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街を歩けばサイコパスにあたる。皆でサイコパスを見抜いて行こう!!

サイコパス。
この言葉は最近になって周囲で使われ始めた。

自分の人生の途上においても・・

・自分の非を一切認めない
・非を認めたとしても自身の株が上がるときだけ認める
・他人を平気で利用する
・自身の利益にしか興味がなく他人は全て自身が使える駒だと思っている
・究極的なナルシスト
・根本的に自分だけが天才であり自分以外はみんな馬鹿にしている
・人の弱みに付け込むのが上手く決して自分の弱みは人に見せない
・心温まる感情を持ち合わせていない
・なんか胡散臭い
・他人の揚げ足取りとマウント取りをして生きている
・強い者には徹底的に媚びへつらい自身より弱い人間は徹底的に利用する

といったようなタイプの人間出くわす事が何度かある。

そういう人間は・・・

・話していても、何をしていても、とにかく一緒に居て居心地が悪い
・自身をチヤホヤしないと、不機嫌になったり、仲間外れにしてくる
・耳心地の良い言葉をかける人間だけを周囲に置き、忠言を遠ざける
・真に正しい事ではなく、自身の評価にしか興味がない
・どれだけ指摘されても自浄力はない

人々なので、まともに相手をしていられないのだが、社会的には中間管理職的な位置に、居座っている事が多い。

上記のようなタイプは周囲を煙に巻きながらもある程度の成果を出すので、中途半端には出世は出来る。その手の人間に会った時に、どうしたモノかと呻吟する中でこの一冊を手にした。

WEB開発会社の顧客は、大別してITに興味があるか疎い。顧客の不安感を敏感に感じ取り、様々なWEB技術や、専門用語を駆使しながら煙に巻きつつも、顧客や同僚の人心を掌握し物事を進める。そして、その人の周りには、熱烈な信者のような層が出来上がったりするから余計に気持ちが悪い。

本書『サイコパス』(中野信子 著)の中で

人には信じたい欲求があり、信じた者に従っていた方が楽だから、脳はそういう風に出来ている。サイコパスはその特性を利用して、自身を信じ込ませる(というような意味の内容)

があり、エセ宗教の指導者などもこの部類に属する。宗教指導者になるコトは出来ないけれど、小さな組織の、小さな集団のなかで、隔離された外界の目が届かないドメスティックな人間関係の中で、陳腐な宗教性を発揮して人を誑かす者がいるが、それはサイコパスだろう。

本書は、犯罪心理学や脳科学の観点から、サイコパスを社会的に見つけ出して、事前に犯罪などに手を染めなくさせるようなプログラムをいくつか紹介してる。それらは、“負け組サイコパス”と呼んでいる。

しかし、本当に厄介なのは、社会的に何がダメで、何が犯罪になってしまうのか理解しながら、モラルハラスメントや、グレーゾーンの嫌がらせを平気でしてきては、組織の中で昇進していく。これらを“勝ち組サイコパス”と呼んでいる。

不要な情報をリークしてきて、恩を投げつけてマウントをとってくるような、認証欲求の塊のような幼稚な迷惑人間もその部類だろう。

3流ミュージシャンや、井の中の蛙なITコンサルタントなど、人の心の隙に入り込み、言葉巧みに自身のペースに巻き込もうとする人々は、社会の隅々に蔓延っている。その手の人々は、本心は人助けをしてる気になって恍惚としているから、その邪悪な本性を見抜く事は余計に難しいだろう。

我々は、もっと賢明にならないといけない。
狡猾なサイコパスは、自身の本性を見抜けない人々をしっかり嗅ぎ分けて近寄って来て、色々な吸い取ってくる(献身性、親切心、時間、お金、人間関係など有形無形な財産を吸い上げる)

一度、サイコパスが近寄ってきても、明確な意思表示や、気持ちの分離が出来れば、相手から離れていく。

社会的には勝ち組サイコパスを見抜いて、悪さが出来ないような状況を作らないとならない。100人に1人がサイコパスだと言われているので、街を歩けばサイコパスにあたる。職場や何かしらの組織に蛭のようにパラサイトしているサイコパスを、皆で頑張って見抜いて行きたい。

サイコパスを見抜ける人が多くなって欲しいと願う。