贅沢は味方、貧しさこそが敵
私はそこそこ貧しい家に生まれた
家族で外食した記憶はないし、父はいつも休みなく働いていた
高校は交通費がかからないようにと、自転車で通える進学を選択した
大学は「国公立なら言っていいよ、もちろん自分の奨学金でね」と母に言われた
塾に通えずに高校に残って、先生のところに毎日詰めかけて勉強をみてもらっていた
センター試験しか受けられない気持ちは、崖を命綱なしで渡るような心情だった
国公立の後期試験は日程が遅い
私は卒業式の翌日も、いつもどおりに学校へ来て、勉強をしていた
みんな卒業してしまったな、なんでまだここにいるんだろう
思わず、泣いてしまっていた
時が経って、大学生、社会人になり、自分のお金でそれなりの生活をすることができるようになった
初めての海外旅行へいき、実家へお土産を買っていった
「おかえり!無事でよかった!」
「うん、楽しかったよ!海がありえないほど透明で、お魚がいっぱいいて、すごくよかった」
「お母さんとお父さんはね、1回しか海外にいったことがないの。新婚旅行でグアムに行ったんだけどね、本当はハワイに行きたかったのよ」
「パイナポーツアーのおきゃくさま〜」
「お父さん、グアムの想い出はそれしかないのよね(笑)」
この時、心に決めた
絶対に、お父さんとお母さんをハワイに連れて行く
それから、5年後
なんとかハワイに連れて行くことができた
憧れのピンクのホテルではないけど、ジュラシックパークの中を馬で歩けたし、本格的なフラダンスを体験できた
ダイアモンドヘッドにはぜぇぜぇしながらたどり着けたし、オープンカーで晴れと雨と、虹の中を走った
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ずっとずっと、贅沢は敵だと思って生きてきた
ブランド品なんて、何の価値があるの?
有名大学なんて、行ったって勉強してないでしょ?
高くなくたって美味しいものはいっぱいある
"贅沢"という存在が、いつからか自分を卑下する材料、他者をうがった見方をしてしまうものになってしまっていた
でも、ハワイから帰ってきてから、贅沢が私に与える意味は変わった
贅沢とはお金を使うことではなく、気持ちのよいことをすること
素晴らしい雰囲気も、美しい夕陽も、金曜の花火も
父と母がいて、はじめて良さが際立っていた
お金じゃ買えない価値が、たしかにそこにはあった
「贅沢は味方」もっと欲しがります負けたって
勝ったってこの感度は揺るがないの
貧しさこそが敵
贅沢するにはきっと財布だけじゃ足りないね
だって麗しいのはザラにないの
洗脳にご注意
ご覧、ほらねわざと逢えたんだ
季節を使い捨て生きていこう
夜も秋も盗めないよ
貴方は私の一生もの
父と母はわたしの一生もの
これからもずっとずっと、いつもの日々という贅沢でさえ、味方にして生きていきたい
さあ、みなさまも贅沢を味方にして、一度きりの人生たのしんでいきませんか?
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