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【連載小説】 「私の味(サボール・ア・ミ)」  (9) 遠くの空の小さな星


エメラルド・ビーチのホテル。朝起きてテラスに出たら、本当に海がエメラルド色だった。既に、目の前に広がるメキシコ湾から朝日が登っている。テラスから見える海の色は、光の加減か、緑っぽい青色だった。
 
麻里は先に起きて、海に面したテラスのソファに座って、長い髪をブラッシングしていた。
「おはよう」シンイチは声をかけると。
「おはよう。よく寝れた?・・・この海の色、神秘的」と明るく答える。昨夜なにもなかったかのように。
 
シンイチは黙って頷く。
「・・・腹減ったな。今回メヒコ最後の朝飯は、ガツンと、チラキレスとかタマーレス行こうかな」
「私はパパイヤとか果物系かな。昨日食べ過ぎた」
ホテルのビュッフェで朝食を済ませて、緑のワーゲン・ビートルで400Kmくらい離れたメキシコ・シティへと帰路につく。
 
濃い緑のジャングルを切り開かれて通された街道をひたすら走る。運転手を気を使ってか、麻里は、メキシコ・シティの下宿先のセニョーラとの珍事や、論文指導教官のレバノン系メキシコ人の教授との珍問答の話をして笑わせようとしてくれる。
 
シンイチは思う。
昨夜。あれはなんだったんだろう。
自分としては、生まれて初めての不思議体験、一生の一大事、記憶に深く刻み込まれた出来事。半ば宗教的ともいえた経験だったのだが。本当に起こった出来事だったのかもわからなくなってくる。
こんな妄想までしてしまう。
もしいつか自分が教祖になって新宗教を始めるなら、昨夜は、聖なる夜。教祖が初めて精霊と一体化した夜だったのだと福音伝道だなと。
まあ、マリア様は精霊から受胎するんであって、男の自分だとなんなんだ。あっち側に人間の子を宿してもらったような。それほど神秘的な経験だったんだが、なんだか、すべてがたんなる妄想の夢だったような気もする。
 
途中、街道の食堂で、軽く定食のランチをすませる。ポソーレというスープがついたのを頼む。辛い赤いのでなく、クリアスープの鶏ガラみたいな味のものにする。胃に優しい。
食堂の公衆電話から、麻里はエリカに電話した。今晩、夕飯をいっしょにしようと。エリカは不在だったが、エリカのおばあちゃんにメッセージを残した。
この日の予定は、夕方くらいまでにメキシコ・シティに戻って、車をラファエルに返して、シンイチは夕食してから空港に向かう。成田直行のアエロメヒコ便は、零時過ぎ午前2時発のフライトだった。
この日曜午前2時発のフライトに乗ると、14時間のフライトと13時間の時差で、計27時間、月曜朝5時に成田に着く。休暇を最大限に使った、シンイチのメキシコ巡礼の定番となった帰国便だった。
 
麻里を下宿に降ろして、午後の渋滞のメキシコ・シティを縦断して、ラファエルの実家に車を返す。ラファエルとピラールは新婚旅行中。カンクンのビーチでゆっくりしてから、ニューヨークで1週間過ごしてくるという。
1992年の頃にはずっと安かったペソが、NAFTA期待もあって、じわじわと対ドルでも強含んでいた。このペソ高を背景に、90年代前半、多くのメキシコ人がアメリカ旅行を楽しんでいた。
 
ラファエルの家からタクシーにのってさらに南、遠くに山が見え始めるアフスコという名前の通りの上り坂を10分くらい行ったところに、そのレストランはあった。
シンイチが留学していた小さな大学がその途中にあったこともあり、シンイチが大好きなレストランのひとつだった。
タクシーからボストンバック1つの帰りの荷物をおろして、レストランに入ると、エリカが見えた。ブルーのワンピース姿の彼女は、先に着いていたテーブルで日本語の文庫本を読んでいた。
 
「クレヨンくん、おとといはありがとう。飲みすぎちゃった」とエリカが笑う。
「麻里ね、電話があって、今日は疲れちゃってもう動けないから、2人で食べててって」

落胆が表情に出るのを隠せなかったシンイチを見て、エリカが言う。
「すごく残念がってたけど、もう寝込んじゃってる。それと、ベラクルスは最高によかったって言っていた」

「・・・・・」

「青空に舞うボラドールとか、最高においしいセビーチェとか、ラファエルのお父さんのビーチホテルとか。すべてが良かったって」

「・・・まあ、クレヨンくん。ここは、君の大好きなカルネ・アサードにサルサたっぷりかけて、今年の訪問の締めくくりとしましょう!おととい、酔った私をおんぶして家まで送ってくれたお礼に、ここは私のおごりで」
 
どんなにがっかりしても、どんなに悲しいことがあっても、やっぱり美味いものは美味いし、ちょっと元気になるな、とシンイチは思う。

炭火で焼いた牛肉を手で持ったトルティージャに入れて、野菜やら、グアカモレやらライムやらサルサやらいっぱいぶちこんで、がぶりと齧る。それを、テカテ・ビールで胃に流し込む。美味い。

ちょっと元気がでてきた。

はたからみたら、モレーナ(混血娘)のかなりの美人が同席で笑顔で話しかけてくれてるのに、ふさぎこんでいる東洋人のへんな男という絵か。いかんな、すくなくとも笑顔をみせようとシンイチは思う。
 
「それで、麻里との進展はあった?」
いつものように、エリカは歯にきぬ着せぬ質問をしてくる。

「ノーコメント」
「教えてよ。アドバイスしてあげるから」

さすがに言えない。
麻里の手に導かれて、最後は妄想の中でエリカがでてきて、君に思いっきり出して果てた、なんて。

「ずっとアドバイスしてきてるでしょ。麻里は、自分のジェンダーの在り方に混乱しているのよ。まだ明確な答えがないの。迷路の中でうろうろしているの」

「6年前にパリで会った頃は、同い年だって分かって、パリだったし、ベルばらの話で盛り上がったりしたの。そういえば、麻里、驚いていた。シンイチが「ベルサイユのばら」を読んだことがないことを」

「同じ年に生まれて同時代を同じ国で生きてたのに、ベルばらを読んでいない人間がいるなんてって、真剣にびっくりしていた。それだけ私達にとってあの漫画の存在は大きかったの」

「どういう漫画かとか、ちょっとは知っていたけど、読むことはなかったよな」

「私は女子高時代はもうあの世界一色。オスカル様に憧れた。それで、最初は、彼女、私みたいにレズビアン的関心があるのかと思った。でも、彼女、恋愛感情そのものと距離がある人だって、だんだんわかってきた」

「ア・セクシュアル、だっけ?」

「そう、私が読んだジェンダー学の本にもそう書いてあった。恋愛感情についてだと、ア・ロマンティックとも言える」

「アロマ?臭いのが嫌いとか?おれ体臭あるかな」

「シンちゃん、あんたね、そういうダジャレ反応ほどほどにしたほうがいいわよ。ア・ロマンティック、あんたたちのバンド名でしょ。非ロマンティック、ロマンティックな恋愛感情が無い人、それにへたすると恋愛感情の存在に嫌悪も感じてしまう人」

「・・・しかしな、ここ数年アメリカで言われ始めてきているような、ジェンダーが多様で、男女間にグラデーションみたいに濃淡で続いて存在している主張はなんとなくわかるけど、あんまりあなたはこうだ、自分はこうだってラベル付けするのもなあと思うんだが。
僕もダジャレに性的興奮してしまうダジャレ・ジェンダーって名乗るかな。なんでも頭文字用語が好きなアメリカ人は、LGとかLGBTとか略語をつくってるみたいだけど、ダジャレ性癖のDもいれて、性的マイノリティのLGBTDとかしてくれないかな」

「あんたね、そういう軽口は最低。おとといも、野球選手がどうのっていってたでしょ。ああいうのは、まったくの無理解、インセンシティブ、とんでもない発言、だめよ。ジェンダー・アイデンティティに悩む人達にとっては冗談にはできない、重たい問題なの。私も含めて」

「たしかに、あの、僕が野球選手の素質がない体に閉じ込められた野球選手のこころを持った存在とか言ったのは、すみません。まったく次元が違う。失言」

「もういいの。悪気はなかったのはわかる。でも、あなたにはほんとに自分のジェンダーの迷いを持ったことってないの?」

「うーん。小学2年のとき同級生女の子にときめいたのが最初で、その後も一人か二人、そういう胸がきゅんとなる好きな女の子がいつもまわりに存在した。中学2年のとき好きになった女の子は、四六時中ずっとその子のことばかり考えるくらい好きだった。振られたときは、死んだほうが楽じゃないかっていうくらい辛かった」

「あなたもそれなりに苦悩の経験は積んでるのね。でも、改めて認識、あなたはとてもシンプル。ジェンダーの迷いはない。その点、幸せな人生よ・・・でも不幸なことに、人一倍思い込みが激しい上に、ア・セクシュアルらしい女性を好きになってしまった」
 
シンイチは無言で、テカテ・ビールから代えたメスカルのストレートをぐっと一気に飲み干す。喉が焼ける、でも美味いと思う。

「君もいろいろ辛いことがあった人だって、聞いた。高校時代の命を絶った彼女、大学時代の天才ギタリスト彼氏」

「・・・私は自分の性認識は女性、恋愛感情を相手次第で男女どちらにも持ってしまう、B for Bi-sexual」

「天才ギタリストはアスペルガーっていうのか、天才的で自己中なやつだったと聞いた。君は魚を泥棒する、かあさんドラ猫のように尽くして、結果、傷ついた」

「ドラ猫?」

「あ、また僕のDの駄洒落性癖がでてしまった。ギリシャの女神カサンドラね。神と結婚して予言力を持ったけど言うことが周りに信用されないという呪いを背負ったという悲劇の女神カサンドラ、かあさんどら猫じゃなくてね」

「よくまあそういうくだらないダジャレがでてくるわね。ある意味、尊敬しちゃう」

「性癖だからね。多様性に乾杯。いろんな性癖があって、みんながそれを認め合う。そんないい時代になるかな、21世紀は。我らの20世紀もあと8年となったが」

二人でメスカルのショットグラスを干す。サボテンのアルコールがすっと喉から胃に落ちていく。気持ちがいい。
 
「ところで、ベラクルス旅行の道中、麻里が教えてくれたんだけど。マリア信仰の共同体の話」「彼女の博士論文のテーマね。彼女、そういうの饒舌になるでしょ。共同体でのキーワード、言わないでね、何度も聞いて私、知ってるはずなの」
「・・・思い出したわ、ディスポニブレ。
フランス語でディスポニーブル、英語でアベイラブル。
難病とか苦悩の受難の人たちのために、そこに居て、支えになってあげるボランティアみたいな人たち。彼らも、受難の人たちのために「ディスポニーブル」になることで自らの魂が救われる。そこから共同体が生まれていった」
「そうそう。ルルドの泉のボランティア医師たちとか、サンチアゴの巡礼の道の街道のボランティアとか。そこに居て、支えになってあげることが、彼ら自身の天国へとつながる魂の救済でもある、とかなんとか」
「とても美しい概念だと思うわ。ディスポニーブル、そこに居てあげる」
「・・・あなたも、苦悩を抱えて巡礼する巡礼者というよりも、ディスポニーブルに居てくれる人の役割ほうがむいている人かもしれないわね」
「?」
「巡礼者というより、その理解者、支援者」
「いや、僕はね、毎年有休とってタコスを極めにメキシコ参りに行くやつだと知られている。『タコス巡礼者の森くん』、うちの会社ではけっこう有名」
「タコス巡礼!いいわね。でもあなたの巡礼は、本当は、処女受胎するマリア様への奇跡を求める巡礼。道標のない、迷走続きの旅、終点が見えない巡礼の道。ちょっとかわいそうにもなる・・・」
 
エリカは手を挙げてウェイターにメスカルショットをもうひとラウンド頼んで、言う。
「シンちゃん、こうしよう。私と文通して。ちょっと古い表現だけど、ペンパルになって。
あなたが毎月麻里に手紙送っているのは知っている。もちろん読んだことはないわよ。彼女はそんなことはしない。手紙の束をみせてくれた。分厚い。
・・・私もジェンダーの森に迷える巡礼者かもしれない。あなたに助けて欲しいことがでてくるかもしれない。ジェンダーに迷いのないあなたみたいなシンプルな人が、ディスポニーブルにどしっと居てくれると、ちょっと安心。
それに私と文通してたら、麻里の動向も教えるわよ」
 
それで、シンイチは、月1回くらいで手紙を書くことを約束した。

エリカは、そのお礼というか、おみやげとして、自分のギター演奏のカセットテープをひとつシンイチにわたす。
「へえ、エリカの演奏初めて聞かせてもらうな。おれクラッシックよくわからないけど。ありがとう」
「知ってるわよ、あなたがロマンティック・ラテン歌謡くらいしか聞かないってこと。これね、メキシコが誇る作曲家マニュエル・ポンセ作のエストレジータもはいっている。それなら知っているでしょ?」
「もちろん。トリオ・ロス・パンチョスが歌ってた。遠くの空の小さな星さんよ、というやつ。そのギター演奏か」
「それそれ。いい曲よね。この演奏、けっこう自分でも気に入っているの」
 
レストランを10時ごろ出て、ほろ酔いで、タクシーで空港まで向かう。1992年3度目のタコス巡礼。達成感と失望感とが交錯した、不思議な後味の巡礼だった。希望の光が差したと思ったら、また迷走して、希望を失いそうになった。でも、巡礼の道を何マイルが前に前進したような気もした。
 
帰りのフライトで、エリカからもらったテープを聞いてみる。

静かな、ギターのソロ。
メロディラインは、彼女の勝ち気なラテン気質のしっかりした音だけど、間のとりかたが丁寧でとてもいい。楽譜にかかれた音符よりも、休止記号というか書かれていない間を、とても大切に扱っているという感じ。時折いれる、ギターならではの倍音を使ったような技巧も、空の遠くの星との距離を感じさせてくれて心打つ。歌詞では、私がもうすぐ死ぬって知っているでしょと星に語っている。片思いの悲しい曲だった。
シンイチは、そういえばここ3日、ろくに寝ずに800Kmくらい運転してたなあと思った瞬間、深い眠りについていた。
 
「小さな星」(歌詞部分抜粋訳)
「遠くの空の小さな星
私の苦しみを見て知っている
降りきて君のこと好きみたいだよと言って
あの愛なしには生きていけないから
小さな星よ、私の愛の灯
もうすぐ私が死ぬことを知っているでしょ
降りきて君のこと好きみたいだよと言って
あの愛なしには生きていけないから」

 

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