いつも、お小遣いは1000円だった
「いらっしゃい。」
いつも、嬉しそうな素振りはまったくなかった
祖母はおじと県営住宅で、昭和が取り残されたようなアパートに住んでおり、すこし遠かったのであそびに行っていくのは半年に一回くらいだったと思う
祖母は小柄だけどすこしふくよかで、がはがは笑う人だった
子供の頃に追いかけられてから犬が苦手らしく、飼っていたミニチュアダックスフンドを連れて行ったときは「おい、その犬、どうにかしろよ。なんで連れてきたんだよ!」と言いながらも、エサをあげて手懐けようとした
そして、しまいには、嬉しそうに犬をなでまわしていた
なぜか口が悪くなってしまう、そんな祖母のことが好きだった
「静香、イモあるよ。食べるか?」
「うん!!!ありがとう!!!」
「わかった。待ってろ。」
あそびにいくと、祖母は決まってじゃがいもの揚げ物を作ってくれた
もちろん、どんなにお腹がいっぱいでも食べた
「静香、これ。」
「ありがとう!」
「気をつけて帰れよ。」
帰り際には、ありがとうも言わずに、1000円のお小遣いを渡してくれた
あそびに行ったときも、お年玉もずっと1000円だった
散歩が日課で、家から30分かけて近くの灯台まで行っては戻ってくるというものだった
大人になってから一人であそびに行ったら、散歩に出かけてていなかった
祖母はわたしが行ったことを知り、すごく悲しんでくれていたらしい
今でも、後悔をしている
なんで1時間待てなかったんだろうと
翌月に、祖母は脳梗塞で倒れてしまったのだから
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祖母が倒れてから天国にいってしまうまで、約2年あった
みんなで集まって話しているときもあれば、わたし一人で勝手に足を動かしたり、上体を起こしたり、リハビリしているときもあった
ある日、おじとおばあちゃんを囲んで、昔話をしていた
おじ「静香、なんでばあちゃんがお小遣いを1000円しかくれなかったか知ってる?」
私「え、貧しいからでしょ?」
おじ「違うよ。」
私「え、違うの?」
おじ「まあ、それもあるんだろうけど(笑)ばあちゃんはね、もっと静香たちに来てほしかったんだよ。1000円にしたら、何回も来てくれるって思ってたんだよ。」
私「なにそれ、1000円なんてなくても行くのに(泣)」
おじ「あとさ、いつもじゃがいもの揚げ物作ってくれてたでしょ?」
私「うん、美味しいよね、あれ。」
おじ「あれね、前日から用意してたんだよ。まずは、茹でるんだよ。」
私「いつも用意してくれてたんだね(泣)」
わたしが覚えている鮮やかな記憶は、祖母のやさしさで、できていた
もう祖母には会えないけど、やさしさは残っている
これからも、ずっと
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