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8月12日~18日のきろく

睡眠不足はネガティブを引き起こす。わかっているのに、寝る前のSNSパトロールがやめられない。
今週は寝不足祭りでした。いっぱい寝る! → まえ


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8月12日 にちようび

「さみしい」はいったいどう扱えばいいのだろう。

そもそもさみしいってなんだ?

今日は友達といた。さみしくはない。話し相手がいて、おいしいご飯を一緒に食べて、しあわせな休日。

実家がどうしても窮屈で、一人暮らしをはじめた。望んでいた環境。それがさみしい理由ではない。と、言ってみる。

家族から仲間外れにされたような、そんな。でも。実家にいても「さみしい」んだ。これまでもずっと。

自分の気持ちを、自分でもどこにあるかわからない自分の気持ちを、どうやって探して、どうやって話して、どうやって。

満たされないこころを、まずは見つけないといけない。

とてつもなくめんどくさいこの作業をさぼってきたから、いまがあるんだ。なにが「さみしい」のか、わからない。

ちょっとげんきがでない。ちょっとなみだがでる。

満たされない「なにか」を埋めるように、可能な限り言葉にして、少し落ち着いたら、また泣いて、たくさん寝たら、きっと。


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8月13日 げつようび

昨日からの「さみしい」続きで、インスタを更新した。

お気に入りの服を、お気に入りの時間を、
好きな人たちを、好きと言ってくれる人たちを、
わたしは大事にできているのだろうか、と思う。
伝わっているのかな、と考える。
おいしかったごはん、楽しかった、悲しかった、打ち明けてくれた秘密さえ。 
ふとした瞬間の「さみしい」をうまく表現できたなら、
きっともっと、のびやかに生きていけるんだろう、と。
 気づけていることと、動けることのあいだで、
今日もわたしは「できない」を知る。

インスタは写真を加工したいときや、ポエちらかしたくなったときに使っていて、”インスタ映え”の波には乗れていない。

写真はサブという感覚で、ポエム的な文章を添えて、タグを付けないことも多い。一眼レフを持っているけれど、インスタのために写真を撮ることはあまりなかった。

昔からポエポエしがちだった。(ぽえぽえ?)
たぶん、自分の素直な気持ちを、ありのままの言葉で表現できないから、エモさで包んでわかりにくくしたいんだと思う。

でも。

オブラートで包んだ薬は大きくなって結局飲みにくいのと同じで、自分の気持ちをわかるようなわからないような言葉でしか表現できないのが、ずっと、いまも、もどかしい。

「それっぽい」ことを書いた昨日も、自分の気持ちが消化できたわけではない。なんとなく満足しても、手で触れるくらいの、かたちある感情とは出会えないままだ。

しおたんさんのnoteを読んで、やっぱり、と思った。頭ではわかっていることと、実際に行動に移せていることのあいだに立たされる。

わたしは自分の書いた文章で、誰かに影響を与えたいわけじゃない。ただ、自分を救いたいだけなのだ。それなのに、思っていることを言葉にできない。どうして。いつも出だしでつまづく。

だいじょうぶだよ、と自分を励ますしかない。できる範囲で続けていけば、きっといつかできるようになるよ、だいじょうぶだよ。

自分の悪いところばかり見る日々から、ほんのすこし遠くへ。

今日も、自分と向き合っていて、めちゃくちゃえらいなあ。さみしいね、でも、だいじょうぶだよ。


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8月14日 かようび

深イイ×しゃべくりの録画を見ていて、東大卒で弁護士の山口真由さんが「何も考えなかったら医者になる」と言っていた。

わたし自身が医療系学部卒だから、余計にそう思うのかもしれないけれど、たしかに!と納得した。これは一理ある。

〜ここから超絶☆主観のみでお送りします〜

やりたいことがない叶え組は、「将来なにになりたいの?」的な質問が苦手だ。夢とかないので、とりあえず私は「薬剤師」と言っていた。小学生のころからだ。

なぜ薬剤師かというと、[薬剤師は比較的ラクで給料がいい]という情報を手に入れたからだったが、表向きは「薬が苦手だし、本当に効くのか信じられないから」という理由にしておいた。(どんな小学生だよ)

もちろん今となっては、薬剤師はめちゃくちゃ大変な仕事だとわかっているし、安易な理由で夢を語ってしまったなあと反省もしている。

ただその後、大学受験までずっと、特に確固たる決意もなく薬学部を目指していたのは事実だ。

夢がない、つまり山口さんのいう「何も考えずに」生きてきた場合、文理選択では理系を選ぶ確率が高い。

普通科の多くの高校では、文系選択が過半数だけど、進学校では、理系選択が過半数を占める。実際、わたしの高校も理系選択が多く、8クラス中、5クラスが理系だった。

なぜ理系が多くなるかというと、大学受験で学部に迷ったとき、文系→理系に変更するよりも、理系→文系に変更するほうが簡単だからだ。

文理選択に迷ったら理系、これはリスク回避の呪文である。

(ちなみに、進学校で文系を選ぶ人は、文系の職種でやりたいことがあるか、壊滅的に数学・理科が苦手か、完全に二分されると思う。)

そんなこんなで、私もリスク回避で理系を選択した。
もっとも歴史が苦手すぎて、社会は地理だけしかやりたくなかった、という理由が大きいけれど。数学も理科もべつに得意ではなかった。

理系に進んだ頭のいい、でもとくに夢もない人が、理系でいちばん偏差値の高い医学部医学科を目指すようになるのは、想像に難くない。

私は偏差値がびっくりするほど足りなかったけど、足りて入れば医者を目指していたと思う。

工学部を目指す理系は建築家になりたい人が多いし、農学部を目指す理系は食品企業に勤めたい人が多い。それぞれ自分の好きなもの、やりたいことが何となくでも見えているんじゃないかと思う。

医学部は、おそらく、自然に生きてきたら接する機会の多い職種がそろっている。生まれてから一度も病院に行ったことがない人はいないし、学校の定期検診でもお医者さんに診てもらう。

だから、流れに逆らわず、なんの疑問もなく、医療系の職に就きたいと言っている、ひそかに叶え組の子供は多いんじゃないかなあ。
弁護士より、建築家より、食品企業勤めより、万人が接する医療の世界。

(そういえば、コードブルーのガッキーも「なんとなく気付いたら医者になってた」的なこと言っていた。ガッキーの役は優等生&親が医者で、めちゃくちゃ叶え組感あるし、当てはまりそう。すごい!)

「何も考えなかったら医者になる」は、一理あるなあと思ったので、主観のみでお送りしました。

今日の日記おわり。


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8月15日 すいようび

あえて義務っぽく書くと、自己肯定感を高めるために、褒められたら素直に喜ばなきゃいけないんだけど、どうにもそれが難しい。

怒られるのも指摘されるのも怖いから、そっとしておいてほしいんだけど、実際にそっとしておかれると不安だし、褒められたいんだけど、実際に褒められると本当かな?と疑ったりして。

承認欲求をこじらせてるのかもしれないけれど、一方で、相手との信頼関係が築けていないことが大きいのかもしれない、とも思う。

警戒心が強すぎるせいか、人を信じるのに時間がかかる。初対面の人にこころを開くのは、どうやってもむりだし、愛想笑いでその場をやり過ごすのが限界だ。

ただ、一度信じた人を、疑ったことはない。

だから自分の人を見る目や、信じてOKの感覚的なラインは、信じていい、と思うことにしよう。単純に、知り合ってから経った時間によるのかもしれないけれど。

褒められたことを素直に喜べないうちは、その人との関係性はまだまだ発展途上。

新しい定義が爆誕した。この日記を書きながら、はじめて気付いた定義がうれしい。こんな難しい(?)ことに気がつくなんて、わたし、えらい!

褒められたことを素直に喜べないと、さっきまで落ち込んでいた気持ちが、すっかりどこかに行ってしまった。

もしかして、自分で自分を褒めることは効果があるの?自分のことは信じられてるってこと?

え、わたし、めちゃくちゃえらくない?

今日は、文章を書くことと相性がいい、内省の強みが爆発した記念日、ということにしよう。


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8月16日 もくようび

学校というベルトコンベアにのって、集団という箱の中にいるのは、当たり前すぎて、自分がしんどいと感じている理由が、当たり前の中にあるなんて、思いもしなかった。

誰かに合わせて笑うことはできる。顔色を見て話しをすることも、媚を売ることもできる。どういう態度でいればいじめられないとか、思ってなくても共感していればいいとか、そんなことは小・中学校で身に付けた。

高校生になって、自由に生きていてもいじめられない世界があることを知った。思ったことを素直に発言してもいいし、付き合う友達を選んでもいい。ひとりでいても誰にも何も言われない。そういう当たり前もあるんだと、やっと知れたのに、顔色をうかがうクセが染みついてとれない。

大学生になって、ちょっとめんどいくさいコミュニティに入ってしまって、居心地がいいわけでもないのに抜けられなかった。顔色はうかがうし、嫌われてもいいやという気持ちと、嫌われたくないという気持ちが行ったり来たりした。でも、何人かの尊敬できる好きな人たちができて、その人たちだけに嫌われなかったらべつにいいや、とも思えるようになった。

就活をするにあたって自己分析をすすめていると、どうやらわたしは自己肯定感があまりにも低いのだと気がついた。原因は、親との関係性にあるのかも、と今まで見て見ぬふりをしてきた話題に向き合わざるを得なくなった。

親の顔を気にして生きていると、自分の意見がなくなる。

内心では嫌というほどわかっていたのに、言葉にするのには抵抗があったし、まだまだ言葉足らずで、表現しきれない気持ちしかなくてもどかしい。

まだまだ。まだまだだな、と思う。
今でこそ社会人になったから、よくわからない狭い箱に押し込められている窮屈さを感じることは少なくなったけれど、まだ自分の中に、たしかにもやもやがあって、全然消えない。

「世間の当たり前は、自分の当たり前ではない」と気づけた一歩目の先を探すために、今日もいろんな話が知りたい。

あいみょんのインタビューを読んで、今日の日記は書きました。)


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8月17日 きんようび

今日はひさしぶりに心が穏やかで、仕事も捗ったし、さみしくもならなかったし、悲しくもならなかった。さいこう。

なんでこんなに心が穏やかなのか、たぶん、昨日めちゃくちゃ寝たからだ。

睡眠不足はよくない。わかってるんだけど、最近めずらしく寝つきがよくなくて、しんどかった。

基本的に、寝ても寝ても寝足りないタイプなのに、ああ〜なんでねれないんだろ〜って考えはじめたら余計寝られなくなった。きっとあるあるなんだろう。(わたしにとってはないないだったけど)

睡眠さいこう。お盆なのにふつうに毎日働いてて、今週も超絶えらかったなー。

ポジティブを運んできてくれる青い布団。

おやすみなさい。


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8月18日 どようび

タレントのりゅうちぇるが、インスタのストーリーズで質問返しをしていたのだけど、それがめちゃくちゃよかった。

全体的によかったけど、特に好きだったのをめもめも。

若いのになんでそんなに考えがしっかりしてるの?
→「しっかりしてないけどかわいいんだよね~~」

テレビ出始めの頃は好きじゃなかったけど、今はいいパパだなと思います!
→「見る目を変えてくれてありがとう♡」

人柄がよくて尊敬します、ずっと応援してます
→「ありがとう♡これからも面倒みてください♡」

モデルの人に詳しくないけどりゅうちぇるは応援してる
→「僕だけ見てて~っていう人間なので嬉しい♡」

なんでそんなに可愛いんですか?
→「わかる♡ほんと僕かわいいの♡」

ペコちゃんが天使すぎる
→「わかるマジすきなんだけど」

ずるい。ずるい。
好きな人を好きって自信を持って言えることも、ずっと応援してね僕だけ見ててって言えることも、自分に正直に生きている自分が好きって言えることも、ぜんぶ。ずるくて、うらやましくて、憧れてしまう。

りゅうちぇるも、自分の個性を隠して生きていた時期があったと言う。
自分に嘘をつかないこと、素直に生きることで、自分に自信を少しずつ付けていくしかない。わかっていても、時間がかかるから、実際に行動するのはむずかしい。

ネガティブになることもある、と言っていた。

けれど、それでも自分に正直に生きているから、覚悟を決めて生きているからこそ、強くて、しなやかで。誰に何をいわれても、自分のことが好きと、胸をはって言えるのだ。かっこいいなあ。

自分のことをかわいいでしょ~と言えるのは、なにも顔そのもののことだけの話ではなくて、「かわいくなるためにしている努力」そのものが尊くて価値があって「かわいい」のだ。

あと、「見る目を変えてくれてありがとう」は、自己肯定感が高くて、めちゃくちゃいいなと思った。

批判されたから、嫌われたからといって、自分が変わればいい、じゃなくて、うーん。うまく言えないけれど、ただ、「自分が我慢すればいい、自分が変わればいい」とすぐに思ってしまうのをやめたい、やめよう、と思った。よくないし、なんの解決にもならない。

大丈夫だ、まだ。なんとかなる。もっと、自分を見つめていきたい。


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8月12日~18日のきろく おわり → つづく

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