜は良い どんなに分かり合えた同士でも孤独な夜はやってくるし、 月が雲に隠れてても好きな人に、月が綺麗ですねってことばを贈れる 夜は音楽が似合う ラブソングを聴いていても心は冷めるし、夢から醒める あー夜っていいなと、つくづく感じた夜だった

    • もしかしたら、ずっと営業に憧れていたのかもしれない

      新しい会社に入って、1ヶ月が経った 「営業に向いてるよ」と言われ続けて、10年 その度に、「向いてないですよ」と返してた 営業になりたくなかったのは、大学生の時にがっつり営業をしていたからだ 他人が何を考えているかを、痛いほど理解して行動する 痛すぎて、仕事に行きたくなかった 「この人今測ってるな」 「あ、この人きっとあの人と仲良くないな」 他者の行動の一挙一動が、私の行動を制限させる それでも、周りの人たちの笑顔をみるのが好きだったし、世界が変わる瞬間に携わられる

      • Every moment - Day2

        Day2と書いてみたものの、2日目からしっかりと連続記録をやぶっている そう、私はいつだって日記が苦手である でも月が、中秋の満月が綺麗なので許してほしい 「営業にはハプニングもラッキーも要らない。ただ正確な計画と数字があればよい」 そうお伝えしてくれたのは、今となってはとても偉くなっている仲の良い方だ 色々なセールス手法がある SPINも習ったし、Value Sellingもやった 今日はCorporate Visionを学んだ 今までは課題を聞き、解決方法を提示、

        • Every moment - Day1

          転職してあまりにもお仕事が忙しすぎるので、日々を過ぎ去らないために日記として、徒然なるままに書きます ちなみに、日記は一番苦手です 続けられる自信はありませんが、100日を目標にします 転職して18日が経った いい会社、本当にいい会社 みんながみんな、ちゃんと信頼の中でお仕事をしている 前の会社、実は上司からハシゴが外されたり、パワハラされたりとなかなかの大変な環境だった それでも楽しかったのは、会社の人と仲良しだったからだ 今の会社、優秀すぎる人たちの中でやってい

        孤独は残酷なほど、現実をおしえてくれる

        マガジン

        • Every moment
          2本
        • 15年後、天井が空になる
          5本

        記事

          「おしごとおわったらさ」

          毎日毎日、パソコンの画面を10時間以上見続ける生活 週に半分以上、家から出ずに気づいたら空が暗くなっている こんな生活を、誰が2年前に想像していただろうか もっと海外旅行に行っておけばよかった もっと理由もなく外に出かけていればよかった もっと"自由"を感じていればよかった 仕事はどんどん忙しくなっていき、心がすり減らされていくのが、わかる 1日に10個以上の打ち合わせがあっても 営業の成績はよくならない それでも、頑張り続けるしかない そう思って1年間、前だけを見

          「おしごとおわったらさ」

          激務じゃない世界線を手に入れるために!

          こんばんは、お疲れさまです いい加減学習しろよ、と自分に言いたくなったのでなぜ激務になってしまうかをこの場をお借りして一緒に紐解いていきたいと思います そして、書き終わっている頃には、あーそうか、だから激務になるのね、気をつけよう!ふむふむ!と自分自身がなっていることを期待します まずは激務の定義から、一緒に理解していきましょう1. 月80時間以上の残業 2. 残業以外での付き合いが多い 3. ストレスがかかる いいですね、大事なことは3つ!わかりやすい! ビジネスに

          激務じゃない世界線を手に入れるために!

          15年後、天井が空になる-それぞれが思う道-

          2015年3月、旦那が国の特定疾患の多発性硬化症と判明 難病に翻弄されつつ、過ごしていく家族の物語 衝撃的な一言 ナースステーションの前、長い一本道、点滴を持ちながら歩く人、泣きじゃくる自分、なかなか来ないエレベーター あなたも、いつまでもずっとずっと記憶に残る場面があると思う まさしく、私にとってこの場面はそれだ 翌日病院に行ったら、しぶしぶ謝られて、別れることはなかったけれど 入院中に、先生と話す機会があった 色々と説明があったが、覚えていることは2つ 「15年

          15年後、天井が空になる-それぞれが思う道-

          15年後、天井が空になる - 病気のせいなんかじゃない-

          2015年3月、旦那が国の特定疾患の多発性硬化症と判明 難病に翻弄されつつ、過ごしていく家族の物語 今回は多発性硬化症という病気の話もお届けしたい 多発性硬化症とは、脳内で起こる自己免疫疾患である 正常な脳の神経に対して間違って攻撃してしまうということが起きる その攻撃がいつ起こるか、わからない 生涯に1回だけかもしれないし、沢山起こるかもしれない 私は勝手に脳内テロと呼んでいるのだが、どこに病巣ができるかによって身体へ及ぼす影響がまったく違う 脳幹:2015年3月の

          15年後、天井が空になる - 病気のせいなんかじゃない-

          15年後、天井が空になる - 東京は悪い街 -

          2015年3月、旦那が国の特定疾患の多発性硬化症と判明 難病に翻弄されつつ、過ごしていく家族の物語 2015年4月 2回目の入院 今回の目的は治療 治療と言っても、新しい病変に対してできる限りのことをするだけ 古い病変には何もできない 傷を放置すると汚い傷口となってしまうが、ちゃんと処置していればすぐに元通りにすることができる 強力なキズパワーパッドを使って 脳というのはとても難しい臓器で、後戻りができない 一度壊れてしまったものは失われたままとなる しかし強い治療を

          15年後、天井が空になる - 東京は悪い街 -

          15年後、天井が空になる - 18万2千円也 -

          2015年3月、旦那が国の特定疾患の多発性硬化症と判明 難病に翻弄されつつ、過ごしていく家族の物語 1週間の検査入院後、会計となった 「やっと退院できたねーよかったねー」 「せやな」 「なに食べたいー?」 「肉」 「わかったー」 「はい、お会計はこちらです」 18万2千円 あまりにも高い 高すぎる 旦那は社会人5年目、私は社会人3年目 そんなお金あるわけがない 文字通りヒイヒイ言いながら支払いを済ませた でも、お金が戻ってくることを知っていた 彼が入院中やること

          15年後、天井が空になる - 18万2千円也 -

          15年後、天井が空になる - はじまり -

          あなたのお父さんが、お母さんが、子供が、最愛の人が15年後に寝たきりの状態になってしまうのを想像できるだろうか? 私は想像できない それでも、現実に待ち受けていることがある 残念ながら だからこそ、大事な人たちと1日1日を大切に生きていきたいと強く思うようになった ------ 2015年、3月 私たちはベトナム旅行を計画して浮かれていた ハノイもバンコクも初めての場所 「ホテルはここでいいかな?」 「うん」 「クルージングのオプションは付ける?」 「せやな」 そん

          15年後、天井が空になる - はじまり -

          何者にもなれないきみは、きみ自身になる

          2040年、20年後の最も影響力ある100名に選ばれたときのスピーチの一部はもう考えてある。 「もしあの本に出会わなければ、きっとこの賞に選ばれなかったと思います。阿部さん、ありがとうございます。」 こんな妄想をするくらいに、人生に影響を与えてくれた1冊がこちらです。 阿部広太郎さんの「コピーライターじゃなくても知っておきたい 心をつかむ超言葉術」 ---------------------- 出だしから、心を掴まれた「I LOVE YOU」の訳し方 今のあなたなら何

          何者にもなれないきみは、きみ自身になる

          想いを乗せて、今日もまた

          空港内、非日常の空気、外国人の旅行者、浮足立った人たち 週に1回、国内の出張があるのが常だった 慣れているはずの空間を、いつも緊張しながら歩いていた お母さんに連絡するときは、口先だけで 「もう慣れたもんだよ、空港に着くのなんか30分前だし」 と言っていた その日は札幌に向かっていた いつもと違うのは、ひとりきりのバースデーになってしまうのを覚悟しながら歩いていたことだ 神奈川県にいられたら家族と楽しく過ごせたのに 窓側で景色を撮影する 外で手を降ってくれる整備士の方

          想いを乗せて、今日もまた

          いつも、お小遣いは1000円だった

          「いらっしゃい。」 いつも、嬉しそうな素振りはまったくなかった 祖母はおじと県営住宅で、昭和が取り残されたようなアパートに住んでおり、すこし遠かったのであそびに行っていくのは半年に一回くらいだったと思う 祖母は小柄だけどすこしふくよかで、がはがは笑う人だった 子供の頃に追いかけられてから犬が苦手らしく、飼っていたミニチュアダックスフンドを連れて行ったときは「おい、その犬、どうにかしろよ。なんで連れてきたんだよ!」と言いながらも、エサをあげて手懐けようとした そして、しま

          いつも、お小遣いは1000円だった

          小声でもいい。夢の話を、聞かせてほしい

          私には夢がある 「20年後、日本社会をシステムから支えられる立場にいたい」 就職のときの夢は、家族や友人、みんなに利用してもらえるシステムをつくることだった そして、実際に自分がつくったシステムがみんなに使われているその感覚は、高揚感に満たされた、とても尊いものだった 夢は進化し、今の夢へ 「幸せは他者へ投影される」 by 東京大学教授 小松美彦(生涯の恩師) 思い返せば、いつも人の幸せばかり願っているようだけれども、自分が幸せを感じられるのは、人の幸せを見ていられ

          小声でもいい。夢の話を、聞かせてほしい

          贅沢は味方、貧しさこそが敵

          私はそこそこ貧しい家に生まれた 家族で外食した記憶はないし、父はいつも休みなく働いていた 高校は交通費がかからないようにと、自転車で通える進学を選択した 大学は「国公立なら言っていいよ、もちろん自分の奨学金でね」と母に言われた 塾に通えずに高校に残って、先生のところに毎日詰めかけて勉強をみてもらっていた センター試験しか受けられない気持ちは、崖を命綱なしで渡るような心情だった 国公立の後期試験は日程が遅い 私は卒業式の翌日も、いつもどおりに学校へ来て、勉強をしていた み

          贅沢は味方、貧しさこそが敵