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【連載小説】私の味(サボール・ア・ミ)全15章

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旧題「巡礼の迷路」に原稿用紙20枚ほど加筆、改題した連載小説の最終版。 全15章 主人公のシンイチは、留学先のメキシコ市で、グアダルーペのマリア信仰を研究している麻里に出会い恋に… もっと読む
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【連載小説】 「私の味(サボール・ア・ミ)」  (1)    道を歩いていて

【連載小説】 「私の味(サボール・ア・ミ)」  (1) 道を歩いていて

(以前、「巡礼の迷路」として公開していたものの加筆改訂版の再掲です)

いつの世にも、いずこにも、思い込みの激しい人間はいるものである。

ちょとした出来事、ちょっとした光景が、偶然なにかの拍子に彼らの脳裏に強く焼き付けられる。すると、抗えないと彼らが勝手に思い込む衝動に突き動かされて暴走する。それが恋愛沙汰となると事はやっかいで、その独りよがりの暴走が、相手を周りを巻き込み、古今東西、数々のド

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【連載小説】 「私の味(サボール・ア・ミ)  (2)  ある愛の物語

【連載小説】 「私の味(サボール・ア・ミ)  (2) ある愛の物語

定宿オスタル・ルルデスの3階の1人部屋は、留学時代の最後を過ごした1年前とまったく変わっていなかった。

小さな窓から、古い方の、テペヤックの丘のグアダルーペの聖母マリアを祀ったバシリカ(寺院)が見える。荘厳なカトリックの寺院。そのバシリカの中央の聖堂のてっぺんの十字架がかろうじて見える。

「古い方」と書いたのは、18世紀に建てられたこのバシリカの隣に、外見が体育館みたいな巨大な新しいバシリカが

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【連載小説】 「私の味(サボール・ア・ミ)」  (3)  永遠に愛して

【連載小説】 「私の味(サボール・ア・ミ)」  (3)  永遠に愛して

インスルヘンテス通りは、メキシコ市をほぼ南北に30キロメートルくらいまっすぐに伸びる主要な道路。

北部の丘にあるグアダルーペのバシリカから、インスルヘンテス通りに沿って南へと下っていくと、車だと1時間、地下鉄で40分くらいで南部のほうにある、コヨアカンとか自治大学のエリアにたどりつく。

実は、メキシコ生まれのファミレス・チェーンのVIPSはこの通り沿いに当時でもおそらく10軒以上存在したが、

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【連載小説】  「私の味(サボール・ア・ミ)」 (4)スカイハイ

【連載小説】 「私の味(サボール・ア・ミ)」 (4)スカイハイ

「ルーチャ・リブレ、このスペイン語で「自由な戦い」を、単にプロレスのメキシコ版、ヒスパニック版と簡単に片付けちゃだめなんだよ。もっと奥が深くて、歴史もある」シンイチが、ソカロ近くの食堂でワラチェを頬張りながら、力説する。

ワラチェとは、楕円形のトルティージャに肉や豆やチーズや野菜をトッピングしたスナック。形がワラチェ(サンダル)に似ているのでそう呼ばれる。ここの店のは、トルティージャにフリホー

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【連載小説】 「私の味(サボール・ア・ミ)」  (5)私の究極の失敗

【連載小説】 「私の味(サボール・ア・ミ)」 (5)私の究極の失敗

1992年7月。

「森くんのタコス巡礼。今年もまたその季節となりましたか」
佐藤課長がシンイチの休暇申請にハンコを押しながら言う。

「まあ、君ももうアラサーなんだから、タコスばっかり追っかけてないで、嫁さん探さないとな。親御さんももう60代後半だろ。それともあっちに可愛いメヒカーナがいたりするかな」

そんなTVドラマにでてきそうな上司の軽口を軽くかわしながら、「今回は留学時代の同級生の結婚

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【連載小説】 「私の味(サボール・ア・ミ)」  (6)シナモンの肌

【連載小説】 「私の味(サボール・ア・ミ)」  (6)シナモンの肌

ベラクルス小旅行の朝。まだちょっと肌寒く暗い午前6時に、ラファエルから借りたフォルクスワーゲンの緑のビートルでグアダルーペ寺院近くの麻里の下宿で麻里をピックアップする。

前のボンネットを開けて、麻里のボストンバッグを入れる。念の為、車の後ろを開けてエンジンにエンジンオイルを追加しておく。そう、ビートルはトランクが前に、エンジンが後ろにある。

「この車年季はいっててさ、300キロくらい走るごとに

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【連載小説】 「私の味(サボール・ア・ミ)」   (7) ボラーレ 

【連載小説】 「私の味(サボール・ア・ミ)」  (7) ボラーレ 

「そう。有名なフランス南部のルルドのマリアの奇跡はね、19世紀に14歳の少女の前に現れたの」

昼食後のパパントラまでの道のりでも、麻里はマリア信仰の解説を続けている。

「みんな懐疑的だったのが、その無学の少女がラテン語のインマクラダ・コンセプシウ、つまり無原罪の受胎という言葉を聞いたというので、急に信憑性が高まった」

「そして、聖母は少女に、聖なる泉についての指示をする。泥水だったところが清

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【連載小説】 「私の味(サボール・ア・ミ)」 (8)  私の味

【連載小説】 「私の味(サボール・ア・ミ)」 (8) 私の味

ベラクルス州、コスタ・エスメラルダ。

スペイン語でエメラルド海岸という意味の名のその場所は、パパントラから10kmくらいしか離れていない、メキシコ湾に面した海岸に沿ってホテルが5軒ほどならぶ、リゾートというより、小さなローカルの海水浴場という感じのところだった。

ラファエルの父親の会社が開発したホテルは、最近できたばかりという感じで、小さいながら感じのいい作りのホテルだった。
その名もずばり

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【連載小説】 「私の味(サボール・ア・ミ)」  (9)  遠くの空の小さな星

【連載小説】 「私の味(サボール・ア・ミ)」  (9) 遠くの空の小さな星

エメラルド・ビーチのホテル。朝起きてテラスに出たら、本当に海がエメラルド色だった。既に、目の前に広がるメキシコ湾から朝日が登っている。テラスから見える海の色は、光の加減か、緑っぽい青色だった。

麻里は先に起きて、海に面したテラスのソファに座って、長い髪をブラッシングしていた。
「おはよう」シンイチは声をかけると。
「おはよう。よく寝れた?・・・この海の色、神秘的」と明るく答える。昨夜なにもなか

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【連載小説】「私の味(サボール・ア・ミ)」  (10) 生き方の違い

【連載小説】「私の味(サボール・ア・ミ)」  (10) 生き方の違い

シンイチの1992年の3回目の巡礼の副産物は、エリカとの文通だった。

麻里とは数年前からシンイチからは月一くらい、麻里からの返事は不定期で、航空便のやりとりを交わしていた。

いつもシンイチが麻里への想いを長々と伝え、それに対して、麻里からの返事は、自分の日々の日記のようなほんわりとした記述と、時に、自分の専門分野の研究がでてくる内容からなっていた。

シンイチは当初は戸惑ったが、そこには、シ

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【連載小説】 「私の味(サボール・ア・ミ)」  (11)  エリカと海

【連載小説】 「私の味(サボール・ア・ミ)」  (11)  エリカと海

麻里からの留守電メッセージを聞いたのは、米国東海岸時間で既に深夜1時だった。

時差1時間後のメキシコは今、深夜零時。麻里のメキシコの下宿のセニョーラは高齢なので電話の取りつぎはせいぜい夜10時が限界だったので、麻里に電話することは断念する。

メッセージからは、エリカの元彼氏がフランスで自殺したこと以外は事実はわからない。エリカがショックを受けて部屋に籠もってしまっているらしいこともわかる。エ

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【連載小説】 「私の味(サボール・ア・ミ)」 (12)  アディオス・ルピータ

【連載小説】 「私の味(サボール・ア・ミ)」 (12)  アディオス・ルピータ

メキシコの大学都市の近くの閑静な住宅街、コヨアカンにあるグアダルーペ聖母教会で、エリカの葬儀のミサと告別式が行われた。

Erica Guadalupe Teramoto Martinez 
絵里香・グアダルーペ(ルピータ)・寺本・マルティネス。
享年31歳だった。

10月にはいって少しばかり和らいだ秋めいたメキシコの日差しが、喪服を着た参列者の上にやわらかく降り注いでいた午後であった。

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【連載小説】 「私の味(サボール・ア・ミ)」  (13) いちどだけ

【連載小説】 「私の味(サボール・ア・ミ)」  (13) いちどだけ

(13)  いちどだけ

麻里の下宿は、グアダルーペ寺院から徒歩5分くらいにあった。

初老のメキシコ人女性が住む、5階建てのアパートの3階の3ベッドルームの一室の、一番奥の小さな部屋を麻里は借りていた。大家さんのメキシコ料理の三食食事付きでそれがとても美味しいから、ここからはもう引っ越せないと麻里は言っていた。唯一の不便さは電話がリビングに一つしかなかったことだったが、当時はそれが当たり前では

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【連載小説】 「私の味(サボール・ア・ミ)」(14)  愚かな想い

【連載小説】 「私の味(サボール・ア・ミ)」(14) 愚かな想い

1994年、巡礼5年目の年。


(語り部より: 趣向を変えて、たまには、まずはじっくりロマンティック・ラテン歌謡の歌詞を堪能されて頭をムーディになさってから読み進めいただければと思います。この物語、シンイチの巡礼は、いよいよ佳境入りです。南米コロンビアの往年のヒット曲「ロクーラ・ミア」)

「愚かな想い(ロクーラ・ミア)」(歌詞部分抜粋訳)

「愚かな想い、あなたが私を好きになると思うこと

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