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『稲盛和夫一日一言』 11月28日

 こんにちは!『稲盛和夫一日一言』 11月28日(日)は、「損な役を引き受ける勇気」です。

ポイント:成功すればするほど、偉くなればなるほど、謙虚に振る舞わなければならない。自分が損な役を引き受けるという勇気がなければ、上に立ってはならない。

 2007年12月11日、盛和塾関東地区塾長例会において、「西郷南洲に学ぶリーダーのあるべき姿」と題して行われた講話の一部を紹介します。(稲盛ライブラリー Facebookアーカイブより引用)

 中国の古典に「一国は一人を以て興り、一人を以て亡ぶ」とあるように、古来、組織、集団の成否はリーダーによって決まると言われてきました。では、リーダーとはどのような人物でなければならないのか、西郷南洲の思想をもとに考えてみたいと思います。

 西郷南洲の思想をまとめた『南洲翁遺訓』には、リーダーのあるべき姿が語り尽くされています。その冒頭には、「廟堂(びょうどう)に立ちて大政を為すは天道を行うものなれば、些(ち)とも私を挟みては済まぬもの也」、つまり、「トップに立つ者は天道を踏み行うものであって、少しでも自分を大切にする思いを差し挟んではならない」と述べています。

 ここでは、「トップに立つ人間が、個人という立場になったときに組織をダメにしてしまう。常に組織に思いを馳せることができるような人、いわば自己犠牲を厭(いと)わないでできるような人でなければ、トップになってはならない」ということを教えてくれています。

 また、遺訓の26番目には「己れを愛するは善からぬことの第一也」、つまり、「自分を愛することはよくないことの筆頭だ」と述べています。

 「自分が一生懸命がんばって、また自分の才覚によって、会社を発展させ、上場させた。全ては自分の才覚のたまものだ。だから、高い報酬はすべて受けて当然だ」と、経営者が自分を誇るようになってしまうから、会社がダメになっていくのです。
 私は自分自身を戒め、「謙虚にして驕らず」という言葉を座右の銘として、いくら京セラが発展しても、今日まで営々と仕事に励んできました。

 西郷南洲の思想には、「無私」という考え方が一貫して流れています。公平に心をとり、自分自身をなくすという、その無私の考え方は、リーダーにとって一番大事なことです。

 自分のことはさておき、自分が最も損を引き受けるというような勇気がなければ、上に立ってはならないのです。そのような西郷の思想が最も明確に表れているのが、「命もいらず、名もいらず、官位も金もいらぬ人」で始まる遺訓集の30番目です。そのような人こそが、現在の混迷の世相を救う、究極のリーダーの姿だと思います。

 そうした遺訓集の教えは、ただ知識として知っているだけでは意味がありません。「知っている」ことと「実行できる」ことはまったく違うからです。知識として得たものは、それが魂の叫びにまで高まっていなければ決して使えないのです。
 我々も、「自分はこういう生き方をしていきたいものだ」と、自分自身の魂に繰り返し訴えていき、自らの「思い」を魂にしみこませていくことが大切です。
(要約)

 今日の一言には、「自己犠牲を払う勇気のない人が上に立てば、その下に位置する人たちは不幸になる」とあります。

 京セラ在籍40年の間、実は自分自身がひどい上司だったということを後に聞かされて唖然としたことがあります。
 少しでも早く自分の部署の業績を上げて会社や事業部に貢献したいという思いが強過ぎたのでしょう。あまりに余裕のない私の日々の言動が部下や周囲の反感を買い、このままではまともな成果は期待できそうもないということで、責任者をはずされてしまいました。

 冷静になって考えてみると、自分の余裕の無さの背景には、実力不足はもちろんなのですが、加えて「自分は寝る間も惜しんで、家族サービスも犠牲にして、こんなに一生懸命頑張っているのに、なぜ部下は同じように頑張ってくれないのか」というジリジリした焦りのようなものがあったのだと思います。

 足らなかったのは、周囲に対する感謝の気持ちと、自分が最も損な役を引き受けて当然なのだと思える勇気でした。
 お互いが信じ合える仲間同士でなければ、良い仕事などできるはずはありません。そうしたことを気づかせてくれた、ほろ苦くも貴重な経験となっています。


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