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誘拐されて旅行(プラトニック)第4話 かなえ姉と海に行く
「あの」
「何?」
車が走り出すまでは不機嫌を表情に出さなかったかなえ姉だったけど、走り出した今では顔だけじゃなくて返答までも怒りが見て取れた。
好きな人が怒っているのって、こんなに居心地が悪くなるんだ。こんなに嫌な思いをするくらいなら、明美さんにも着いてきてもらえば良かった。二人が話しているのを聞いていて仲間外れにされている方が何倍もいい。
かなえ姉の空想タバコは、飲み終わってずいぶん経った缶コーヒーの中に溜まっているのだろうか、入っていないそれをカンカンと音を立てて傾けて指を離すというのを繰り返していた。
またもや目的地を聞くことができない僕はひたすら無言で景色を見る他なかった。
お店が立ち並ぶエリアを通り過ぎると、等間隔で家々が立ち並ぶエリアに入った。感覚こそ綺麗に均等だけど、家の形の大きさも色もバリエーション豊かだ。CMで見たような白くて綺麗な家もあれば、築何十年も経っているのが僕でも分かるほど、ボロくなった家もある。ボロい家の前には洗濯物が干してあって、それもボロかったけど、そっちの方が人が住んでいる感じがするのが不思議だった。
家よりも自然の比率が優るようになってくると、数少ない建物も、家というよりは物置らしきものが多くなってきた。それらはボロい家よりボロいせいか生活感が全くない。
それなのに、そこからおじさんが出てきて驚いた。おじさんは清掃員みたいな格好をしている。水色とも緑ともつかない作業着に、なんて刺繍されているかわからない黒い帽子。おじさんの姿をまじまじと見れたのは、車が信号で停まっていたからだった。
おじさんもこちらを見ていた。赤いオープンカーがこんなところを走っているのだ。目を奪われるのも当然だろう。おじさんと目が合った。おじさんは微笑んだ。僕はおじさんがかなえ姉のことを狙っているのではないかと考えた自分が恥ずかしかった。それくらいにおじさんの笑顔は素敵なものだった。下心なんて全くない。まるで本当に自分の親戚なのではないかと思うほどに、しっかりとした微笑みだった。
僕の戸惑いなんて知ったこっちゃなく車は走り出す。
「こんなところに信号があっても、誰も守らない気がするね」と僕が言うと、かなえ姉はようやく「そうだね」と返してくれた。外ばかり見ていたのでいつから空想タバコタイムが終わっていたのかわからない。
「赤いオープンカーなんて、一番ルール守らなそうな車がこんなところにある信号を守ってたらそりゃあのおじさんも見ちゃうよね」
かなえ姉が困ったように笑うのが車内のミラーから見えた。それは十字に四分割されたうちの一つくらいの大きさだったけど、笑顔だということは声の感じからよく分かった。
赤いオープンカー、タバコを吸う仕草、明美さんが言ってたセンセって、多分先生だよな。もしかしてかなえ姉は先生のことが好きだったのかな? 安心してすぐに聞きたいことが胸を襲う。でもそれを聞いたらまた不機嫌になられたら……。想像すると言葉にするのが恐ろしかった。
助手席側には山のそばに立つ工場が立ち並ぶようになり、運転席側には川が見え始める。工場は当たり前だけど、家より生活感がない。モクモクと出ている煙を見てから川の、流れが石にぶつかって飛び越すみたいに丸くなっているのを見る。それらは一瞬だったけど、何度も両端に映るから思わず交互に見てしまう。
「そんなにキョロキョロして、珍しい?」
「あっ、いや」と言い淀むとかなえ姉はまた笑った。今度は運転席側のサイドミラーから全て見えた。今なら聞けるかもしれない。そう思ったけど、結局口から出るのは「かなえ姉は珍しくないの?」という本当に聞きたいわけじゃない、ただの返答。
「うん。私は小さい頃からよく来てるから。あっ、でもいっくんと遊ぶようになってからはあんまり来なくなったから、久しぶりかも」
そうなんだ、と言ったと同時に急なカーブを曲がる。僕の体はカーブとは逆方向に引っ張られて、運転席側のミラーに僕の顔がはっきり見えた。
笑顔だった。
自分の笑顔ってこんななんだ、なんというか自分が忘れていた恥ずかしいことを他人に暴かれたみたいな恥ずかしさがあった。
「ごめん、ごめん」と謝るかなえ姉に「別に」となぜか不機嫌気味に返してしまう。自分の顔がまた映るのではないかと思って、いつもしていたミラー越しにかなえ姉の顔を見るのができない。
カーブを曲がってからは坂を登ることが多かったけど、出たのは山じゃなく、海だった。ジェットコースターのコースの、はじめはたくさん上がって、あとは下りばかりみたいにして、海に向かって走る。
ブレーキをかけずに降っていけばアクション映画で爆発を避けるときみたいにそのまま海に突っ込むんじゃないかと思ったけど、かなえ姉はちゃんと法定速度を守り、交通規則を守って曲がった。
助手席側に海が広がる。かなえ姉はまるで自分のもののように「どう? とっても気持ちいいでしょ」と得意げ。「うん」と答えると、ミラー越しに目が合う。
僕はどんな顔をしていて、どんな気持ちでかなえ姉はそれを見ているのだろう。どっちが先かはわからないけど、そらした。そらしたことを誤魔化すみたいに海に目を奪われる。流れをせきとめようとする石なんてないのに、丸みを帯びた波が砂浜に向かってきている。繰り返されるそれを見ていた。
海に着く。車から降りて、海に近づく。目の中すべてが青にそまる。風が強い。砂が少しだけ、風に混ざる。僕はそれにも関わらず一歩一歩と前に進む。
ふと、振り返るとかなえ姉は車のボンネットに腰を預けて海を見ていた。赤いオープンカーの前に美しい女性。
それこそ本当にタバコを吸っていても絵になるほど似合うのに、かなえ姉はただじっと海を見ていた。波や砂浜ではなく、空と海の端を見ていることが顔の角度から分かる。その瞳に僕が写っていないのも分かった。
だから、声をかけるのはやめた。
僕はただ、かなえ姉が見ている海を彼女の瞳ごしに見たくて、彼女をじっと見た。でも、細い猫目の中は見えない。僕は海に近づく。彼女と離れるたび、僕は振り返ってその瞳を見る。なぜか彼女と離れた方が、その瞳の中を見ることができる気がして。
でも結局、見ることはできないまま、波打ち際まできてしまった。水の奥の砂はまだ目でも見えるけど、まるでここが立ち止まりに思えた。この先にはいけない。体がそう言っていた。
僕はしゃがみ込んで、打ち寄せる波に一瞬映る自分の顔を見た。ひどい顔だった。泣きそうにも困っているようにも見えた。笑顔を作ろうとして、失敗を繰り返す。自分の頬をこねくり回してもうまくいかなくて、ため息がでた。
もう一度、振り返ってかなえ姉を見た。彼女はまるで人形にでもなったみたいに同じだった。
ふと、小さな頃のことを思い出す。あれは、かなえ姉が遊んでくれなくなってから少ししてのこと。
かなえ姉は公園で遊ぶ僕と同級生を見ていた。僕はうれしくて駆け寄ろうとしたけど、同級生にどこに行くのかと腕を掴まれて、目を離したその一瞬でかなえ姉を見失った。
あの頃とは距離は倍近くあるし、今回は絶対に僕を見ていない。それなのにどうして急に思い出したんだろう。
もう一度、笑ってみる。やっぱりうまくいかない。小さい頃はもっと自然に笑えてた気がするななんて思ったら、すごく寂しくなって逃げるみたいに波を背にしてかなえ姉のいるところまで駆けて戻る。
かなえ姉は僕をようやく見つけて、少し困ったように微笑んだ。さらに細くなった猫目の奥は見えない。
「明美から、海に行ったら? ってメッセージきてた。もう来てるっていうのに、おかしいね」困った顔の理由を教えるみたいに言ったけど、言った後もまだ困った顔をしている。
「やっぱり失恋したら海でしょ。まぁ失恋かどうかは知らんけど、だって」
本当明美ってば、と続けようとするかなえ姉を遮って僕から言葉が出た。
「失恋じゃないの?」僕の口から溢れるようにでた言葉は、いの一番に彼女の目に届いたみたいに、彼女の目は大きく見開かれる。それが柔らかくなったのと同じく
「どうだろうね」と困った顔にまた戻った。
「あ、あと明美から邪魔してごめんねだって」
そう続けるかなえ姉に僕はさらに踏み込むことなんてできなくて、「かなえ姉、大丈夫です。楽しかったです。ありがとうございますって返信しておいて」と返す言葉はやっぱり不機嫌になる。
「あいつにそんなに丁寧にすることないよ。大丈夫だけ送っておくね」
遠い目から意地悪な顔に戻って、身近になったはずのかなえ姉を遠く感じた。
かなえ姉より僕の方が不機嫌になってる回数は多いかもしれない。
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